2011-03-31

東北地方太平洋沖地震~原発は必要か否か17~「原発キャンペーン=騙し」による洗脳という事実

今回の福島原発の問題を受け、原子力エネルギーの危機を感じ、
「なぜ、このような危険なものが、推進されてきたのか?」
という、疑問がみなさんの中に高まっていると思います。
昨日に続き、その事実を、今日は投稿していきたいとおもいます
私達の兄弟ブログ、
「日本を守るのに右も左もない」リンク)が、2009年に特集していたものを、昨日に続き、今日は紹介します。
「日本の原発導入の歴史3 ~日本の反米世論操作~」
「日本の原発導入の歴史4 ~隠蔽される事故情報~」
原発、エネルギー問題は、食品と違い自ら選択できないもの。
だからこそ、みんな当事者になってく必要があります
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今回は原発導入に対する国内世論について書いていきたいと思います。 8)
では、日本の原発導入の歴史2 ~アメリカ側の事情~ でも書かれていた正力が行った反米世論の沈静化の具体的な手法とは
1.読賣新聞による原子力平和利用キャンペーン
 正力は、讀賣新聞を使って、原子力平和利用というテーマを繰り返し取り上げます。特定の政治課題をメディアで繰り返し取り上げることによって有権者に重要だと思わせることをプライミングと呼ぶそうなのですが、まさに1955年の讀賣新聞は、原子力平和利用というテーマを重要な政策課題だと思わせる役割を担いました。
1955年の讀賣新聞の見出し は・・・・
1月 1日 米の原子力平和使節ホプキンス氏招待
に始まり、
5月15日 ウラニウム、近く自由販売に ハフスタッド博士昼食会で語る
まで、なんと5ヶ月の間に、28記事も (平均5日間に1回 )掲載しています。
「有馬哲夫氏の『原発・正力・CIA』より抜粋引用」
2.日本テレビによる原子力平和利用キャンペーン
 1952年に正力が手に入れた新たなメディアである日本テレビでも、1955年以降、原子力に関する様々な番組が放映されました。
さらに、テレビでも・・・
1955年 2月 「原子力の平和利用」(日本テレビ報道部製作)放送
1955年 3月 映画『原始未来戦』放送
1956年1月 新春座談会「原子力を語る」、日本テレビで放送
1956年 5月 「原子力発電の技術的諸問題講演会」(東京會舘)、放送
1957年 1月 「脚光をあびる原子力平和利用座談会」、日本テレビで中継
1957年 5月 「日米原子力産業合同会議」、日本テレビで中継
1957年 9月 正力、来日したロイ・ディズニーに『わが友原子力』の日本での放送を申入れ
1957年 9月 「原子力第一号実験炉完成祝賀会」、日本テレビで中継
1957年12月 ディズニーと日本テレビの間で『わが友原子力』放映契約成立
1958年 1月 日本テレビ、『わが友原子力』を放送
「有馬哲夫氏の『原発・正力・CIA』より抜粋引用」
3.讀賣グループによる原子力平和利用博覧会
 「博覧会」というメディアも積極的に原子力プロパガンダに利用されました。第五福竜丸の被爆事故以来、アンチ原発に傾いた日本の世論を巻き返したい米国の全面サポートのもと、正力率いる讀賣グループは、1955年11月から「原子力平和利用博覧会」を開催します。

合衆国情報局がこれまでのノウハウの全てをつぎ込み、満を持して挑んだ「原子力平和利用博覧会」が11月1日から12月12日までの六週間にわたって開かれた。(略)「原子力平和利用博覧会」はCIAも合衆国情報局も讀賣グループも驚く大成功を収めた。(略)12月12日に42日間の会期を終えたときには、博覧会の総入場者数(讀賣新聞発表)は36万7,669人にのぼっていた。(略)アメリカ情報局は入場者にアンケートをとっていた。それによればこの博覧会の前と後では次のような変化があったとしている。
(1)生きているうちに原子力エネルギーから恩恵を被ることができると考える人
    76パーセントから87パーセントへ増加
(2)日本が本格的に原子力利用の研究を進めることに賛成な人
    76パーセントから85パーセントへ増加
(3)アメリカが原子力平和利用で長足の進歩を遂げたと思う人
    51パーセントから71パーセントに増加
これに対し、ソ連の原子力平和利用については19パーセントから9パーセントに減少
(4)アメリカが心から原子力のノウハウを共有したがっていると信じる人
    41パーセントから53パーセントに増加
(略)原子力に対する日本人の考え方、またこれと絡めてアメリカ人に対する考え方を変える上でこの博覧会は絶大な効果を発揮したのだ。
「有馬哲夫氏の『原発・正力・CIA』より抜粋引用」

