2011-08-14

素人が創る科学の世界~【素粒子】1~プロローグ 『量子力学的解釈は不思議なままで済まされるのか?』

%E9%87%8D%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%A1%9D%E7%AA%81%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90%E3%81%8C%E5%87%BA%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8B%E6%A7%98%E5%AD%90.png
素人が創る科学の世界~プロローグ『科学的認識はすべて仮説、その神格化が創造の壁』で予告したとおり、このシリーズでは【宇 宙】【光 子】【重 力】【電磁力】【素粒子】などの物理世界を扱います。

その理由は、地震メカニズムの解明や、新しいエネルギーのありかたなど、直面する現実課題を突破していく必要のある現在、それらを解明していくために必要な、地球の内部構造、電磁波の影響、そこから派生する宇宙論や量子論など、いまだに良くわかっていない課題は山積みだからです。

重イオンの衝突から素粒子が出てくる様子


画像はここからお借りしました



今回から、複数のテーマの一つである【素粒子】の世界の解明をスタートします。このシリーズを通して、素粒子に関する基礎理論をその発見の歴史を踏まえて紹介し、それらの思考法の矛盾点を発掘した上で、同化思考に基づき電磁波の解明につながるような新しい仮説を提示していきたいと思います。

そこで【素粒子】のプロローグとして、『二重スリットの問題』を題材に、不思議な量子の振る舞いとその解釈について見ていきます。このテーマについては、すでに【光 子】の追求グループで記事にされています。

素人が創る科学の世界~【光 子】1~二重スリット実験から見る量子論の不思議(前編)

素人が創る科学の世界~【光 子】2~二重スリット実験から見る量子論の不思議(後編)

です。ここでは、

①見えない物理世界の不思議な現象と整合するように、数式などの言語を使って正確に記述する方法。

②日常感覚と異なる不思議な部分に注目して、それを日常言語から比喩的に説明する方法。

が混在しています。

①の、不思議な現象事実を不思議なまま記述するのは正しい同化の方法だと思います。また、なぜそうなるのか?がわかっていない不思議な現象を前提とした量子力学は、その不思議なまま正確に記述するという科学的方法のおかげで、携帯電話を始め、電子機器開発などに大きく寄与しています。

ところが、②の不思議な部分に注目して、それを日常言語から比喩的に説明するような解釈方法を見ていると、不思議なままで済まされるのか?という疑問につきあたってしまいます。このような解釈は、『不思議さ』=『実感の薄さ』=『確信度の弱さ』を増長させるだけです。

そして、この②の方法が、専門書も含めた多くの解説書で採用され、まともな思考を阻害しているのが量子力学の現状ではないかと感じています。

コペンハーゲン解釈では、粒子は波のように広がった存在で、その位置も運動状態も無数の可能性が重なり合った状態にある。
しかし、それを観測すると同時に波が収束し、ほかのすべての状態が姿を消し、観測で得られた状態で粒子が現れる。

などは典型で、普通の人には理解できない記述になっています。これがわからないのは、専門知識がないからだとするのであれば、これは科学者の放漫でしょう。
このような状況の中で、ここを突破するには、まず観測事実をもとにした思考の点検が必要ではないかと思います。これには、解釈の前提となる暗黙の認識方法の次元にさかのぼって考える必要がありそうです。

そこで、今回はこのような思考の問題点を整理して、これから続く【素粒子】シリーズの課題を探っていきたいと思います。これを平たく言うと『量子力学的解釈は不思議なままで済まされるのか?』ということになります。

それでは不思議な世界を覗いて見ましょう

 にほんブログ村 環境ブログへ

☆☆☆スリット問題は何が不思議なのか?

二重スリット実験は、電子のような小さな世界では、どんな物理的法則がなり立っているのかを示す実験として、量子力学の説明はよく出てきています。そこでは、量子(≒粒子)としての性格と、波としての性格の二重性が注目されます。

☆量子(≒粒子)としての性格

電子はある実験によって、最小の電荷というものを持つことが分かっています。つまり、測定できる電荷は、最小電荷×電子の個数(整数)という値をとり、最小電荷より小さな中途半端な値はとらず、とびとびの値(整数倍)をとることになります。これは光子(≒光の構成要素とされている)についても同じです。

☆一つ目の不思議『粒にもかかわらず波としての性格をもつ』


波としての性格は、波打っている電子を直接観測したわけではありません。右図のように、2つのスリットを通過した電子は、この実験を水面の波で実験(スケールは異なりますが)したときの干渉縞と似ているので、波としての性格をもつと考えられています。

