健康=元気の素ってなんだろう?その2~同化機能ってなんだろう?
こんばんわ 😀
今日は、シリーズ第二弾
前回は、健康には、共認充足がかかせない と、書きました
(「健康=元気の素ってなんだろう?その1~共認充足がないと生きてはいけない」ぜひ、読んでみてくださいね )
その、共認充足の源、中心には、
同化
という、機能があるんです
「どうゆうこと?」って思った人も、「同化ってなに?」って思った人も・・・・ 😉
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さて、想像してみてください
実は私、先日美味しい牡蠣をいただきました。殻つきで、ぷるるんとしていて・・・
これはぜひ、生牡蠣で食べてやろう と、必死に牡蠣の殻と格闘していました。
すると・・・・・殻の固さに、思いっきり力を込めたとき・・・・
なんと、牡蠣ナイフで、手のひらを刺してしまったのです そのナイフはなんと、裏まで貫通していました・・・・・
・・・・どうでしょう?
「うわ~やめて 痛いじゃん・・・ 」
って、実際には切っていないのに・・・”痛み”を感じますよね
実はこれが、
同化
なんです。
もう少し、詳しくお伝えするために、今日はこんな投稿を紹介します 😉
新生児の共鳴動作 (るいネットより)
…
4ヶ月になる赤ん坊と遊んでいるときに、彼女と相当仲良くなってから、彼女の前で私の手のひらをゆっくり開いたり閉じたりした。
すると彼女はじっと私の手に見入り、その動きに合わせて―自分の手を見ることなしに―指を開いたり閉めたりしたのであった。何回か続けるうちに、彼女は指ばかりでなく・・・・・。
手のひらの動きに合わせるように彼女の口をパクパク動かしはじめ、終わりにはまるで(私の)動きで彼女の呼吸テンポまでコントロールできそうであった。
私が手のひらを開閉している間に彼女はほとんどまばたきもせず、私が開閉を止めた時には夢から覚めたように一瞬ポカンとした感じであった。
(共鳴動作を我が国で最初に報告した鈴木葉子氏)
…
このように、共鳴動作は、自分と他人が未分化なまま混淆し、融け合い、情動的に一体化したような関係でおこっている。
飢えや渇きという生理的な要求を満たす手段として子どもはこの動作をおこなっているのではない。
むしろ目の前の刺激の動きに同調し一体化して自分も動くことそのものが快となり、この共鳴動作を活性化しているようである。
「通じ合うことへの要求」というと言いすぎだろうか。
母親の語りかけに対する相互同期的行動にしても、共鳴動作にしても、子どもは、相手が人間だから、あるいは自分の母親だからというので反応しているわけではないのだが、その相手をしている母親の方は、子どもの反応を見ていると、「もう自分をわかって応えていてくれるのだ」という喜びの感情が湧いてくるのを禁じえない。
そしてまさに「わたしがママよ」とでもいうべきはたらきかけが、さらに子どもの反応性を高めていくのであろう。
このように、共鳴動作はそれが生理的要求の満足ということから離れて、刺激と一体化すること自体に動機付けられ、人がその刺激としての役割をもっとも果しやすい点、しかも相手の人自身もその動作交換のなかに思わず引きこまれざるをえないような魅力をもっている点、そこにコミュニケーションの基盤にふさわしい性質を深く宿している行動といえるだろう。
巷に氾濫する旧観念言葉によって封印され縛られている状態が私たち旧人ではないかと思います。とはいえ同期行動も共鳴動作も成体となったいまの私たちにも本質的な適応能力として備わっているはずです。
あらゆる事象・事物を改めて見直してゆくことが旧人には殊更求められているように思います。
また、私たちが交流会を立ち上げていく上で、認識交流の場や期待応望関係を構築する上で有効なヒントを与えられたように思いました。
ここで書かれている共鳴動作とは、まさに同化 のことです。
全ての人は、同化する機能を持っています。
赤ちゃんは、生まれたばかりは何も知らない。何にも染まっていない・・・つまり、真っ白で産まれてきますよね
そこから、この記事で表しているように、周りに存在している全てに同化して、表情を出せるようになったり、感情を知ったり、話すようになったり・・・と成長していくのです
そして、先述に書いた牡蠣の例は、自分が本当に指を切ったわけではないけれど、指を切ってしまった相手に同化してまず”痛い”と感じます。
そして・・・・その先に、
「大丈夫 ?」
「手伝おうか ?」
「代わりににやるよ 」
と、相手の痛み以上の想いに同化し、いたわることができるようになります。そして、互いに共認充足できます
このようにして、同化という機能を中心軸として、
相手の期待や周りの期待に応える。そして、それが自分の喜び」という、
周りと一体になる充足=共認充足 があるのです。
そして、
その機能は、誰もがもっているもの
なのです
次回も、もっと共認充足=元気の素について、せまっていきます
お楽しみに
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nannoki | 2010.10.30 22:47
水、風、太陽、地熱の比較は、とても参考になりました。技術が登場してきた歴史をみると、取り出しやすさで決まっているというのも納得です。
水力が意外と大きく、太陽光が意外と小さいのが驚きでした。潮の流れや干満を利用した技術もあるようで、水力は意外と今後のエネルギーとして主力になりそうだと感じました。