 このようにメディア王である正力は、CIAと一体となって、新聞、テレビ、博覧会などあらゆるメディアをフル活用して、原子力推進の機運を高めたのでした。 👿
 1955年12月原子力基本法が保革全議員の署名を得て議員立法として成立し、初代委員長に正力松太郎が就任。翌年、正力は原子力による産業革命をスローガンに総選挙に出馬し、一年生議員であるにもかかわらず、保守合同後の自民党鳩山政権の国務大臣に抜擢された。正力は、原子力委員長と科技庁長官のポストを手にして、原子力推進の権限を独占した。
 そして1957年8月日本初の研究用原子炉導入、1963年6月日本初の動力試験炉運転開始、1966年7月日本初の商業用原子力発電所東海1号炉営業運転開始に至る。
 1950~1960年当時、原子力世論の是非に関する世論調査は特に行われなかったものの、上記の世論操作により、推進一色に染め上げられた。
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 1970年代に入ると、原子力発電所の建設は計画通りに進められていたものの、他の公害問題と並んで原子力発電所の設置に対する反対運動が起こり始めた。1974年には、原子力船「むつ」の放射能漏れやその修理費等により国民は国の原子力開発政策に対して少なからず不信感を持つようになったが、1973年の石油危機の経験から、人々が石油代替エネルギーである原子力発電に期待したことで、推進に賛成する人の割合は反対する人の割合を上回っていた。
 しかし1979年のアメリカのスリーマイル島における原子力発電所事故 は、国外の事故であったにもかかわらず日本の世論に影響を与え、図のように賛成5ポイント減、反対5ポイント増
となった。しかし依然として賛成の割合が反対の2倍近くとなっている。
 1981年に敦賀原子力発電所において、一般排水路から放射性物質が検出される事故が起き、同時に隠ぺい工作が明るみに出るなど、原子力に対する不安・不信から賛成と反対の割合は近づいていくことになる。そして1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故 が旧ソ連で発生し、原子力に対する反対運動が強まり、日本の世論も初めて反対の割合が賛成の割合を上回ることになった。 🙄
 その後も1991年美浜原子力発電所、1995年高速増殖炉「もんじゅ」、1997年東海村アスファルト固化施設で事故が起きたが、これとは別の要因でエネルギー政策に関わる問題が注目を集めてきた。それが地球環境問題であり、とりわけ地球温暖化問題に対する世界的な関心の高まりである。
これによって、賛成、反対の世論の割合は近づいていくのである。

「日本の原発導入の歴史3 ~日本の反米世論操作~」より
推進キャンペーンで国民を洗脳し、1960年代までは上手くいっているように見えたけれど、問題を孕んでいる原発のボロが出始め、『地球温暖化』を取り上げ・・・
問題のすり替え、ついには隠蔽へとシフトしていきます 😡
今やネットが普及し、今回の福島原発の事故についての発信も多く見られますが、1990年代までは情報源が新聞やテレビに限られていることで、たくさんの原発事故が起きているにも関わらず、事実の隠蔽され続けていました。

日米協力した世論調査の結果、1970年代には、やっと軌道に乗り始めた原発導入が、1979年のアメリカのスリーマイル島における原子力発電所事故、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故等を経て、原発事故の恐ろしさが知られるようになって、原子力に対する反対運動が強まり、日本の世論も反対の割合が賛成の割合を上回るようになって行きます。
 その結果、最近では、海外で大きく報道されている事故さえ、日本では報道されないことが続いています。
 今回はそういう日本での事故情報隠蔽の実態とそれが海外でどのように受け取られているかを探りたいと思います。
スウェーデン原発事故と日本のメディア・NGO

 2006年8月5日付けで独立系メディア「今日のコラム」が報じたスウェーデンの原発事故(10基中4基が停止)は、ニューヨークタイムズ、タイム、ガーデアンなど欧米の主要メディアが大々的に報ずるなか、日本のマスメディアはまったく報ぜず、その後も日本の主要新聞の記事が皆無(青山が確認した限り)という異常な事態が続いている。
 どういうわけか、日本のマスメディア(主に新聞、テレビ)はこの種の原発事故や核廃棄物再処理事故に係わる問題に押し黙っている。
 もっぱら、これは今に始まったことではない。
 筆者(青山貞一)が6回に分け詳報した英国の核廃棄物再処理工場セラフィールドで起きた大事故ですら、ごくごく小さなベタの記事が通信社経由ででたたけだ。
 膨大な量のプルトニウムが流出した大事故にもかかわらず、日本の大マスコミは一様に押し黙ったのである。
 これは河野太郎衆議院議員(自民党所属)が自身のブログ(以下参照)で明言するように「電力会社の広告宣伝費がそれだけマスコミにとっておいしいという」ことなのだろうか? 