ところが、パチンコ玉や機関銃のような本当の粒で同じ実験(スケールは違いますが)を行うと、スリットを中心にそれから遠ざかるほど壁面の到達痕がすくなくなるような跡ができます。

画像はここからお借りしました

決して、縞模様にはなりません。でも、粒状に電荷が測定される電子では、まったく異なった痕が出来るのです。

☆二つ目の不思議『一粒でも波の性格を持つ』


一つ目の不思議では、たくさんの電子が干渉しあって縞模様を作るのでは?と直感的に思ってしまいます。しかし、図2のような装置で電子を一個発射し壁に到達してから次の電子を発射するという実験を行っても、同じように干渉縞ができてしまいます。

これは実感とまったく合いません。粒状のものが一粒だけで、『何か』と干渉して波のような干渉縞ができることが実感と合わず、不思議な感じを抱かせるのです。

画像はここからお借りしました

☆☆☆量子力学ではこの不思議さをどう考えているのか?

量子力学で、電子一個でも干渉縞が出来る現象を、


事象1)電子銃から発射された電子はスクリーン上で「点」として出現した。

→電子は位置を持った「粒子のような存在」である。

事象2)最終的にスクリーン上には「干渉縞」が出現した。

→「干渉縞」という模様は、スリットA、Bの両方が関係している場合に出現するもの。

ということは、電子は空間的な広がりを持ち、2つのスリットを同時に通り抜けられる「波のような存在」である。

この2つの結果を素直に受け止めると、「電子は波のような、粒のような存在」となりますよね。


のように、解釈しています。これはあくまでもコペンハーゲン解釈という量子力学の創生期の解釈論で、いまではこれと異なる解釈も出ています。しかしながら、問題の本質を探るには最適の題材なのではないか?と考えています。

この前提となるのが、電子くらいの大きさになると、それがどこにあってどのような運動をするのかについて、両方同時に測定できないという測定限界理論です。これを『不確定性原理』といって、今の人間の技術力や認識力の限界を素直に受け入れた理論です。

これをそのまま受け入れて、わかない部分はあるが、何かの実態はあることを前提に謙虚に論理構築すればいいのですが、この原理にこだわりすぎて、強引に『観測される前は波であり、観測されると粒子になる』というようなあまり根拠に無い論理にしてしまったのかなぁと感じてしまいます。

これらを、大雑把に簡素化してみます。

① 2つのスリットから飛び出していく何かがあるから干渉縞が出来る。
② それは波のような性格をもつ。
③ しかし、発射したの一個の電子である。
④ それが干渉するためには、一個の原子が何らかの形で2つのスリットを通ったに違いない。
⑤ だから、電子はその途中で確率的存在になって粒と波の中間的な『電子は波のような、粒のような存在』である。

ということになります。普通の感覚では理解できないですね。

これらの推論の、もうひとつの根拠として、『電子一個を発射したとき、スクリーン上に到達する確率分布が干渉縞の形になっている、だから確率の波なのだ。』というものがあります。しかし、もともと波のような干渉を起こす現象を数式化すると、ある確率分布になっているという発見の順番なので、この根拠は同語反復のように思えてなりません。

ではなぜこのような、不思議な論理になってしまったのでしょうか?

☆☆☆要素還元主義から来る矛盾を、要素還元主義で説明しようとする思考矛盾

近代科学は、要素還元主義という探求手法がその主軸になっています。それは、あるものを細かく分解していけばその本質が分かるであろう、という思考法です。例えば、分子や原子など、どんどん細かいものに入った観測を元に、物質の本質を説明しようという考え方です。

しかし、実際には、細分化された情報だけから全体の本質を見通すことなどできず、要素間のつながりが作り出す全体性は極めて重要です。この全体性は、要素還元的な探求を組み立てるバックボーンとして無意識のうちに取り込まれてきた側面はありました。

しかし、それが大きな問題になる領域の研究は、さほど注目を集めていなかったので、意識的にその問題意識をもとにに対象に迫るという思考法は、捨象されてきたというのが実態でしょう。そして現在、やっと複雑系と言われる領域などで、この問題意識からの研究もはじまりましたが、まだまだ歴史が浅く、問題を解決する強力な武器にはなっていません。

実はこの問題自体が、量子力学的解釈を複雑にしているのではないか?と思っています。

☆真空という概念は正しいのか?

