物質と生命2~物質と生命を分かつものは「死と再生」である!?
先週に引き続き、実現塾での物質と生命にかかわる議論をベースに追求してみたい。一般的に、物質はエントロピー増大の法則に従い拡散する一方であるのに対して、エントロピー増大の法則に抵抗して、恒常性を保ち、秩序化していくのが生命であるといった対比で理解されている。
そしてこの恒常性を保ち続けるためなされている、「代謝と分裂」を「生命現象」の特徴として挙げるのが教科書的理解となる。それに対して、実現塾では「再生」こそが生命現象の本質ではないかという仮説が提起された。この仮説について考えてみたい。
確かに教科書は「生命に固有な現象は代謝と分裂」であるという。しかし、外界からエネルギーや部材を取り入れる代謝活動で恒常性を保っているというのなら、太陽系が、銀河系から宇宙放射線の電磁エネルギーを受け取って、それによって螺旋運動を安定的に持続させている現象は、まさに「太陽系全体が代謝活動を行っている」とみることもできる。地球の自転運動も同様に理解できるし、地球において形成されている海洋循環や大気循環はもちろん、海洋と大陸の間の雨や熱の循環も同様に理解することができる。
また分裂についても、マグマが結合、冷却してできた鉱物が、プレートを構成したり、割れて、新たなプレートが出来上がっていくのは「分裂現象である」といえなくもない。もっと単純には核分裂は分裂そのものである。
このように「代謝と分裂」を「生命現象」の特徴として挙げる教科書的理解は穴だらけである。
改めて、物質と生命を分かつ生命の特異性は何か?
「モノは壊れる、人は死ぬ。三つ数えて目をつぶれ」とは私の好きな歌の一節である。
「壊れる、死ぬ」の共通性にだけ目をやれば、ニヒリズムに陥るが、実は差異もある。
つまり「死は再生とセット」であって、単により細かなモノに分裂していくだけのモノの「崩壊」とは似て非なるものであるという点だ。
サイエンスライターの柳澤桂子さんはこのように説く。
「死は生の終着点のように思われているが、決してそのようなものではない。死は生を支え、生を生み出す。受精の際には、たくさんの精子が死に、残された1つの精子によって生命が誕生する。1つの生のためにおびただしい数の死が要求されている。死は生とおなじようにダイナミックである。」
http://www.aritearu.com/7poems/Yanagisawa_Keiko/Life_Science_Yanagisawa.html
私たちは「生まれ変わるために死ぬ存在」であり、核分裂し、エネルギーを放出しながら崩壊していく「物質とは異なる」といえそうだ。
しかし、この「生命と物質の本質的な差異は’死と再生’にある」とする説も完全とは言い難い。おそらく、ブラックホールの存在が暗示しているのは、宇宙規模での「死と再生」の可能性である。
そうすると、本質的にはやはり「生命と非生命の間には明快な境界などない」ということになる。物質から生命が誕生したとすれば、その境界が曖昧であることはある意味あたりまえであろう。
しかし物質世界の「死と再生」は宇宙規模の途方もない時間の中での現象であるのに対して、生命は今この瞬間にも「死と再生」を繰り返している。つまり、生命の時間軸からすれば無限ともいうべき時間において、物質現象と生命現象は反転するという風に理解すればいいのかもしれない。
次回は、何故、生命は「死と再生」という現象へ突き進んだのかについて考えてみたい。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2019/07/4159.html/trackback