2007年7月16日、中越沖地震発生。柏崎刈羽原子力発電所は、原発史上かつてない巨大な揺れに襲われました。
 この地震は、原発大国日本が、核事故に対する備えが不十分であるだけでなく、情報を隠蔽する体質を持っていることを世界中に知らしめることとなってしまいました。

想定を遙かに超える揺れ。その時、原発内で何が起きていたのか。
揺れの直後、稼働していた4つの原子炉は緊急停止。しかし、想定外の出来事が次々に起きた。
地震で壊れた変圧器から出火。消火栓が壊れるなどして消火体制がとれなかった。
管理区域から、微量の放射性物質を含む水が漏れ出していた事も発覚した。

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中越沖地震発生時の柏崎刈羽原子力発電所の様子。
柏崎刈羽原発・中越沖地震による原発事故

この事故は世界的に見ても大変恐ろしい事故です。
なぜなら、柏崎刈羽原発の出力はチェルノブイリの原発4号機の8倍以上。
柏崎刈羽原発で重大な事故が起きた場合、日本どころかロシア・中国・中東・ヨーロッパにまで放射性物質を撒き散らしてしまうかもしれない可能性があります。
放射能は2万年以上消えないといわれています。
事故当時の各国のメディアでは、
施設から大量の水蒸気のようなものが空へと噴射されている様子やアスファルトの地面が大きく隆起して波打っている様子など、事故の甚大な被害を物語る映像が流されていたのに対し、
日本のメディアの報道では、施設から黒煙が上がっている映像しか流されておらず、これは当初の東京電力の「放射能漏れはない」という発表が最初にありきで編集されたと見られています。
また、日本政府が、調査の申し入れをしてきた国際原子力機関(IAEA)の査察を断り、2007秋以降に受け入れを検討するという意思を表明するという不自然な態度も疑問視されています。
重大な何かを隠しているのではという声もあります。

2007.07.18 原発事故は人災です

 16日の地震発生以来、全世界の目が「柏崎刈羽原発」に向けられてて、海外メディアは、こぞってトップニュースとして扱ってるけど、カンジンのニポン国内では、異常とも思えるほど報道されてないし、その危険性も伝えなれてない。これは、明らかに、政府による情報操作以外のナニモノでもない。
あたしは、今回の事故が発生してから、CNNやBBCのニュースをずっと見てるけど、地球上で最大の原子力発電所が「放射能漏れ」の事故を起こしたんだから、世界中のメディアは、当然のこととして、連日、トップニュースとして報じ続けてる。だけど、カンジンの事故を起こしたニポンでは、まるで奥歯にモノのはさまったような報道しかされていない。そして、事故から2日経っても3日経っても、被害状況の全貌はいっこうに公表されない。
CNNでは、ニポン国内で正しい情報が公開されないことに対して、「政府と東京電力による悪質なインペイ工作」だとして厳しく批判している。そして、過去の原発事故の例を列記して、「原発事故が起こるたびにニポンの電力会社と政府は情報をインペイし続けて来た」ということを指摘した上で、「このインペイ体質がなくならない限り、原発大国ニポンの放射能事故はなくならないだろう」ってマトメてる。
BBCでは、世界に核廃止を訴えるべき立場の「世界で唯一の被爆国であるニポン」が、「狭い国土の中に55もの原発を林立させた核大国」になってしまった異常さや、自分の国が落とされた原爆の何千発ぶん、何万発ぶんにも相当する原子炉に対して、まったく危機管理ができていない異常さ、危険な原発の周りに平気で住民が住んでいる異常さについて言及してる。そして、それは、政府が情報をインペイし続けて来たことの結果だと言ってる。

「日本の原発導入の歴史4 ~隠蔽される事故情報~」より
原発という危険なものが推進される過程にあった「騙し」と「隠蔽」の構造をお分かりいただけましたでしょうか
今は、新聞やテレビと違って、ネットの普及によって、マスコミだけではなく一般の人たちの発信にみんなが広く触れられるようになっています
が・・・ネットにはたくさんの情報が溢れ、「何のサイトをみたらいい??」と皆が迷っています
だから、原発の危険な状況を発信している人に対して、
「不安を煽るようなことはするな」
「安全と言っているんだから安全だろう」
と問題を捨象するような動きさえも出てきてしまっています
                 
今、日本に必要なのは、「必要か否かの判断」が出来るようになるかどうか。
洗脳のための原発推進キャンペーンを受け入れ、
事実が隠蔽された中で原発を受け入れてきた日本。
過去なんでも受け入れてきた体質の日本は、パラダイム転換の岐路に立っているのかもしれません。
問題を捨象せず、みんなが「原発・エネルギーどうする?」の当事者になっていくことが必要になっています

List    投稿者 staff | 2011-03-31 | Posted in F04.東北地方太平洋沖地震~原発は必要か否かNo Comments » 

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