『科学はどこで道を誤ったのか?』(11)~“観念の絶対視”が近代科学技術の根本問題~
いよいよ、『科学はどこで道を誤ったのか?』シリーズも11回目を向かえました。
今回は次回の最終回に向けて、これまでのエントリーのうち、近代科学技術の発展の歴史を扱った(7)、(8)、(9)、(10)を改めて整理し、近代科学技術の歴史を通じた根本問題に迫りたいと思います。
◆ ◆ ◆ “現実と乖離した観念のみ”で体系化されていく過程が近代科学技術の歴史
◆ 現実と乖離した観念(=数学)に自然を置き換え法則化することを優先した時代(17C) (シリーズ7)
近代の科学者たちは自然をあるがままに観るのでは無く、数学的形式にあてはまるように(都合よく)現実には存在しない抽象概念を創出しました。そして、事物の本質の探究よりも、数学的表現を用いて現象の定量的法則の確立を優先させたのです。
自然認識における近代への転換を象徴しているのが、ガリレオの実験であった。
滑らかな斜面を用いることで落下時間を引き延ばして時間の測定を容易にし、かつ空気抵抗の影響を低減させることで自然界には存在しない真空中での落下という理想化状態に人為的に近づけてなされたその実験の目的は、それまでの魔術師による自然の模倣としての驚異の再現や技術者による試行錯誤を通じてのノウハウの改良ではなく、時間と空間の関係としての定量的法則を確立することであった。【ガリレオ】※【福島の原発事故をめぐって 山本義隆著】より引用
ガリレオは、物体は「なぜ」落下するのか、さらには落下のさいに「なぜ」加速されるのか、というそれまでの自然学の設問それ自体を退け、物体は理想と考えられる状況において「どのように」落下するのかという問題-落下の様態の数学的表現の確定- に自然科学の守備範囲を限定したのである。
またニュートンは、万有引力の法則を数学的に定式化したが、重力の本質(なぜ引き合うか)を明らかにせず、自ら棚上げにした。【ニュートン】※【一六世紀文化革命 山本義隆著】より引用
自然認識は近代以前から古今東西に存在しますが、数学による自然の記述に偏向したのは近代に入ってからです。
「自然の言葉は数学で書かれている」というガリレオの発言に象徴されるように、自然界を数量化できるという幻想(正当化観念)が登場したのが17Cでした。
◆ 電磁気学の発見=観念のみによる科学が技術に先行した時代(18~19C) (シリーズ8)
しかし、この時点ですぐに近代科学技術、すなわち数学(=現実とは乖離した観念)の記述に偏った科学に領導された技術が生まれたわけではありませんでした。実際には18Cの蒸気機関の誕生までは経験主義的な技術が先行していましたが、19Cのファラデーによる電磁気学の発見によって、近代科学が技術に先行するようになります。
1800年のヴォルタによる電池の発明は化学結合のエネルギーが、そして1831年のファラデーによる電磁誘導の発見は運動エネルギーが、ともに電気エネルギーに変換されることを明らかにした。これが現在に至るまでの電気文明の始まりであり、そこから電球や電熱器や電動モーターや発電機や電信装置やその他すべてが生み出されていった。ここにはじめて、科学理論が先行する形での技術開発、すなわち真の意味での科学技術が始まったと言える。【ファラデー】※【福島の原発事故をめぐって 山本義隆著】より引用
電磁気学はあくまで実験室から生まれたものです。感覚的に把握出来る重さや熱さといった、自然界でも記述されるようなものではありません。形の見えないものを、観念の世界であれこれ考えることになります。科学は電磁気を得て、科学者の頭の中の夢想に沿って人工の実験が試され、それを数式化してそのまま現実の技術として転用されます。
つまり、ここで観念発の技術が初めて世に出たのです。
◆ 国家に取り込まれていく中で暴走していく科学技術(20C) (シリーズ9)
18世紀後半の市民革命(フランス革命・アメリカ独立戦争)以降、欧米列強による市場の拡大競争が生み出した侵略戦争がますます激化し、軍備強化への期待圧力が高まりました。
市場拡大→戦争圧力を受けて科学技術による生産力がさらに発達し、同時に科学者たちは戦争という国家プロジェクトに組み込まれていきます。
その行き着いた果てが、20世紀のアメリカでのマンハッタン計画(原爆製造計画)です。
マンハッタン計画は、理論的に導かれ実験室での理想化された実験によって個々の原子核のレベルで確認された最先端物理学の成果を、工業規模に拡大し、前人未到の原子爆弾の製造という技術に統合するものであった。
(~中略~)
マンハッタン計画はその膨大で至難の過程の全体 -以前なら個々の学者や技術者や発明家や私企業がそれぞればらばらに無計画におこなった過程の全体を- を、一貫した指導の下に目的意識的に遂行し終えた初めての試みであった。
抽象的で微視的な原子核理論から実際的で大規模な核工業までの長く入りくんだ道筋を踏破するその過程は、私企業を越える巨大な権力とその強固な目的意識に支えられてはじめて可能となった。それは官軍産、つまり合衆国政府と軍そして大企業の首脳部の強力な指導性のもとに数多くの学者や技術者が動員され組織されることで実現されたものであった。【マンハッタン計画を立ち上げた科学者達】(~中略~)
国策として進められる巨大科学技術の宿命であることを、いま一人ディル・ブライデンボーも辞表にしたためている。
「多くの場合、集団的に調製された政治的決定によってメーカーと建設にともなう莫大な費用、スケジュールがきまります。このような政治的な圧力が結果の正しい評価による公平な決定の達成を、非常に難しくしています。原子力発電は”技術的な怪物”になってきており、誰が制御しようともその、正体を明らかにすることはできないのです。」※【福島の原発事故をめぐって 山本義隆著】より引用
これまで、科学者一人一人の頭の中にあった科学技術が、国家プロジェクトに組み込まれていくことで、生産規模の巨大化と生産能率の向上のみがひたすら追及され、そのこと自体が意味のあることなのかどうかは問われることはありません。
