2010-02-04

健康=元気の素ってなんだろう?その8~充足していける秘訣☆

充足の源である「共認充足」
それを感じられる「共認回路」が「いつ、どのように形成されていったのか?」を前回は明らかにしました。
まだの方は、こちらをどーぞ。
健康=元気の素ってなんだろう?その7~共感は、言葉を持たないサル時代から始まった①~
健康=元気の素ってなんだろう?その7~共感は、言葉を持たないサル時代から始まった②~
   
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「相手が喜んでくれる嬉しい 😀 」
「期待されたら嬉しい 😉 」
「みんなと一緒にいると安心する
etc
       
普段、たくさんの共認充足を得て私たちは生きています。
そして、それが、 生きる活力 になっています。
        
    
いつも、応援ありがとうございます
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しかし、ときどき、こういった状況に陥ってしまうことは、ありませんか
    
「自分は悪くない、相手が悪い 👿 」と他者否定して自己正当化したり・・・
「なんで私だけそんな評価なの!おかしい 」って評価不全に陥ったり・・・
「ホントは、みんなと仲良くしたいのに、私は別にみんなの輪になんか入りたくない
ってすねてみたり・・・

これだと、いつまでたっても、
何をしても、
どこにいても、
誰といても、
全然充足できない状態です・・・。
    
こういった時は、「自我回路」に陥っています。

自我…みんなの共認によって(自分には)与えられなかった評価を、他者否定と自己正当化によって、己に都合の良い幻想に収束することで自己充足を得る機能。
自我回路は、共認回路の鬼っ子として生みだされた回路です。
詳しくはこちら
実現論
共認回路と自我回路
自我の源泉は、共認の部分否定にある

    
   
そんな時は、どうしたらいいのでしょうか? 🙄
それのヒントとなる投稿を紹介します

自我回路より共認回路の方が充足できる
     
「自分」っていうものに拘ってる女の子を露店で見ました。
何を言っても相手を否定 し続けて、ずっとずっと自分って言う主張をしつづけたまま・・・しかも1時間も拘り続けているいるその姿を見ていると、だんだん痛々しく見えてきました。心が悲鳴 を上げてて、なんだか可哀想と言うか悲しくなってきました
    
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>それに対して、親和共認や役割共認や規範共認etcの共認回路が自我回路を制御(一部は封印)することによって、人格は成長してゆきます。(2772 自我ではなく、共認こそ原点である
誰でも、本当は自我回路より共認回路を使ってる時の方が充足度が高いのを知ってるからこっちに行きたいくせに、自分自分って言う(思ってる)からみんなが去って行って、誰も入れてくれなくて、結局また自分自分になるしかない…って言う悪循環。いつまでたっても、なにをしても、どこにいても、誰といても全然充足できないんじゃないかと思いました。
>自己満足に替わる価値や充足を積み重ねるだけでいいと思う。
>今どれだけ自我が強いかなんて、大した問題じゃない。「で、それがどうしたの?」って思う。人を否定視する気持ちと肯定視する気持ち、両方あるなら後者を伸ばしてゆけばいいだけ。誰にも自我回路と共認回路があるのなら、共認回路を使って自我回路を使わないようにしていけばいいだけのこと。(671 最初の一歩、でも最後まで一歩ずつ
  
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「自我回路を制御」ってイヤイヤとか我慢とか無理矢理とかで制御していくのではなくて、共認回路の方が楽しい ことや嬉しい ことが一杯あって充足度が高いから自我が制御されていくって感じなのかなって思いました。

   
そうか!共認回路の方を使って、それを伸ばしていけばいいのですね 😀
   
その具体的な事例や方法は、るいネットの「共認充足か?自我充足か?」のお題一覧にたくさんの投稿がありますので、それを参考にしてみて下さい
   
充足の広がりは無限大です

List    投稿者 miwa | 2010-02-04 | Posted in M03.心と身体の万能薬=共認充足6 Comments » 

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コメント6件

 アーヤパパ | 2011.01.08 11:42

こんにちは先日は私のくだらないブログにご訪問いただきありがとうございました。
sinsinさんのブログ少しずつ読ませていただいております。内容がなんともすご過ぎて学の無い私にはちと理解が出来ないのですが・・・。
ただ伝わってくるのは今の消費優先社会の方向転換の提案でしょうか。
何せ長い文を読むのは久しい経験ですので時間がかかります・・・。
ただ今回の記事の最後
<『(物的)消費の縮小を新しい生産活動の活力につなげてくれる』
縮小が新しい生産活動の活力になるというのは確かに発想の転換ですね。

