健康=元気の素ってなんだろう?10~最終章:人はみな「生かされている」
こんばんわ
「健康=元気の素ってなんだろう?」シリーズも、いよいよ最終章です
(シリーズを読み直したいかたは、ココ(リンク)をみてくださいネ )
みなさん、今まで
「生きるってなんだろう ?自分ってなんだろう? 」
って、考えたことありますか?
たぶん・・・みなさん、一度はあるのではないでしょうか 😉
今日は、その問いに答えちゃいます 😀
その問いの答えが・・・健康=元気の素に繋がっていくのです
続きを のあとに どうぞ
ありがとうございます
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昨日なんでや劇場で、「自分って何?生きるって何?」を聞いた。
『自分の中身も、生きる意味も、みんなの中にある』という言葉が頭に残った。
権利やお金を得ても充たされるわけじゃない。
誰だって、人に期待されて、応えて、評価されて、生きている実感=充足を得たい。
『男も女も全ての人も、みんなお互い充たし合う為に存在している』
『人類の最大の活力源にして最高の充足源は、期待・応望である』
だから、子供も、老人も、障害者も、誰でも、一番根源的な所でみんなの力になれる=役に立てる=存在理由がある!
なのに、「自分」や「個性」という言葉はまるで、それを求めないと人間としてダメである(生きる価値がない)かのように、人を追い詰めてゆく。みんな本当は、みんなと同化したいのに・・・。
>自我回路より共認回路の方が充足できる
『“自分”から“みんな”へ。』
新しい規範の原点は、ここなのかもしれない。
(「“生きる意味”は、みんなの(期待に応える)中にある」:るいネットより)
昔は、「生きるってなに?」「自分って何?」と、考えることもありませんでした
なぜなら、やるべきことも、生きる意味も、自らの役割も、規範や集団があったから、存在していました
(勉強する意味も、より日本を豊かにするため、家を守るため、お金持ちになるため・・・大人になったら、社会をよくしていくのが役割 など)
しかし、自由という旧観念のもと、全ての判断は個人に委ねられるようになり、核家族どころか、個人単位になった生活では、生きる意味はなかなか見出せなくなっています
その上、就職活動での「自己分析」や、周りの大人からの「自分をしっかりもちなさい」などの、言葉により、周りとのかかわりよりも、生きる意味を、自分の中に見出そうとしてしまっているのです。
(参考投稿:「肩書きとしての‘個性’が「自分って何?」という観念閉塞を生み出す」)
(参考投稿:「団塊の世代の二重の犯罪性」)
そのような思考を刷り込まれた結果、周りと上手くいかなかったときや、自分が評価されないとき、
「自分(の役割)ってなに?」「なんの(生きる)価値があるの?」
と、自己中になり、悩んでしまうのでしょう 🙁
健康=元気を出せなくなっている根本原因は、この生きる意味の喪失=活力衰弱にあるのではないでしょうか
人は決して一人では生きていけません
モチロン産まれてから一人では大きくなれないし 、いつも誰かに助けられているし、必ず誰かと関わっていて、生きています
実際には、世の中のあらゆる人達が、それぞれの役割を果たしてくれているからこそ、日々の生活に必要な衣・食・住が与えられ、生きていくことが出来ていますよネ
つまり、私達は「生きている」のではなく、周りに「生かされている」のです。
(参考投稿:「生きるって何?と考えることは自己中のはじまり」)
本当の生きる意味 とはなんでしょうか?
本当に求めているもの ってなんなのでしょうか?
何が、 生きる源=元気の素 になっているのでしょうか?
私達は「生きている」のではなく、周りに「生かされている」
この辺にヒントがありそうです
続きは次回をお楽しみに
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コメント7件
イちご | 2011.02.03 21:59
水力発電には、まだまだ余力があるんですね!!
1995年代に使っていた自然の力、環境はいまだ顕在なのですね♪それを使わない手はないです!その可能性をみんなが感じることができる記事をありがとうございます☆
ちなみに、素人質問で申し訳ないのですが、「種類別発電所の稼働率」のグラフで1995年を境に稼働率が相対的に落ちてきているのは、省エネの動きからでしょうか?一度動きはじめたら止められない原子力発電についても稼働率が落ちているのは、閉鎖されているから??ちょっと不思議に思いました。
ぴのこ | 2011.02.03 22:07
待ってましたぁ~^^♪
新しく作る+これまであるものも効率を上げることで、37%まかなえるんですね!可能性感じます^^
2万ヶ所作るって、結構すごい量ですね!
