2013-09-05

【原発関連情報】核燃料サイクルの確立が必要だった本当の理由とはなにか?

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画像は こちら から借用しています。
米国で 原子力発電からの撤退 が相次いでいる。
理由は安全性への懸念ではなくコスト。シェールガス革命の影響で原発の発電コストの高さが際立つようになってきた。また米国は日本と異なり、核燃料サイクルを構築しないシンプルなワンスルー方式を採用している。放射性廃棄物の再処理問題がなく、原子力産業が身軽という点も大きく影響している。また電力が自由化されており、電力会社が地域独占ではない点も、意思決定のスピードを速くしている。
米国の電力会社がコストが高くなったからといって容易に原発から撤退できるのは、米国がワンスルー方式と呼ばれるシンプルな原子力政策を採用している点が大きい。
日本やフランスは、原発の使用済み燃料を再処理し、その中からプルトニウムを抽出、再度原発で燃料として使用する「核燃料サイクル」の構築を目指している。このため、核燃料の再処理工場や高速増殖炉など、様々な付帯設備を開発する必要がある。
だがプルトニウムの取り扱いや高速増殖炉の運転には危険が伴うため、商業ベースに乗せるためには相当の技術開発を重ねる必要がある。現在、日本では青森県六ヶ所村に再処理施設を建設中だが相次ぐトラブルで操業開始が延期となっているほか、高速増殖炉もんじゅは運転を停止したままとなっている。再処理後に出てくる高レベル放射性廃棄物の最終処分場もまだ決まっていない。
これらの開発には何兆円もの国費が投入されており、簡単には撤退できない状況に追い込まれている。日本の原子力業界が何としても再稼働を急ぎたい背景にはこのような事情もある。
だが日本の場合、原子力開発については、建前上、核開発の技術蓄積のためとは公言できない事情があった。このためあくまで商業用原発を普及させることが主目的とされた。さらに原子力開発が推進された当時、エネルギーのほとんどを石油の輸入に依存していることについて、かなりの危機感があった。このため何が何でも核燃料サイクルを確立しなければならないという雰囲気が強く、米国ようなシンプルな方式はあまり検討されなかった。
:m132: 核燃料サイクルの確立が必要だった本当の理由とはなにか?

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わなにはめられた-背負わされた国策大阪日日新聞 2013/8/9
20年前の1993年3月。日米の原子力専門家の会合に出席するため、来日した著名な米国人物理学者フランク・フォン・ヒッペル(75)は東京都内の会議室にいた。
向かい合ったのは、東京電力や関西電力などで核燃料サイクル事業を担当する3人。青森県六ケ所村で使用済み核燃料再処理工場の着工を1カ月後に控え、非公式な意見交換の場だった。この後、まもなくホワイトハウス入りするヒッペルは会議室で、核兵器に転用可能なプルトニウムが大量生産される再処理に慎重な米国の立場を説明した。
質疑応答が始まると、ヒッペルは電力関係者の思わぬ一言に接する。
「われわれは、わなにはめられた」
衝撃的な言葉だった。
「わなに陥ったと悔やんでいるのに、なぜ再処理政策を変えようとしないのか。それが不思議でならなかった」
とヒッペルは振り返る。
なぜ電力会社は「わな」と口走ったのか。それは「国策民営」と呼ばれる日本の原子力政策の核心にたどり着く。
政府が最初の国策として打ち出した56年の「原子力利用開発利用長期計画」以来、再処理は「国」が青写真を描き「民」が従う形で進められてきた。
六ケ所村の再処理工場を運営する日本原燃の前身、日本原燃サービス元社長の豊田正敏(90)は「国策なので国がやってくれるという認識があった」と明かす。
巨額のコストに加え、高レベル廃棄物処分という困難な問題もあり、当初、再処理には国も民間も及び腰だった。
しかも電力会社は、化学工場である再処理工場は門外漢。国が先に進めた茨城県東海村の再処理事業も順調でなかった。
電力側には、使用済み燃料を再処理せずに地中に廃棄する直接処分を望む声もあった。
だが
「国は再処理した方が安いと。技術的には直接処分は難しいと。国は一度決めたら何とか押し通そうと、いろんな理屈を付けて…」
と豊田は苦々しげに回想する。
国策民営という〝二人三脚〝では、国が描く筋書きの範囲でしか民間は動けない。元東電幹部も「核燃料サイクルこそ国策民営の最たるもの」と強調した。
被爆国・日本は現在、再処理したプルトニウム44トン(うち約30トンが核分裂性物質)を保有、核爆弾5千発分に相当する。しかし東京電力福島第1原発事故から2年が経過した今も、それを利用する筋道は示されないままだ。
「日本の再処理継続に特段の必要や価値があるとは思えない」。オバマ政権1期目のホワイトハウス調整官として核政策を主導したゲイリー・セイモアは断言する。
建設費に2兆円超を投じたにもかかわらず、完成時期が何度も延期されてきた六ケ所村の再処理工場。取り出されるプルトニウムの行き場も不透明なまま、「原子力ムラ」は来年の稼働を目指している。
ヒッペルは20年前のやりとりが忘れられない。
「もし他に選択肢があったら、再処理を選んでいたか」。
そう尋ねると電力関係者は
「とんでもない」と首を振った。
それでも「わな」から抜け出せない現実が今も続く。

