2012-01-05

『科学はどこで道を誤ったのか?』(8) 近代Ⅰ~実験室で生まれた電磁気学が技術を先導し、観念発の「科学技術」が始まる~

 今回は、18~19世紀、近代が進んでいく世界を見ていきます。中世スコラ学の閉塞を打ち破ったのは16世紀の技術者たちでした。が、彼らは技術は自然にかなわないと自覚していました。それを、「自然を征服する」と言い出したのが17世紀の科学者たちだったのです。しかし、ガリレオやニュートンが等加速度運動や万有引力など物理法則を発見しても、それがそのまま技術に転化することもなく、実世界での革新は、まだ技術者たたちの工夫に依っていたのです。
 今回は科学者の発見が実際に世界を変えて行き、観念から物が生まれる過程を見ていきます。
250px-Watt_James_von_Breda.jpg453px-Joule_James_sitting.jpg200px-Michael_Faraday_001.jpg
写真はジェームズワット、ジュール、ファラデーです。ウィキペディアから
ご興味のある方は次を読む前にクリックをお願いします↓

 にほんブログ村 環境ブログへ



◆ ◆ ◆ 18世紀蒸気機関の誕生、まだ技術が先行していた
 「福島の原発事故をめぐって」 山本義隆 から転記します

 この時点ですぐに近代の科学技術、すなわち科学理論に基礎づけられ、科学に領導された技術が生まれたわけではない。実際にはなおしばらくは経験主義的な技術が先行していた。産業革命ですら、その初期には科学からの寄与にほとんど頼らなかったと見られている。実際、18世紀後半のジェームズ・ワットによる蒸気機関の改良とその大規模な実用化のころまでは、技術が先行し、理論はあと追いしていた。ようやく19世紀中期になって、先行する技術的発展に熱力学理論が追いついたのである。

 産業革命を起こした蒸気機関とはどのように生まれたのでしょうか?
蒸気機関の歴史さんから

ニューコメンの大気圧機関
 炭坑を掘ると水が染み出してくる。 掘れば掘るほど大量の水が出る。 放っておくと坑道は水没する。 それを汲み出すために大量の馬を使って昼夜を分かたずポンプを動かし続けたのだが、馬の飼育費のために採算が取れなくなってしまった。蒸気機関をこの馬の代わりに使おうというのだ。
 ニューコメン氏の蒸気機関では、水を汲み出すために、掘り出された石炭の 4 割ほどを燃やさなくてはならなかったらしい。
ワットの改良
 ニューコメン氏の機関を改良したのがワット氏の蒸気機関だ。(1772)  壊れたニューコメン機関を修理して欲しいと頼まれたのがきっかけだそうだ。彼は 4 倍も効率を高めるのに成功した。 400%の効率改善! これは偉大な功績だ。 せっかく掘り出した貴重な燃料を以前の 1/4 しか燃やさないで済むのだから。 
 ワット氏はシリンダーの中で蒸気を冷やすのではなく、復水器という装置を作って外部で冷やすようにした。シリンダー自体を温めたり冷やしたりしない分だけロスが少なくて済むわけだ。さらに、ニューコメン機関では冷えた蒸気が縮む時の「引きの力」だけを使ってポンプを動かしていたわけだが、ピストンの往復運動を回転運動に変える機構を追加することで、蒸気を注入する時の「押しの力」も動力として利用できるようにした。 それでも「大気圧機関」であることには変わりない。「高圧機関」は危険すぎて手が出せなかったのだ。
高圧機関の実用化
 その後、トレビシック氏が高圧蒸気を利用するのに成功する。 これにより機関の大きさが 1/5 にまで小さく出来るようになった。 こうして機関車が実用化できる準備が整ったわけだ。 その後も開発は進み、強力な機関が次々に誕生した。
 石炭は初めは製鉄のために掘り出されていたのだった。 そして蒸気機関はそれを助けるために開発された。 しかし蒸気機関は、水車や風車などと違って場所に制限なく使えるという利点もあり、あちこちの機織り工場などで利用されることになった。 それであっという間に産業構造が変わり、蒸気機関のために石炭が掘り出されるようになるという逆転が起きるまでになってしまった。
 産業革命だ!
 初めのセーヴァリのポンプが 1 馬力。 ニューコメン機関で 10 馬力。 ワット機関で 50 馬力。 高圧機関で 100 馬力。 19 世紀になると 2000 馬力を超えるものも登場した。
 そういった開発競争の中で熱力学は発展した。効率の良い蒸気機関を作るために必要な条件とは一体何なのだろうか? 注いだ熱を全て動力に変えることは出来るだろうか。 それを理論的に導いてより良い商品開発に応用しようとしたのである。

 このように、熱力学によって蒸気機関が考え出されたのではなく、あくまで技術者の工夫の積み重ねが産業革命につながる発明を支えていたのです。
◆ ◆ ◆ 始めて科学が技術に先行する
 同じく「福島の原発事故をめぐって」から

 自由・平等・博愛を謳い近代市民社会の夢を実現しようとしたフランス革命は、同時に人間の能力に無限の信頼を置いたのであり、ベーコンの夢、つまり科学技術による自然支配と地球征服の夢を手の届く所に描いたのである。
 同時期に物理学では、電磁気学の形成が進められていた。1800年のヴォルタによる電池の発明は化学結合のエネルギーが、そして1831年のファラデーによる電磁誘導の発見は運動エネルギーが、ともに電気エネルギーに変換されることを明らかにした。これが現在に至る電気文明の始まりであり、そこから電球や電熱器や電動モーターや発電機や電信装置やその他すべてが生み出されていった。ここにはじめて、科学理論が先行する形での技術開発、すなわち真の意味での科学技術が始まったと言える。電磁気学は新しい動力を開発したわけではない。しかし、電気エネルギーは、ひとたび送電線網のようなインフラストラクチャーが形成されれば、運搬がきわめて容易で、その使用方法と使用形態はほとんど無制限であり、その利便性と汎用性の両面に置いて他のエネルギーを圧倒している。

