【時代認識】4 ~先行して共同体を実現した類グループ
「時代認識3」では、私権原理から共認原理へという時代の大転換により、新しい活力源(本来の活力源)が胎動し始め、3.11と統合階級の暴走を契機に人々は「自分達の生きる場を自分達で作る」という可能性に収束し始めたことをお伝えしました。
「時代認識4」では、時代の大転換期において、「自分達の生きる場を自分達で作る」に先行して取り組み、実現した類グループの事例に次代を切り拓くヒントを見いだしていきます。
◆ ◆ ◆ 現実社会の構造解明と実現基盤発掘を可能にする徹底した事実追求
類グループは、その最先端にいる。類は、私権から共認への大転換が始まった’70年の2年後、早くも’72年に「自分たちの生きる場を自分たちの手で築いてゆきたい」と志した6人の若者によって、共同体として設立された。
だが、深層で大転換が起こっているとはいえ、現実はまだ市場社会の真っ只中である。そこに共同体を建設しようとすれば、当然、大きな壁が立ちはだかる。そこで、新しい可能性を実現するためには、その壁=現実社会の構造を解明するだけでは不充分で、さらにその壁となっている構造をより根底から解体してゆけるような(可能性の)実現基盤が発掘されなければならない。私権社会を廃棄して共認社会を実現するという壮大な課題においても同様で、何れもその為には、人類社会のみならず、サル社会から生物史にまで遡った徹底した事実の追求が必要になる。
市場社会の常識を破った共同体・類グループを生み出せたのも、様々な壁にぶつかりながらもあきらめず共同体を進化させてこれたのも、「私権から共認へ」という確かな時代認識があったからであり、その認識に裏付けられた実現の確信があったからである。おそらく、今、人々が求めている自給能力期待という最先端の欠乏も、突き詰めればそのような事実認識⇒認識力を身に着けたいという所に行き着く筈である。
学生に与う4 先行して共同体を実現した類グループ
「るいネット」より引用
本当に壁を突破するためには、問題の原因構造の解明に加えて、解決の実現基盤の発掘が必要であること、それらを成し遂げるためには、徹底した事実追求が必要であるというのは、極めて重要かつ普遍性の高い認識です。
たとえば、原発問題においても、目先の要求や価値観・感情論に基づく主張を振りかざしても、各々の都合に軸足を置いている限りは平行線になり、決して解決には至りません。
それらを棚上げにして、とことん事実探索に取り組むことが出発点となります。
そして、事実探求を重ねて、原発を生み出した近代科学の源流にまで遡ることで、問題構造が初めて明らかになります。
また、「私権原理から共認原理への転換」という時代認識に基づき追求することで、実現基盤となりうる人々の意識、新しい社会制度、自然の摂理に則ったエネルギー利用法などが見えてきます。
当ブログで2011年~2012年に掲載した「原発は必要か否か」シリーズ、「科学はどこで道を誤ったのか」シリーズもこの徹底した事実追求のスタンスを軸に取り組むことで原発⇒近代科学の問題構造を読み解き、自然の摂理に適った社会への転換を探求しました。
「原発は必要か否か」シリーズ(計27本)
東北地方太平洋沖地震~原発は必要か否か1~基礎編~
東北地方太平洋沖地震~原発は必要か否か27~(最終回) 原発は不要!⇒今後に向けた『提言』
(左上:福島第一原発、右上:高速増殖炉もんじゅ(福井県)、左下:六ヶ所村再処理工場(青森県)、右下:大間原発(青森県))
「科学はどこで道を誤ったのか?」シリーズ(計14本)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(1)プロローグ~「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害~
『科学はどこで道を誤ったのか』(14)最終回 ~共同体を悉く解体された古代ギリシャの自分発の“思弁的な自然哲学体系”が、科学が道を誤った源~
(左からガリレオ・ガリレイ、フランシス・ベーコン、ルネ・デカルト、アイザック・ニュートン)
この追求過程で、近代科学の源流は「人間による自然支配」という現実否定の架空観念にあり、現実を「私権獲得⇒市場拡大」という軸のみで都合よく対象化→発展してきたが故に、常に問題を引き起こしてきたことが明らかになりました。
よって、物的に飽和により私権獲得の圧力が衰弱し、市場も縮小過程に入った現代においては、改めて現実=人々の意識(期待)を対象化し、事実認識に基づきみんなの役に立つ科学を再構築していくことが、我々の課題として鮮明になりました。
原発に限らず、このブログで主要テーマとして取り組んでいる環境分野に関しても、確かな時代認識と徹底した事実追求が突破口を切り拓くカギとなります。
では、そのように答えを出せる認識力を養っていくにはどうすればいいのでしょうか?
◆ ◆ ◆共同体の統合軸は、事実の共認
●共同体の統合軸は、事実の共認
類は、これまでの40年に亙る事実追求の成果として、既に多くの歴史認識=事実認識群を構築してきた。現在も、それらの事実認識を習得し、認識力を育成するために、毎週1回以上の密度で認識勉強会が開催されている。(7~8人ずつの小グループに分かれて行われる。)
また、未解明の最先端の問題は、月1回開催される劇場会議で追求され続けてゆく。もちろん、全社員が参加する劇場会議では、理論問題だけではなく、経営上・営業上の大きな戦略問題も追求され、決定されてゆく。
(左から認識勉強会、劇場会議)
それらの会議の、従ってまた共同体の統合軸となっているのが、事実の共認である。何故なら、事実は誰もが認めることのできるものだからである。その際、たとえ仮説であっても、皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理が整合していれば、それを事実として認める。もちろん、これまで認めてきた「事実」に反する現象が出てくれば、直ちにその現象事実を組み込んで論理=事実認識を組み替える。この様にして、事実の認識体系は無限に進化してゆくことになる。
そして、それと共に、事実の共認によって統合されている共同体も、無限に進化してゆく。
学生に与う4 先行して共同体を実現した類グループ
「るいネット」より引用
※「自然の摂理から環境を考える」で提示する認識も、上述の認識勉強会での学びから生み出されています。
自分達の生きる場を「徹底した事実の追求⇒適応方針の構築」、「事実の発見⇒事実認識の組み替え⇒適応方針の再構築」で運営し、事実認識を駆使して現実課題を突破していくことがカギです。
自分達の仕事、組織経営という現実課題に対して、皆で当事者として事実認識を駆使して突破していく成功体験を積むことで認識力が養われ、より広い社会位相の諸課題に対しても、当事者として事実認識を武器に挑み、突破していくことが可能になります。
また、日常の現実課題を事実認識によって突破していくには、自分達の集団を、事実の共認を統合軸とした集団(共同体企業)に変えていくことが必要です。
そして、事実の共認を統合軸とした集団がどんどん増えていくことで、事実の共認を統合軸とした社会に転換していくことができるのだと思います。
次回の「時代認識5」では、この認識力を生み出す母胎についてみていきます。
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