2020-12-29

生物学的元素転換を認めない近代物理学(2)

前稿から間があきましたが、近代物理学によって抹殺されたケルヴランに関する記事です。

前稿では、近代科学の定説では説明できない現実があるにも関わらず、そうした現実は無視・抹殺されていることみてきました。それに風穴を置あけようとしたのがケルヴランです。waterextractionmethod

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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<生体内元素転換~ルイ・ケルヴランの研究>

1935年、ケルヴランは、溶接工におきる致命的な一酸化炭素中毒事故の調査を依頼されました。ところがケルヴランは空気中に一酸化炭素の痕跡を見出すことも、発生源を特定することもできなかったのです。そして1955年、ケルヴランは再びこの謎と対峙することになります。パリで酸素バーナーを用いた切断工が続けて3人死亡する事件が発生し、同僚がその調査にあたったのです。ところがやはり、その作業場の空気中には(それは労働者たちの鼻口近くから採取された空気のサンプルにも)一酸化炭素はどこにも検出されず、にもかかわらず死因は明確な一酸化炭素中毒であり、被災者たちと同じ仕事をしている労働者たちの血液のサンプルは、彼らが慢性の一酸化炭素中毒の症状に苛まれていることを示していたのでした。

そして、一酸化炭素の発生源が身体の内側からでしかありえないことをはっきりさせ、事故の原因が”高温に熱せられた鉄に触れている空気”であることを明らかにし、エアチューブで労働者の鼻口に新鮮な空気を送ることで一酸化炭素中毒の症状は著しく軽減しました。

問題は、いかにして“身体の内側から”一酸化炭素が生み出されたのか?ということ。やがてケルヴランは、空気(チッ素+酸素)を吸い込み、一酸化炭素(炭素+酸素)が発生した理由として、大胆にもチッ素から(一酸化)炭素への生体内での元素転換の可能性を考えることになります。

ケルヴランにしてみれば、それは幼少の頃から接してきた様々な科学的に見て不可解な現象が、そう考えることの方が理に適っているのではないか?と感じさせるのに十分だったのです。

生命は、その体内で原子核を結合、あるいは分裂させることによって他の元素から別の元素を造り出している?

そして1959年、油井採掘労働者たちの労働条件の視察をしたサハラでの公務において、ケルヴランは自分の仮説をさらに確証することになります。
そこでは、炎天下に日陰の無い金属製の高台で、激しい労働に従事していた労働者たちの摂取した飲食物と排泄物のすべてが、陸軍の軍医と助手のチームによって6ヶ月間にわたって分析されました。
その結果、暑さのなかで塩分(ナトリウム化合物)の摂取量は増加しているのに、そのナトリウムが全て排泄されているわけではないこと、さらに摂取量に対するカリウムとマグネシウムの排泄量の超過分が見られたのでした。

(同書p.62)

それよりも不可解だったのは、日光と食物から得られるエネルギー(熱量)と、発汗と労働によって消費されていると考えられるエネルギーの大きな収支の差であり、ケルヴランはこれを、ナトリウムからカリウムに転換する際の内熱反応(熱の吸収)によるものであり、これによって生命に備わった温度調節機構のうちの重要な概念が説明されることを示しました。

そしてケルヴランは、この「生体内元素転換」が自然界で普遍的に行われているものであるとし、その反応に潜む法則性を次の4つの回路としてまとめました。

ケルヴランは『生体内で元素は変わりうる』という仮説から、それまで謎とされてきた様々な自然現象の説明がつくだけでなく、近代化学と、それを応用した様々なものが抱える根本的な過ち、即ち生命、自然界を単に物理科学法則で説明しようとすることの間違いに気づいたのです。

<元素転換仮説の公表とその後>

1960年7月、その時すでに還暦を迎えようとしていたケルヴランは、『異常な代謝収支と生物学的元素転換』というタイトルの論文を発表。元素転換仮説を世に問うたのです。

論文は、多くの著名な科学者、生物学者、医学者、農学者、地質学者からの絶賛でもって迎えられたものの、やがて近代農法を推進するフランス国立農学研究所と対立する形となり、それをきっかけとして、その実験精度、再現性の低さ(*次の記事で説明)などが学会から批判や嘲笑の対象となり、対するケルヴランも自論を決して引き下げることはせず、両者の主張は全く相容れることはなく、元素転換に関する議論は決裂したままになっています。
つまり業界では、お互いにお互いを相手にしなくなったままなのです。

そして現在においても、化学定理はすでに完成されたものであり、ケルヴランの研究は『根拠のないニセ科学で、新興宗教のようなもの』とされています。

とはいえ、ケルヴランの死後も、その意思を継いだ研究者によって数多くの報告が上がっています。その中でも、僕らが特に注目すべきはチェルノブイリから南に100Kmほどのキエフの研究グループによって確認された、バクテリアによる放射性元素の安定元素への転換実験です。この「MCT(微生物触媒転換体)」と呼ばれる元素転換技術は、1996年にロシア連邦特許として正式に認められています。

List    投稿者 tutinori-g | 2020-12-29 | Posted in B01.科学はどこで道を誤ったのか?No Comments » 

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