環境保護運動に隠された正当化観念2~ラテンアメリカ:植民地時代編~
環境保護運動に隠された正当化観念~アフリカへの搾取構造の実態~では、先進国が
奴隷制度
文明化
先進国の売りつけ先への転換
という様々な、自己正当化観念を用いて、アフリカから富を搾取する構造を作り上げてきたことを明らかにした。
そして、もう1つ、先進国が矛先を向けたのが、 ラテンアメリカである。
今回は、先進国における、ラテンアメリカの支配構造を探ってみよう思う
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スペイン征服前のラテンアメリカ:本源性をもった闘争集団
1492年クリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)西インド諸島に到達した頃のラテンアメリカは、
現在のメキシコ中央部→アステカ文明
〃 メキシコ南東部→マヤ文明
〃 コロンビア~チリ北東部(ペルー中心)→インカ帝国
が存在していた。
彼らは、ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡り、北米大陸を南下してきた者達である。
北米大陸での人口増加による集団同士の闘争の圧力の高まりから、縄張りを追われ、現在のメキシコにきたのが、マヤ・アステカ文明の人々だ。
安定した気候の土地で、文明を築き上げた彼らは、再び人口増から同類闘争圧力の高まりを迎える。その結果、更にアンデスの山々に囲まれた、厳しい自然環境の地に南下をしたのが、インカ帝国の人々だ。
インカは“帝国”と呼ばれるが、略奪闘争を経た欧米とは、全く異なる。
このような、本源集団で構成された諸部族は、略奪闘争をへたヨーロッパの部族と異なり、自集団の安定による成員の充足を失いたくないので、同類闘争を回避することを望み、そのために統合された社会を期待していたのだと思う。しかし、それらの闘争に決着をつけるには、この時点では、本能原理の力の序列を共認するしかない。
これは、自我・私権性を孕んだものではないため、個々人の闘争ではない。どの部族の力が上でどの部族の力が下か?という序列が主だったのだと思う。あくまでも、闘争回避のために。
その序列を確認するために、下位集団の長からリャマの毛の上位集団の長への贈与し、上位者がそれを加工した優れた芸術品であるリャマ織物を下位者へ再び贈与したり、各部族から王のもとに美しい女性を嫁がせ、功労のあった部族長に、王家の女性として嫁がせるという事が行われた。
るいネット:インカは私権を伴わない序列原理を共認2
先進国の歴史的価値観で見れば、このようなインカのシステムは、“税”“強制移住”などの、王家という支配者が、私権獲得のために、その他大勢の人達から搾取しているように捉えられてしまう。
しかし、実態は、本源性を残し、略奪・支配ではなく、集団間の序列を共認することで集団を超えた統合を行っていた、欧米とは全くことなる国家であった。
彼らは罪を犯している」:キリスト教普及という名の征服
コロンブス到達後、コンキスタドール と呼ばれるスペイン人による征服者達によって、マヤ・アステカ文明もインカ帝国も滅亡させらることとなった(アステカはエルナン・コルテスが600人の兵士によって、インカはフランシスコ・ピサロがわずか180名たらずの兵によって制圧している)。
このスペイン征服の後ろ盾となったのが、 ローマ教皇 だ。
時のローマ教皇アレクサンデル6世の仲裁によって、1494年スペインとポルトガルの間にトルデシリャス条約が結ばれ、スペインは、新大陸における征服優先権が認められている。
大航海時代は、単に商人や冒険家のような人の興味本位の出来事ではない。
これだけ大規模で多額の費用が発生する航海を、一商人が行えるはずもなく、その後ろ盾には国家が存在した。更に国家も費用を負担しきれず、他国の大商人から借り入れてようやく調達をしていた。
各国がここまで国を挙げて航海に注力していたのも、 植民地獲得→利益△→財力△→ヨーロッパでの覇権獲得 を狙っていたからである。
しかし、他国を侵略し、植民地化するには、タダでは出来ない。大義名分がいるのだ。それが、キリスト教普及である。
彼らは、当時、ヨーロッパ人が信じていた、「オリエントの端には古来より怪物や食人種がいる」という話を引き合いに、先住民カリベ人を“人肉思考の獰猛なカリベ人(カニバル)”とレッテルを貼った。
また、先住民の宗教儀式であった、人身供犠をとりあげ、「彼らは罪を犯している。だから、キリスト教を普及し、改宗させ、罪を清め改めさせなければならない」としたのだ。
ローマ法王の後ろ盾は、彼らに大義名分を与えるという点で、大きな意味を持った。
実施、スペイン王室は、コンキスタドールや入植者達に、功績や身分に応じて、一定数の先住民を割り当て、労働に従事させてもよい代わりに、彼らをキリスト教へ改宗させることを義務づけている(エンコミンダ制)
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naganobu | 2009.10.25 16:21
確かに、全てが、目先目先で、本質を捉えた策であるように感じないのは、根本の圧力を正確に捉えていないからだということですね。
納得です。