2012-01-03
『科学はどこで道を誤ったのか?』(6)大航海時代(15c中~17c中)~戦争と市場拡大により発達した鉱業による、近代科学と生産関係の変化~
(※右側の写真は賢者の石を求める錬金術師、左側の写真はホムンクルスを作り出す錬金術師)
「科学技術万能観」がどのようにして形成されてきたのか?を追求するシリーズ第6回目です。
前回の記事で、ルネサンス期は、自然に対する畏怖の念を中世から受け継いでいたものの、自然を学ぶことで人間が宇宙の力・自然のエネルギーを使役しうるという信念が公然と語られ始めたことがわかりました。
今回は、この自然観の変化が、大航海時代の戦争、航海という実学を通してどのように変化していったのか?ここに焦点を当ててみたいと思います。
大航海時代は、15世紀中ごろから17世紀中ごろまで続いたヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの植民地主義的な海外進出をいう。国王、ローマ法王ともに、海外侵略を強力に後援し、競い合って、莫大な利益を手に入れた。(Wikipedia より)
この私権拡大競争(戦争)を勝ち残るために西ヨーロッパで、航海、金属精錬、とりわけ製鉄技術が発展し、これがヨーロッパ人が地球の支配者として立ち上がることを可能にした物質的条件でした。
そしてそれが、近代科学と賃金労働による分業という近代の生産関係の土台を形成していくと同時に、自然観への転換も伴っていたのです。
今回も、山本義隆氏(※リンク)の著書(【十六世紀文化革命「第四章 鉱山業・冶金業・試金法」 山本義隆著】)の中身を紹介しながら進めていきます。