『電子は波のような、粒のような存在』であるとか『一個の原子が何らかの形で2つのスリットを通った』とかの発想は、実態は電子そのもので、それ以外は『無』若しくは『何の影響も与えない空間』であるという認識が前提にあります。これは、真空という概念と同じで、物質の無い宇宙空間は真空であり、それはそこに存在するものに何も影響を与えないという前提です。

これを概念的に捉えなおすと、分解していく対象としての要素が原子や電子で、それ以外の全体性は真空という概念で捨象しているとも考えられます。そして、地球上でも原子レベルとなると、真空部分に物質(原子など)が飛んでいて、物質のない部分は、なににも影響を与えない真空の空間であるという認識をしています。

しかし、もしこれが違っていれば話は変わります。現に、真空という概念が創出されて以降に、宇宙空間には様々な素粒子やエネルギーが充満していることもわかってきています。

例えば、電子は粒子状の点に存在する一定の電荷と、その周りの空間(真空)に、もっと大きな波状に影響を及ぼす空間的広がりを持ち、その波の方だけが2つのスリットを通して干渉し、その中にある電子の軌道に影響を及ぼすと考えることが出来ます。これは、波は分割できるが粒子は分割できないという観測事実とも合います。

つまり、何らかの影響(エネルギーや力など)を伝える媒体としての新しい真空というモデルの挿入によって、量子的振る舞いを理解していく、という試みです。そうすると、『一個の原子が何らかの形で2つのスリットを通った』などというわかりにくい話しは無くなります。ちなみに、ファインンマン博士は、場の量子論というこれに近い発想で問題を整理しています。

このように、要素還元主義から来る全体性の捨象という矛盾を、要素還元主義で説明しようとする思考矛盾が量子力学の不思議さの正体なのではないかと思います。

☆☆☆世界をどのように見るのかというモデルそのものの創造が求められている

このような仮説は、一見トンデモのように見えますが、実は科学的認識の真髄はこのような世界を読み解くモデルの創造そのものにあると考えています。このモデルの正しさを実証せよというのは不可能です。しかし、今の量子論や宇宙論もまったく同じ構造をしていています。

たとえば、誰も原子の存在を見たこともないけれど、その極めて断片的な情報から、今の原子モデルを創造して、あたかも見てきたかのような理解をしています。また、銀河系宇宙すら極めて断片的な観察情報しかないにもかかわらず、膨張してい宇宙モデルで理解しているのです。

そう考えると、量子や宇宙に関して、観測事実とより論理が整合する新しいモデルの創出こそが突破口になるのだと思います。

☆離れていても、重力や電磁力がなぜ伝わるのか?も『場』という観念上のモデルで理解している

ところで、真空はなにも物質に影響しないという観念も、実は正確ではありません。ニュートンが万有引力を提示したころ、何も無い空間(真空)を介して遠隔操作で力が伝わることに対して疑義を唱えた科学者はたくさんいました。そこでの新しい提案は、エーテルという力を伝える物質があるのだというものでした。

この時期は、マクロな物質は観察対象となっていても、原子や素粒子などは発見されていなかったので、あくまでも物質の一部としてのエーテルという観念でした。しかし、その後、宇宙空間には物質は無いということもわかり、この考えかたは否定されました。しかし、このときも、宇宙空間に素粒子などが充満していることはわかっていない時期です。

そして、その後マックスウェルにより電磁波が発見され、これも遠隔操作で力を及ぼすことがわかりました。これらの遠隔操作の矛盾を理解するために考案されたのが『場』という観念です。重力場・電場・磁場・電磁場など、空間の中にそれらの力が作用する座標と力線を想定するというまったく観念的なものでした。

しかしこれ以降、実態と観念の区分が省みられることはほとんど無く、誰も遠隔操作に疑問を持たなくなりました。その結果、何で電磁波は真空中を進むのか?のような疑問はいまだにスッキリしないままなのです。

☆『場』という観念の実態に迫ることが本当の課題

そうすると、量子的な点に存在する電荷やエネルギーと、それを伝える『場』である真空を、より実態に近い媒質として扱い、その特性をもっと精緻に組み立てモデル化することが、これら難問を解決する本当の課題ではないかと思います。この発想にいたるためには、今までの量子論も測定事実以外は見直す必要があります。これは、電磁波がどのように空間を伝わっていくかという問題にも繋がります。

そのきっかけとして以下のような事実も知っていくと心強くなると思います。

量子力学のさきがけをになったマックスプランクさえ、数式で光の粒子性を発表したにもかかわらず、それはあくまでも現実の現象理解のための方便(モデル)であり、実態がそうなっていたとは考えていなかったのです。

これらの基本認識をもとに、それでは次回から具体的な追求に入っていきます。

お楽しみに

List    投稿者 sinsin | 2011-08-14 | Posted in C.素人が創る科学の世界, C02.素粒子(量子・光子)No Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2011/08/937.html/trackback


Comment



Comment