【時代認識】3 ~新しい活力源=周りの期待に応える充足
「自分達のエネルギーは自分たちで自給する」岩手県葛巻町の「畜ふんバイオマスシステム」~家畜排せつ物などを原料に、熱や電気、有機肥料を回収・有効利用できる、リサイクルシステム。
画像はこちらからお借りしました。
年末年始特別企画~人々の意識潮流の変化など、最新の“時代認識”を追求するシリーズ第3弾です。
↓↓↓これまでの記事
【時代認識】1 ~いま、社会の基底部で何が起きているのか~
【時代認識】2 ~私権の終焉と市場の縮小と権力の暴走
【時代認識】1では、現代=大転換の時代ゆえの確かな「時代認識」こそが真の「安定基盤」を実現する上で必要となること、及び、「大転換」の引き金となった’70年頃の「貧困の消滅(豊かさの実現)」について。
【時代認識】2では、豊かさの実現に伴う私権システム崩壊や市場縮小の現実、そうした現実を捨象し無理矢理市場拡大すべく市場に巨額の資金を投入(=巨額の借金を形成)し、暴走しはじめたこの国の統合者達(学者・官僚・マスコミ・政治家・財界etc)について論じてきました。
【時代認識】3では、こうした破滅に向かう旧社会の深層で密かにはじまった新社会への胎動・・・「共認収束」や「自給期待」の潮流(=可能性)について見てみましょう。
◆◆◆私権充足から共認充足への収束先の大転換
まずは、「るいネット」 より、 「学生に与う3 新しい活力源=周りの期待に応える充足」から引用します。
しかし、悲観することはない。破滅に向かう旧社会の深層では、すでに新社会へ胎動が始まっている。
私権圧力が衰弱した以上、その強制圧力によって抑圧されてきた人類本来の活力源が再生されてゆくのは、当然の理(ことわり)である。
事実、’70年以後、貧困の消滅に伴って私権追求はもはや第一の活力源ではなくなり、代わって、周りの期待に応えることによって得られる充足(安心や喜び)、すなわち共認充足(※)こそが最大の活力源となっている。
※共認とは、共に認め合うこと。共認機能はサル・人類に固有の機能で、相手の期待に応えることによって充足を得ることができ、サル・人類の最大の活力源となっている。(詳しくは本サイトの「実現論・前史」を参照。)
つまり、社会の表層での統合者たちの暴走を尻目に、人々は最も深い潜在思念の地平で私権充足から共認充足へと収束先の大転換を遂げてきたのである。
学者・官僚・マスコミ・政治家etcの特権エリート達は、現在も「市場拡大は絶対である」という固定観念に支配され、先の衆院選で不正選挙の末“日本を取り戻した”安倍自民党などは、なんと、10年で200兆ものバラマキによって市場を延命させる算段のようですが、市場拡大の原動力であった貧困が消滅した以上、市場は確実に消滅していく運命にあります。
一方、大衆の潜在意識は、豊かさが実現した以上、既に私権(お金や身分)は二の次であり、人類の本来のあるべき姿を探りつつ(本源回帰)、周りの期待に応えることによって得られる共認充足を最大の活力源としつつあり(共認収束)、相変わらず私権第一、市場拡大絶対の特権エリート達の意識との断層がますます大きくなりつつあります。
もはや、私権では社会を統合できないのは明らかです。(その象徴が、新党が乱立し争う政治家達の姿でしょう。)
◆◆◆「脱市場」「脱染脳」⇒「自給期待」の潮流
そんな中、現在急速に顕在化しつつあるのが「自給期待」の潮流です。
「学生に与う3 新しい活力源=周りの期待に応える充足」 より
この共認収束の潮流は、今後100年は続く大潮流であり、現在も私権から共認への大転換は進行中である。そして、その途上の’11年、3.11と統合者たちの暴走を契機として、この大潮流は遂に「自分たちの手で作り出せる能力」あるいは「自分の頭で答えを出せる能力」への期待、云わば自給期待の潮流を顕在化させた。これらの潮流が指し示す次の社会は、おそらく「自分たちで作ってゆく」共同体社会となるだろう。
’70年以降縮小の運命にある市場は、バブル崩壊の大打撃の後、一旦は実態から遊離した数字だけの金融経済に舵を切り、誤魔化しの経済成長を続けました。しかし、’08年のリーマンショックによりその脆さが露呈、更に’11年の3.11、東日本大震災をきっかけに、誰もが市場の終焉を予感しました。(参考:「市場はもうウンザリ」⇒市場からの脱却が始まった )
そして、直近の’12年には、製造業を中心に大企業が軒並み大赤字に転落、遂に急速な市場縮小が誰の目にも明らかになりつつあります。