それだけあれば、「発電」が身近な存在に感じられそうですね♪
それから・・欲張りな質問で申し訳ないのですが、
稼働率ってこれ以上あげることは不可能ですか^^?
原子力は80%くらいの稼動が可能のようですが、水力はメンテに手がかかるのでしょうか?
(聞いたところによると、原子力はとめられないので稼動しつつ従業員の健康に大きな犠牲をはらいながらメンテもしてるみたいなので、水力はまた事情が違うのかもしれませんが・・)
教えて下さい☆ミ
leonrosa | 2011.02.11 19:52
コメント返しが遅れました
ヘンプヒルズさんへ。
最終消費エネルギー1万ペタジュールという想定との関係ですね。この1万ペタは、電力消費量(KWhをジュールに換算したもの)とガソリンや軽油の消費量をジュールに換算したもので構成されると思います。
ガソリンや軽油の最終消費量をジュールに換算する際に、その燃焼エネルギー総量をジュール換算していると思います。これでは、KWhとの直接的な比較ができないのです。
つまり、KWhは、仕事量を現しています。500Wのモーターが2時間仕事をしたときの仕事量が1KWhなのです。電気の消費量はほぼ100%仕事量としてのジュールなのです。
対して、ガソリンの場合は、その燃焼エネルギーの2~3割程度しか、仕事量(車の走行仕事)に転換しません。
ですから、ガソリンや軽油の最終消費量の燃焼エネルギーをジュール換算した数量の2~3割が仕事量としてのジュールになります。
この問題を整理しないと、1万ペタジュールの中での、電力の役割分担(比率)が固定できないのです。
そのため、今回の水力シリーズでは、電力のうちどれくらいが水力発電で賄えるのかとして考えてみました。
確かに、1万ペタジュールの中身をもう一段精査する必要がありますね。
イちごさん、コメントありがとう。
1995年以降、発電所稼働率が軒並み落ち込んでいるのは、経済成長が止まり、電力消費が落ち込んでいるのが大きいです。発電所は実は余っているとも言えます。その上で、原子力発電所の稼働率が落ちているのは、事故で止っている発電所があるためですね。
ぴのこさん、コメントありがとう。
水力発電所の稼働率を原子力発電所並の80%にするのは、なかなか困難なのです。
河川を流れる水量は変動があります。雨が沢山降る時期、雪解け水が多い時期と、渇水時期があり、一年365日、フル稼働が難しい構造にあります。ですから、既存の大型水力は65%位が最大稼働率かと思います。
一方、これからつくる中小水力は、常時流れている流量を前提にして計画しますので、稼働率は70%以上で想定しています。因みに、中小水力の一つである「立山アルプス発電所」の事業計画では、稼働率は7割と想定しています。
ヒロトシ | 2011.05.04 21:02
コメントを入力してください
水力発電の稼働率わかりやすく説明されていました。ありがとうございます。
胆沢ダムの地元で自然保護活動をしております。
小さいことてすが、説明の中で1955(昭和35)とありましたが、1955年は昭和30年です。
ohotodo | 2011.06.29 13:38
はじめまして
太陽光発電と水力発電は互いに補完する効果がありますね。渇水時と雨続きの時に
Satomi | 2013.11.25 1:40
ヒロトシさんへ。
同感です。太陽光パネルを設置したのですが、大雨では発電しません。
その代わり、雨水がトイの中を勢いよく流れます。
これを利用できるといいのですけれど。
ヘンプヒルズ | 2011.02.03 14:19
日本の地理特性にもっとも合う水力発電の利用率が低いのも、結局は背後にいる金貸しの意向に沿った原子力誘導の政策のためですね。
でも、今回の記事で、水力発電の可能性が具体的に示され、今後の展開に期待がもてます。
ところで、
>水力発電で、電力供給の37%が賄える>ということですが、このブログで提示している
>2030年時点のエネルギー必要量は、10,000PJ(ぺタジュール)、1975年の消費量に相当しています。>http://blog.sizen-kankyo.net/blog/2010/06/000737.html
からいうと、どのような関係、比率になるのでしょうね?
産業(35%)、運輸(27%)、民生(38%)の各部門のエネルギー量のうちの電力量の割合から、水力の利用可能性が示されれば、もっと具体化しますね。
そのあたりが、次回の『ロードマップ』にでてくるのか楽しみです♪
(追伸)
その前に、電力量とエネルギー量の換算や、水力と他の発電との出力と入力の成績係数(効率)の違いも難しいですね(うーん。。。)