天文学を停滞させてしまった万有引力の歴史的背景
前回の記事「地球内部は空洞であるという地平に立つと整合する現象がいくつもある。」
では
>そもそも地球内部は密であるという前提はどこから来ているのか・・・・その前提には「万有引力の法則」が横たわっている。
と書きました。
▲画像はyoutube「高校物理 万有引力と重力」より
「天文学は間違いだらけ」
でも「なぜ、天文学がこのような停滞を見せているかと言えば、ニュートンの万有引力に始まる。」と書かれています。
これまであたり前のものとして認識していたニュートンが提唱した「万有引力」の歴史的背景を押さえてみたいと思います。
〇ティコ・ブラーエ(1546年12月14日―1601年10月24日)
画像はウィキペディア
スウェーデン出身の天文学者ティコ・ブラーエはデンマーク王の援助を受け,ウラニボリ天文台で20年間にわたって精密な天体観測を行いました。ティコ・ブラーエの最大の功績は今までにないほどの精度で天体の位置の測定を行い、ケプラーの法則をはじめ、将来の天文学上のあらゆる進歩の基礎を築いたことにあります。彼は日中に見える金星を使用して星の位置を測定したり、子午線を通過する時間から赤経の差を測定しました。彼の天体の位置測定の最大の特徴は角距離の測定でありました。半径6mの四分儀を使用して、精密な観測を行いました。また、今日の経緯儀の原型となった方位角四分儀を製作し、角度の秒単位まで正確に位置を測定しました。
▲方位角四分儀【ティコ・ブラーエの観測装置】
ティコ・ブラーエは、この装置で年周視差を測定することができなかったので,コペルニクスの説に賛成せず,太陽のまわりを水星と金星がまわり,それを含めた惑星と太陽が地球のまわりをまわっているという説を唱えました。また,「ティコの星」と呼ばれた超新星を観測したりもしました。1588年,保護者の死去により故国をさり、プラークに移り、観測に従事し、1599年助手としてケプラーを招請したあと,1601年に没します。その後、ケプラーは彼の16年間にわたる火星の観測を利用し。ケプラーの法則を発見しました。
〇ヨハネス・ケプラー(1571年12月27日―1630年11月15日
画像はウィキペディア
ドイツの天文学者。天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を唱えました。
理論的に天体の運動を解明したという点において、天体物理学者の先駆的存在です。
<ケプラーの第一、第二、第三法則>
【ケプラーの第一法則】楕円軌道上の運動
【ケプラーの第二法則】面積速度一定の法則
【ケプラーの第三法則】惑星の公転周期をT、楕円の長半径をaとした時、T2/a3が常に一定
ケプラー以前の天文学では「惑星は中心の星の周囲を完全な円軌道で運行する」と考えられていましたが、ケプラーは、惑星の運動を歪んだ円もしくは楕円であるとしました(ケプラーの第一法則)。ティコ・ブラーエによる火星観測の正確なデータから、火星の軌道は楕円であったので、それが第一法則発見へとつながるデータとして役立てています。それまでの理論「惑星の軌道は完全な円」を捨て、仮に「惑星の軌道は楕円」と仮定してみたところ、ティコ・ブラーエの観測した結果を説明できることが分かり、後にケプラーの法則とされました。この法則に基づいてケプラーが作成した『ルドルフ星表』は『プロイセン星表』の30倍の精度を持ち、ようやく太陽中心説(地動説)は、従来の地球中心説(天動説)よりも単純かつ高精度のものとなり、説得力が増すこととなります。
ケプラーの法則は「距離の二乗に反比例する力によって惑星が太陽に引かれている」と示唆することに気付いており、「太陽と惑星の間に、磁力のような力が存在する」と述べました。その力は、後にアイザック・ニュートンによって「万有引力」であるとされます。
★ティコ・ブラーエによる膨大かつ正確な観測データから、ケプラーの法則を導いたという点でここまでは整合性が高いと感じます。★
問題は、ケプラーが述べた「太陽と惑星の間に、磁力のような力が存在する」とうことをアイザック・ニュートンが「万有引力」であると定めたところにあります。
〇アイザック・ニュートン(1642年12月25日―1727年3月20日)
画像はウィキペディア
ケプラーの惑星運動法則を「力学的」に説明した一人であり、天体の軌道が楕円、双曲線、放物線などの円錐曲線になる事を示しました。また、働く力に対する、物体の抵抗度合いの量である慣性質量と、物体に働く万有引力の大きさを決定する、物体固有の量が比例関係にある事を指摘しています。
画像はyoutube「高校物理 万有引力と重力」より
→この「力学的」という点が実は大きな間違いの原点となっていると感じます。というのも、力学的とは計算(数式化)で証明するということですが、自然界では様々な要因があるため完全に整合しない(多くが近似値)となっているはずなのに、数式化してしまったが為にあたかも正しいモノとなってしまったからです。その結果、それ以上の追求がなされず、天文学は停滞したという研究者も多数います。
ティコ・ブラーエの観測値をそのままかたちにしたケプラー。そして、それを数式に頼って証明しようとしたニュートン。その結果、数式ありきで現象事実から離れてしまっているのも関わらずそれを追求してこなかったということなのだと・・・・改めて、現象事実(ティコ・ブラーエによる観測)から法則を導き出したケプラー迄立ち戻り、本来の天文学を構築しない限り、先は無いということなのでしょう。
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