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健康=元気の素ってなんだろう?10~最終章:人はみな「生かされている」

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こんばんわ
「健康=元気の素ってなんだろう?」シリーズも、いよいよ最終章です
(シリーズを読み直したいかたは、ココ(リンク [1])をみてくださいネ
みなさん、今まで
「生きるってなんだろう ?自分ってなんだろう?
って、考えたことありますか?
たぶん・・・みなさん、一度はあるのではないでしょうか 😉
今日は、その問いに答えちゃいます 😀
その問いの答えが・・・健康=元気の素に繋がっていくのです
続きを のあとに どうぞ
ありがとうございます
P.S 「このトップにあるイラスト、可愛い~ 」と、思った方は、ここをクリック [2]
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昨日なんでや劇場で、「自分って何?生きるって何?」を聞いた。
『自分の中身も、生きる意味も、みんなの中にある』という言葉が頭に残った。
権利やお金を得ても充たされるわけじゃない。
誰だって、人に期待されて、応えて、評価されて、生きている実感=充足を得たい。
『男も女も全ての人も、みんなお互い充たし合う為に存在している』
『人類の最大の活力源にして最高の充足源は、期待・応望である』
だから、子供も、老人も、障害者も、誰でも、一番根源的な所でみんなの力になれる=役に立てる=存在理由がある!
なのに、「自分」や「個性」という言葉はまるで、それを求めないと人間としてダメである(生きる価値がない)かのように、人を追い詰めてゆく。みんな本当は、みんなと同化したいのに・・・。
>自我回路より共認回路の方が充足できる
『“自分”から“みんな”へ。』
新しい規範の原点は、ここなのかもしれない。

「“生きる意味”は、みんなの(期待に応える)中にある」 [3]:るいネットより)
昔は、「生きるってなに?」「自分って何?」と、考えることもありませんでした
なぜなら、やるべきことも、生きる意味も、自らの役割も、規範や集団があったから、存在していました
(勉強する意味も、より日本を豊かにするため、家を守るため、お金持ちになるため・・・大人になったら、社会をよくしていくのが役割 など)
しかし、自由という旧観念のもと、全ての判断は個人に委ねられるようになり、核家族どころか、個人単位になった生活では、生きる意味はなかなか見出せなくなっています
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その上、就職活動での「自己分析」や、周りの大人からの「自分をしっかりもちなさい」などの、言葉により、周りとのかかわりよりも、生きる意味を、自分の中に見出そうとしてしまっているのです。
(参考投稿:「肩書きとしての‘個性’が「自分って何?」という観念閉塞を生み出す」 [4]
(参考投稿:「団塊の世代の二重の犯罪性」 [5]
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そのような思考を刷り込まれた結果、周りと上手くいかなかったときや、自分が評価されないとき、
「自分(の役割)ってなに?」「なんの(生きる)価値があるの?」
と、自己中になり、悩んでしまうのでしょう 🙁
健康=元気を出せなくなっている根本原因は、この生きる意味の喪失=活力衰弱にあるのではないでしょうか
                   
人は決して一人では生きていけません
モチロン産まれてから一人では大きくなれないし 、いつも誰かに助けられているし、必ず誰かと関わっていて、生きています
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実際には、世の中のあらゆる人達が、それぞれの役割を果たしてくれているからこそ、日々の生活に必要な衣・食・住が与えられ、生きていくことが出来ていますよネ
つまり、私達は「生きている」のではなく、周りに「生かされている」のです。
(参考投稿:「生きるって何?と考えることは自己中のはじまり」 [6]
                   
本当の生きる意味 とはなんでしょうか?
本当に求めているもの ってなんなのでしょうか?
何が、 生きる源=元気の素 になっているのでしょうか?
私達は「生きている」のではなく、周りに「生かされている」
この辺にヒントがありそうです
続きは次回をお楽しみに

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