首相に秘密メッセージ大阪日日新聞 2013/08/14
今年1月10日、国際原子力機関(IAEA)事務局長の天野之弥がウィーンから帰国し、官邸に首相の安倍晋三を訪ねた。
原子力民生利用の軍事転用を阻止する役割から「核の番人」と称されるIAEA。2009年12月、そのトップに日本人として初めて就任した天野はこの直前、今年末からの再任をほぼ決めていた。
そのため、会談の目的は「出身国首相への再任あいさつ」と受け止められ、安倍が天野に「今後もできる限りの支援をしていく」と語ったことが報じられた。
しかし、IAEA関係者によると「再任あいさつ」は表向きの理由だった。天野は2つ秘密のメッセージを携え、官邸の門をくぐった。
メッセージの1つは、平和利用名目にウラン濃縮活動を拡大するイランの動き。濃縮を続ければ、核爆弾用の高濃縮ウランが得られる。米国は態度を硬化させており、事態が緊迫化していく恐れを天野は伝えた。
もう1つは日本にとって切実な内容だった。
44トンに上る日本のプルトニウムが米国にとっても非常に機微な問題になっている―。
天野は日本を見詰める国際社会の厳しい視線を説明した。
米国から「核の傘」を提供され、核拡散防止条約(NPT)に加盟する日本が独自に核武装に乗り出すとみる向きは、海外でも少ない。
それでも06年、自民党政調会長だった中山昭一が北朝鮮の核実験を受け
「憲法でも核保有は禁止されていない。核があることで攻められる可能性が低くなる」
と述べ、物議を醸した。
東日本大震災後、国民の多くが脱原発を志向しているにもかかわらず、政府がプルトニウム増産につながる再処理路線を推進する日本の〝ねじれ現象〝が国際社会で疑念を呼び始めている。
今年1月、静岡市で開かれた国連軍縮会議で、米モントレー国際問題研究所の上席研究員マイルズ・ポンパーは「日本がプルトニウムをため続ければ、近隣国に核武装の懸念を与える」
と発言した。
実は、今から約半世紀前の1960年代後半、佐藤栄作政権下で複数の核武装研究がひそかに実施された。その一つは内閣調査機関(現内閣情報調査室)が行ったもので、当時は使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場がなかったことなどから、核武装には「多くの困難」があると結論づけられた。
この研究を率いた当時の内閣調査官、志垣民郎(90)は
「今なら報告書を書き換えないといけない」
と苦笑いする。
天野は今年2月の取材で「日本の原発利用が福島の事故以前に戻ることはないだろう。青森県六ケ所村の再処理工場は事故以前を想定したものだ」と言った。
「使用済み核燃料をどう扱うのか、日本は国内的にも国際的にも説明のつくものにしなければならない」。
被爆国への「核の番人」の警告が重く響く。

List    投稿者 chai-nom | 2013-09-05 | Posted in F03.原子力発電ってどうなの?No Comments » 

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