 ぽちゃりきりん☆ | 2011.01.08 13:28

>自分たちの社会を自分たちで創っていくという充足課題が大衆の手に戻ってきます。
自分たちの社会を自分たちで創っていくということが、『充足』することである、ということが、私たちには新しい発見かもしれません。
今まで官僚や政治家たちにまかせっきりで、私たち自身も何も考えずに来ていたということに、気付くことも必要なんだと、sinsinさんの記事を読んで思い至りました☆
>このような認識を作り出し、広めていく充足場を作ること=パラダイム転換を促す場を作ることが、当面の本源期待なのかもしれません。
こういったブログなどを通じて、協同者や、場がたくさんできるようにしていきたいっ♪

 雑草Z | 2011.01.09 17:43

 上手くシリーズをまとめていらっしゃいますね。
>『消費の縮小=社会の破綻』
このようなプロパガンダで強迫観念を抱かせ現在の無駄に膨張した経済を更に成長(=膨張)させようとしているのが現状ですね。この強迫観念は支配層の脅迫による部分が多く、マスコミや財界人も煽っているところでしょう。それらの洗脳から抜ける事が大切ですね。
理性で考えれば
経済の膨張(成長)こそ 社会の破綻
であり
経済の縮小&丁度いいところでの定常化 こそ
持続可能な社会である事は明らかです。
>『(物的)消費の縮小を新しい生産活動の活力につなげてくれる』
『生産』と言う言葉が妥当かはわかりませんが、物質的消費を縮小しても、精神的に豊かになる事は十分に可能です。と言うよりも、物質的消費を(GDPなどの指標により)豊かさと捉えさせられている現代社会が洗脳されていると言えましょう。このような現代社会こそ異常な特殊な(短い)時代でしょう。洗脳で作られた経済史上主義はもうとっくに行き詰っています。
 豊かさとは、もっと基本的な動物的な欲求の充足と人間的な精神の充足をさすべきでしょう。

 sinsin | 2011.01.10 15:18

アーヤパパさんへ
訪問いただきましてありがとうございます。
> <『(物的)消費の縮小を新しい生産活動の活力につなげてくれる』
縮小が新しい生産活動の活力になるというのは確かに発想の転換ですね。
この部分が一番、伝えたかった内容です。ここに注目していただけて嬉しいです。
アーヤパパさんがブログで連載されてい節約生活の方法も、単に経済的にどれだけ節約できたか?という側面だけでなく、それを考えていくことが楽しいとか、面白いと思うという別の側面を持ち合わせてるのだと思います。
だからブログも継続できるように思うのですが。
そのような側面に焦点を合わせて、環境問題まで結び付けることが出来れば、それに向かうこと自体が、活力になります。
そして、それをみんなで行えば、いわゆる行政サービスといわれていた仕事をみんなで、楽しく担うことが出来るののではないか?
ということを考えています。
今のような社会の転換期・あるいは激動期であれば、古い制度や考えから離れて考えれば、何らかの新しい捉え方(=認識)が出来るはずだと感じています。
このような視点で愉快なメンバーと記事を作っています。ぜひともまたご来訪ください。

 sinsin | 2011.01.10 16:04

ぽちゃりきりん☆さんへ
>自分たちの社会を自分たちで創っていくということが、『充足』することである、ということが、私たちには新しい発見かもしれません。
そうなんです。日本でも江戸時代の村落共同体では、生産も祭りも揉め事の解決も冠婚葬祭も、すべて自分たちで考え実現していました。
そこにはお金で雇われている行政サービスというものはなく、みんなの充足課題として上記のような活動は分担されていました。
だたら、夜になると毎日のように、寄り合いがあったようです(今でも農村部には残っているところがあります。)
そう感じないのは、近代社会は過去の社会よりすばらしいという洗脳による固定観念があるからだと思います。
そこを、事実に基づきどう氷解していくのかが、大きな課題なんでしょうね。

 sinsin | 2011.01.10 16:25

雑草Zさんへ
ご無沙汰しています。
>『生産』と言う言葉が妥当かはわかりませんが、物質的消費を縮小しても、精神的に豊かになる事は十分に可能です。と言うよりも、物質的消費を(GDPなどの指標により)豊かさと捉えさせられている現代社会が洗脳されていると言えましょう。このような現代社会こそ異常な特殊な(短い)時代でしょう。洗脳で作られた経済史上主義はもうとっくに行き詰っています。
> 豊かさとは、もっと基本的な動物的な欲求の充足と人間的な精神の充足をさすべきでしょう。
まったくその通だとおもいます。
『生産』という言葉については、もうすこし少し大きく捉えています。
物的な欲求(動物≒本能)の充足が工業生産に代表される物的生産活動。
精神的な豊かさ、人間同士のかかわりの中で充足を与え、また充足を与える活動を意識生産と定義しています。
ということで、
>『(物的)消費の縮小を新しい生産活動の活力につなげてくれる』
は工業生産から意識生産への転換と言い換えることが出来るかと思います。
『自主管理への招待(1) 工業生産から意識生産へ。時代は今、歴史的な生産力の転換を遂げようとしている。』http://blog.sizen-kankyo.net/blog/2011/01/000826.html

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