環境問題の改革を進めるには、新しい社会統合機構が不可欠!1~『自集団の権益に固執する官僚制が、環境問題の障壁』~
エネルギー・資源や環境の問題は、国家規模で政策決定して解決していく必要がある。
しかしながら、『次代を担う、エネルギー・資源』シリーズの“原子力発電のサブガバメントモデル”で紹介したように、その大きな障壁になっているのが、国家の統合階級たる官僚とそこに群がる市場派で構成される集団だ。
この集団が特権的な職業として固定化され、巧妙に大衆の税金を巻き上げ己の権益にし、それを死守するために改革を妨げている。
『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電7~原子力発電の推進体制を考える1・・・日本の原子力推進体制
日本の原子力開発推進体制は、官僚機構・電力会社を中心とした、政府からおおむね独立して意思決定を行える集団が、その制度を自ら強化し推進できる、自己増殖体制を確立したからです。アメリカの軍産複合体と酷似した体制的特長をもち、サブガバメントモデルともいわれています。
『次代を担う、エネルギー・資源』トリウム原子力発電13~ サブガバメントモデルを支える電気料金の仕組み1/2
サブガバメント組織をもう少し具体的に言うと、経済産業省(旧通産省)・文部科学省(旧科学技術庁)・これら官僚機構の所轄団体である、独立行政法人等(核燃料サイクル開発機構等)・経済産業省支配下の10電力会社の利害を共にする連合組織です。
この組織は、政府内小政府とも言うべき性格を持ち合わせていて、政府からほぼ独立して、自らの組織に有利な意思決定を行うことが出来ます。そしてこの組織は、アメリカの軍産複合体と同様の性格を持っています。
このような組織が存在可能な理由の一つは、その組織維持に必要な資金を自らの手で獲得できるからです。その獲得方法に電気料金が使われているのです。
国家に寄生して甘い汁を吸う“官僚と市場が共謀した組織”が、エネルギー・資源や環境問題の改革を進める障壁になっている。
なぜ、そうなるのか?
それは、エネルギー開発に限らず、国家規模で政策決定していく必要のある事業の推進体制は、官僚を中心とする利益集団の権益実現に収束してしまうという構造があるからだ。
これを突破するうえでの重要な認識は、
『社会統合を担う、官僚やマスコミや学者はそもそもは単一の集団でしかない。従って最終的に自集団の利益に収斂する』という認識である。
実現論:序文 ト.万人が半専任(副業)として参画する
<前略>
宗教集団や政治集団はもちろん、マスコミも学会も国家(行政組織)も、夫々は単一の集団でしかない。ところが、集団というものは自己収束(もっと言えば自己閉鎖)性が強い。従って当然、彼ら官僚や学者やマスコミや政治家たちの、自集団の利益が第一になってしまう。そもそも、各集団を超えた次元にある社会を統合する組織が、実は単一の集団でしかないというのでは、社会を統合する資格などない。
<中略>
国民に選ばれた訳でもないのに、官僚や学者やマスコミが独占し、自集団の利益を第一にして甘い汁を吸っているという仕組みが、根本的におかしいのだ。そうである以上、当然彼ら夫々の集団の利益第一となる方向に、社会は歪められてゆく。その結果が、どう仕様もないところまで行き詰まった(そして大破局が迫っているにも拘わらず、誰一人解決策を提示できない)この末期状態だったのである。
単一集団として自集団の利益を第一に考える官僚に、巨大な許認可権や補助金の分配権が与えられ、かつそれが特権的な職業として固定化されていること自体に問題の本質がある。
官僚をはじめとする特権的利権を手に入れた組織の自己防衛志向、かつ既に獲得した権限をフル活用しての抵抗、これらが重なればエネルギー・資源や環境の問題への改革が遅々として進まないのも当然と言える。
であれば、エネルギー・資源や環境問題の改革を進めるには、
『既存の組織には可能性はない。自分たちで次代を担う「新しい社会統合機構」をつくる』ことこそが根本的解決への課題である。
そのためには、あらためて、国家とは何か? 官僚とは何か? 市場と何か?
この事に関する「史的な構造認識」無しには根本的な可能性基盤となる方針につながらない。
そこで、この盆休み企画として(8/10~8/17の8日間の8回)、今回は特に【官僚制度】に対し、その切り口となる構造認識を展開したい。
ではスタートです。
応援よろしくお願いします 😀
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