また、こうした市場終焉の潜在共認に伴い、これまで市場拡大を導いてきた自由、平等、人権、民主などの西洋近代思想や、経済学、更には(制御不能な原発を生み出した)近代科学の騙しに多くの人達が気づきはじめ、遂に「脱市場」「脱染脳」の意識潮流が顕在化しつつあります。
こうした“市場からの脱却”“染脳からの脱却”の潮流の中から生起してきたのが、 「自分の頭で考える」「自分たちの手で作り出せる」能力への期待・・・つまり「自給期待」の潮流です。
「自分たちの手で作り出す」ためには「みんなで共に認め合う」方が上手くいくし、そのことで充足を得る・・・前述の共認収束の潮流とも完全に合致する動きです。
◆◆◆「自分たちの生きる場を自分たちで作る」様々な動き
当ブログのテーマである「環境」という切り口から、この「共に認め合い、自分たちの手で作り出す」試みをいくつか紹介したいと思います。
◆自然エネルギーで自給できている町~葛巻町バイオマスタウン構想~
画像はこちらからお借りしました。
葛巻町は自然エネルギーの導入と省エネルギーを町づくりの柱とし、現在、町の電力自給率は166%となっています。畜産業と林業が町の基幹産業であるため、この2つの産業から得られるバイオエネルギー(蓄糞、間伐材)を有効利用しています。特に蓄糞は社団法人葛巻町畜産開発公社が管理するくずまき高原牧場に乳牛200頭分の糞尿を原料とするバイオガスプラントが稼動しており、未利用エネルギーであった蓄糞の有効活用につながっています。
また、小学校教育に省エネ学習を盛り込み、子どもから家庭、家庭から地域へ省エネ意識も高めています。
※葛巻町のように自然エネルギーで自給できている市町村は全国で57市町村あります。
日本の市町村数が1827(2007年3月末)なので、約3%の市町村がエネルギーを自給することができています。
このように地域分散型の新しいエネルギーシステムは、小さな発電所を各地域に分散させて市民自らが管理・運営していくシステムです。
市民が参画することで生まれる当事者意識が、必要か否かという判断軸でのエネルギー消費を促し、地域分散とすることで、送電距離も短くなることから送電ロスも削減。
さらに地域でエネルギーを生産するための新たな役割=雇用を創出し、社会の活力と充足につながります。
(ブログ「これからは共同体の時代」より「地方自治は今後どうなるのか?(後編)」参照)
◆福岡県築上町の取組み~うんちとおしっこがお米を育てる~
「循環授業」(稲作体験授業)
画像はこちらからお借りしました。
循環型の農業を地域で取り組んでいる福岡県築上町は、さまざまな取り組みを実践し、効果を出しています。
・町内で回収されたし尿を液状堆肥化し、田畑へ還元化⇒有機液肥製造施設を建設
・地元で採れた食材の学校給食への導入など地産地消システムを実現・町の職員や大学教授が小学生に「循環(環境)」の教育,食育,農作業を実践
等々・・・
人々の環境への意識が高まり、購買行動や廃棄物処理にも環境配慮が唱えられる現在、「大量生産・大量消費・大量廃棄物型社会」から『資源循環型社会』への変換が求められています。
福岡県築上町では、自治体が『資源循環型社会』に変換するという方針から、より自然の循環に則した農業の制度を作り,そのシステムが,町に暮らす人々にたくさんの役割を作り出しています。
そして,その役割の共認が、共認充足を生み出し,さらに,教育の制度にも組み込むことで,農業の大切さ,自然の循環の大切さの意識を育むと共に,次世代を育てるという,持続可能な体制を創っている自治体です。
(ブログ「これからは共同体の時代」より「環境産業の可能性はどこにあるのか?(後編)」参照)
また、ネットの普及により広がりつつある「脱マスコミ」⇒ネットやツイッターでの情報探索・拡散も、こうした「自給期待」~「自分の頭で考える」(そのためにまずはマスコミが報道しない事実を探索)潮流が生み出した動きと見ることもできそうです。
そして・・・
これらの潮流が指し示す次の社会は、おそらく「自分たちで作ってゆく」共同体社会となるだろう。
実際に「自分たちで作っていく」ためには、社会的な外圧を感じ、課題を共有でき、ダイレクトにみんなの期待に応える充足を実感できる『場』が必要になります。
次回、【時代認識】4では、「自分たちで作っていく」共同体社会の基本単位であり、市場拡大の歴史の中でバラバラの「個人」に分断された人々の安心基盤として再生されるであろう、「共同体企業」の在り様を、最先端の実現態である「類グループ」に見ていきたいと思います。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2013/01/1254.html/trackback