マンハッタン計画の成功を受けて、宇宙開発や原子力開発など様々な産業が国家プロジェクトとなり、そうなると必然的にひとたび事業の実施が決定されれば、それを遂行する側から見て不都合となる事実は隠蔽され、「どんなことがあっても」継続が前提となる構造にあります。
こうして科学技術は肥大・暴走していきました。
◆ “完全に観念のみに基づいた科学理論”から生み出された核エネルギー開発(20C) (シリーズ10)
経験主義的にはじまった水力や風力あるいは火力といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみにもとづいて生み出された。
実際、これまですべての兵器が技術者や軍人によって経験主義的に形成されていったとの異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから導き出された。原子炉はそのバイプロダクトである。
その意味では、ここにはじめて、完全に科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる。
しかし理想化状況に適用される核物理学の法則から現実の核工業-原爆と原発の製造-までの距離は極限的に大きく、その懸隔を架橋する課程は巨大な権力に支えられてはじめて可能となった。その結果は、それまで優れた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティの許容範囲の見極めを踏み越えたと思われる。
※【福島の原発事故をめぐって 山本義隆著】より引用
本来の科学技術とは、経験則により誰もが認められることのできる現象事実を根拠に、価値観念・神格化を排除して事実の整合により(仮説)法則を導き、それを現実に応用するもののはずです。
しかし、17世紀以降の近代科学は、はじめから価値観念を内在させて、現実に存在しない矮小化した特殊な実験(単純化、理想化)空間を人工的に創出し、その結果を現実の現象として借定しそれを普遍化していきました。
また、その実験や法則化は、己の(自我に侵された)頭の中にだけある倒錯した抽象観念を、(少なくとも普通の人にはまったく実感も理解もできず、解くことも当然出来ない)数学を根拠に設定し導き出してきました。
それが国家プロジェクトに組み込まれるようになり、科学技術は肥大・暴走し、その結果今回の福島原発事故という大惨事を招いたのです。
つまり、近代科学技術の歴史とは、徹頭徹尾“現実とは乖離した観念のみで体系化”されてきた過程なのです。
◆ ◆ ◆ “観念の絶対視”が近代科学技術の根本問題
◆ 数量化できない自然
今回見てきたように、近代科学技術は観念のみで体系化されてきました。したがって近代科学技術の発想では、複雑な自然を把握する為に、対象を観念的に抽象化・数量化・平均化することになるので、限定されたモデルとして取り出すしかなく、現実の自然を捉えているとはいえません。
本来、現実の自然とは『数量化できない』のです。
無限ともいえる多くの要素が相互に関係しながら成り立っているのが自然ですから、その関係を全て把握することは無理があるのではないでしょうか。
現在は、数量化できる自然に慣れきってしまい、自然を畏怖することを忘れてしまったのでしょうね。人間中心の価値観が、数量化できる自然と現実の自然のギャップを生み出し、自然破壊などの問題として現れているのだと思います。
現在の問題を突破するには、科学がもたらした便利さの中で見捨てられてきた数量化出来ない自然を対象化し、価値観を換えることが必要なのでしょうね。
※【るいネット/数量化できない自然】より引用
◆ “観念こそが絶対“という近代科学技術の観念パラダイムが根本原因
この『数量化できない自然』を、一度出来上がった観念が『絶対正しい』と固定化し、その絶対視された観念(法則)によって、自然対象を逆規定していく、この“観念こそが絶対“という近代科学技術の観念パラダイムに根本原因があります。
物理法則も数学(特に微積分)も、無限の現実世界の中から、その時点の人間が同化できた範囲で、法則性を抽出したものです。
だから、観察やそれによる認識が深まれば、新たな法則の抽出が起こり、常に認識体系は進化していきます。つまり、観念は、本能や共認機能を使った、現実世界への同化があって初めて有効になります。
それに対して近代科学は、(全体を捨象した一部に)一旦同化して出来上がった観念(法則)を絶対視して、そこから自然対象を逆規定してみるという思考経路をたどっています。
そうすると、観念だけでは統合力は無いので、何らかの価値を観念に内在させる必要があります。それが個人主義であったり、人間中心主義であったりします。
その結果、現実対象へ未同化の部分を多く残し、偏ったものになっていても、その偏りに気がつかなくなります。だから、それを応用した科学技術も、人間や個人だけに利得があるものに偏ります。
ここには、いかに現実世界に同化しようとしても、不十分なままだという、自然対象への畏敬の念がありません。だから、その思考から抜け出さない限り、ひどくなるばかりの環境問題は解決しません。
この様に、個人主義や人間主義などの排他的価値を観念に内在させ、現実対象を都合よく逆規定していく思考法が、同化と対極にある異化思考なのだとおもいます。これが近代科学の根本的な問題ではないでしょうか?
※【るいネット/観念の絶対性が近代西洋科学の根本問題】より引用(一部筆者による修正含む)
ではどこで“観念の絶対視”が生まれたのでしょうか?
そしてどのようにして“いかに現実世界に同化しようとしても、不十分なままだという、自然対象への畏敬の念”を失い、科学技術への万能観が生まれたのでしょうか?
いよいよ次回の最終回では『科学はどこで道を誤ったのか?』の答えに辿り着きたいと思います。
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