 蒸気機関の発達の後、ジュールやケルヴィンの研究によって熱力学が発達し、燃焼機関の設計にフィードバックされていきます。
 そして、科学者の発見により技術開発された事例で顕著なのが電磁気学の世界でした。ここで初めて、科学者が物理法則を発見しようとして実験した結果から、発電機が発明されます。輝かしい科学が示す未来を見せてくれた一人がファラデーです。
電気史偉人伝さんから

 1831年、ファラデーの電磁誘導現象を発見。エルステッドは電気から磁気を発生させた。ならばその逆も可能ではないか?というのがはじまりであった。二つのコイルを離して置き、片方のコイルに電流を流し、片方のコイルに検流計を接続して電流を流した直後、検流計は大きく振れたがすぐに止まった。電流を止めると検流計は逆に振れたが、これもすぐに止まった。磁石をコイルに近づけたり離したりするとその速さに比例して検流計の振れが大きくなることも発見し、ロンドン王立協会で”電磁誘導の法則”を発表する。これが最初の変圧器であり、電磁気学の飛躍的な進歩の幕開けである。数ヵ月後、銅板の周りに磁石を設置して銅板を回すと電気が発生するという、アラゴの回転磁気を利用した装置を発明する。正確にはアラゴの円板を解明するための実験装置であったようだ。これが世界初の発電機であり、機械エネルギーを電気エネルギーに変換する最初のものとなった。

%E9%9B%BB%E7%A3%81%E8%AA%98%E5%B0%8E.jpg
画像はファラデーの電磁誘導の実験です啓林館さんのサイトからお借りしました
 当時、電気は発見されたばかりで、科学者たちは先を争いその性質を明らかにするため実験をしていましたが、部外者には研究室で遊んでいるように見えたのでしょう。ファラデーはある貴族に、「そんなもの何の役に立つのか?」と問われ、「生まれたばかりの赤ん坊が何の役に立つのでしょう?」と答えています。
 ファラデーほど大衆に愛された科学者は居ないでしょう。彼からはベーコンのような尊大さは感じません(知的エリートではなく職人出身というのが大きいのでしょう)。しかし、彼が見せてくれた科学が導く輝かしい未来に、恐ろしい構造が隠れているのです。
 電磁気学はあくまで実験室から生まれたものです。感覚的に把握出来る重さや熱さといった、自然界でも記述されるようなものではありません。形の見えないものを、観念の世界であれこれ考えることになります。科学は電磁気を得て、始めて科学者の頭の中の夢想が実験室で試され、理想化されて技術に転用されることになります。科学が技術に先行し、指導していくことになったのです。「科学技術」の誕生です。
◆ ◆ ◆ 観念だけが先行する世界→無限の進歩
 「16世紀文化革命」山本義隆 から

 その「科学技術」すなわち「科学が基礎づけ科学が先導する技術」の極北の位置に核エネルギーの問題がある。
 経験主義的に始まった水力や風力といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と称されている核エネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾および原子炉は、純粋に物理学理論のみにもとづいて生み出された。~中略~
 それまでのすべての兵器が技術者や軍人により経験主義的に形成されていったのと異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから理論的に生み出されたものである。原子炉もそのバイプロダクトである。その意味では、ここにはじめて完全に科学が主導した技術がなるものが生まれたのである。

 熱力学や電磁気学の貢献により、人間は莫大なエネルギーを得るに至ります。特に電気はその転用範囲は膨大でした。それまで、人か家畜による動力しかなかった世界に、自然のなかからエネルギーを取り出し、飛躍的に生産力を向上させたのです。それは、壊滅的な環境破壊の始まりでもありました。
 それは、ベーコンの宣言した「学問と技術が、自然を支配する」そのものだったでしょう。それまで、あくまでも人間の手の先で、自然を模倣しながら工夫されてきた技術が、科学者の頭の中、観念世界だけで開発が可能となったのです。
 まさに「科学は万能」と錯覚させる事態です。
◆ ◆ ◆ 原発を生み出した根本
 
 同じく「16世紀文化革命」から

 問題の根っこをたどれば、16世紀までの職人たちがもっていた自然に対する畏怖の念を17世紀のエリート科学者が捨て去り、人間の技術が自然と対等、ないしは自然を上回ると過信したところにあるのではないだろうか。その点では、技術が自然に手を加えるにあたって、優れた職人が経験的に身につけていた人間のキャパシティーの許容範囲についての見極めは以外に正確であり、その感性が暴走を抑止するかもしれない、と言いたい処である。

 原発の問題の根本はどこにあるのでしょうか?
これだけ原発の恐ろしさを目のあたりにして、未だに「科学によって安全に利用可能。開発が進めば問題はなくなる。」と思う人たちが多くいるのはなぜでしょう?
 明らかに原発は人間がコントロールできる範疇を超えています。何とでもなると思う方が間違っています。それでも、推進するのは「科学」が頭の中だけ、観念だけで組み立てても良いという性格を持っているためなのです。そこには、自然の摂理と照らし合わせる、社会全体を見通す視点が欠落していきます。
 
 さて、ここまでは主に科学者個人の頭の中の話でした。次回は、これが国家権力や支配組織と結びつくとどうなるか?といったところを進めたいと思います。

List    投稿者 hihi | 2012-01-05 | Posted in B.科学史, B01.科学はどこで道を誤ったのか?No Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2012/01/1016.html/trackback


Comment



Comment