2010-12-31

社会期待の歴史(3)~武力時代の東洋の共同体体質⇒秩序収束⇒規範収束~

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Kameno’s Digital Photo Logよりお借りしました。

今年も残すところあと僅かになりました。除夜の鐘を聞きながらこのブログを見て頂いている方はいらっしゃるのでしょうか?

昨晩から寒さが厳しくなっています。体調管理には気をつけて、来年も当ブログ『自然の摂理から環境を考える』を引き続きよろしくお願いします 🙂
そして、皆様にとっても良い年になりますように

さて、前回は原始時代から部族連合時代、そして、帝国による武力支配時代を見てきましたが、今回は、その武力支配時代における東洋と西洋の違い、特に日本を含めた東洋の構造について見ていきたいと思います。

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武力支配時代の始まり、つまり略奪闘争の契機には気候変動(『気候変動と人類の拡散』)が大きく関係しており、それは今から6000年~5000年前となっています。そして、この時期が東洋と西洋の違いが生じる分岐点となります。

イラン高原における急速な乾燥化を契機に最初の略奪闘争(『戦争の起源』)が生じ、それが玉突き的に伝播して武力支配国家が登場します(メソポタミア文明など四大文明と呼ばれるものも同様です)。そして、その略奪闘争の伝播ルートには2つのありました。

一つ目がメソポタミア・エジプト・アラブへというルート、この地域ではイラン高原が急速に乾燥したことによって、極めて深刻な食糧危機に陥ります。このため、略奪闘争では皆殺しが常態化しており、氏族集団を悉く解体していきました。

もう一つは中央アジア~モンゴル高原へというルート、モンゴル高原はイラン高原ほど乾燥化が激しくなく、掠奪闘争というよりも覇権闘争の色彩が強くなっていました。このため、皆殺しよりは支配・服属という形が主流になっており、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての共同体性を強く残すことになります。

前者の略奪→皆殺しが西洋であり、後者の略奪→支配・服属が東洋となります。
東洋の中でも特に日本は極東の島国であり、略奪闘争の影響を受けにくく、共同体が残存しており、その共認基盤=安心基盤から秩序収束⇒規範収束へとより強く収束することになります。
なお、インド、イスラムについては割愛させて頂きますが、基本的には共同体体質の残存⇒秩序収束⇒規範収束の流れにあります。詳細は『10/17なんでや劇場(3)』『日本を守るのに右も左もない』を参照してください。

共同体性を最も色濃く残しているのは日本。実は日本人にとって身分序列は居心地が良い。実際、縄文人たちも朝鮮からやってきた支配部族に対して抵抗せずに受け容れている。それは共同体体質故に、秩序収束⇒規範収束(身分序列や生活規範)が強いからである。日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。(西洋人はそのことを批判するが、それは彼らが共同体性を失った自我民族だからに他ならない。)

日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体質故の秩序収束⇒規範収束である。(イスラム教は唯一神を掲げてはいるが、その実態は生活の隅々にまで及ぶ規範体系である。これは儒教もそうであるが、宗教と呼ぶべきなのか、大いに疑問である)

日本人は戦前まで村落共同体が残存しており、そこでの本源共認と規範としての身分序列によって統合されてきた。そこでは観念性はほとんど見られない。先に検討した、現実共認と宗教共認の分裂は実は、西洋固有の特徴なのではないか。実際、日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体基盤に立脚した規範統合と言うべきであって、全く分裂していない。

日本においては戦前まで村落共同体が残存しており、このブログで以前に取上げた江戸時代においても、秩序収束⇒規範収束していたが故に、人口抑制型の持続的経済成長を実現する上で、徹底して限られた自然を最大限利用し、しかも自然循環を破壊しないように最大限の工夫を凝らし、資源循環システム型の社会という安定基盤を構築してきました。
また、その他にも秩序収束⇒規範収束していた事例が幾つかあります。

 ① 自国による他国への資源侵略も、他国からの資産侵略も許さない管理外交
 ② (生存に必要不可欠な)農業経済価値と(豊かさを享受するための)商品経済価値のバランスをとった徴税・専売システム=国内管理市場の構築
 ③ 競争原理を担保しつつも、各集団が自集団第一に陥らない社会統合システムの構築=集団自主管理と超集団統合の構築


参照:縄文と古代文明を探求しよう!『鎖国が生み出した江戸の自給自足経済、自然循環型社会』

東洋では、庶民にとって必要なのは現実の秩序共認であって、支配者として王や天皇は存在しているが、それは庶民にとってはどうでもいい存在なのではないか。単に、収束した秩序の上の方に天皇がいる。その方が精神安定的で居心地が良いので奉っているだけなのではないだろうか。イスラムやインドの神官も同様で、庶民が収束した秩序の上の方に神官がいた方が安定的なので共認されているのではないか。

言い換えれば、日本人やインド人が、国家や天皇や官僚に期待しているのは、秩序さえ安定していればそれで良いということなのではないだろうか。社会期待としてとらえ返せば、日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。




つまり、東洋では共同体(あるいは共同体体質)という安心基盤=共認充足の基盤から、生物原理(もっと言えば自然の摂理)とも言うべき適応態への進化として秩序収束⇒規範収束を強め、より安定した基盤の獲得そのものが社会期待であったと思われます。

一方、西洋では略奪・皆殺しにより氏族集団=共同体が崩壊し、心の拠り所=本来、人類が持っていた共認充足の場を失うことになります。
では、西洋の社会期待とは一体どのようなものだったのでしょうか?
明日はその構造に迫ってみたいと思います。

              

【参考サイト】
 ● 10/17なんでや劇場(3) 武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束
 ● 11/28なんでや劇場(4) 戦争の起源
 ● 縄文と古代文明を探求しよう!『鎖国が生み出した江戸の自給自足経済、自然循環型社会』
【参考書籍】
 ● 『環境保護運動はどこが間違っているのか?』/槌田敦/宝島新書
List    投稿者 yoriya | 2010-12-31 | Posted in A.史的構造認識から紐解く環境, A04.社会期待の歴史No Comments » 

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