2011-12-30

『科学はどこで道を誤ったのか?』(2)古代オリエントの時代~全てが共認対象として一体であった精霊信仰から精神を上位とし物質を下位とする二元論へ

プロローグにおいて http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2011/12/001007.html

①近代科学技術は現実に則した事実認識とはいえず、現実捨象の架空観念発の認識体系であること
②そしてその背後には人間が自然を支配するという意識が働いていること
を指摘しました。

他方、科学認識の元祖というべき、精霊信仰はどうだったでしょうか。極限時代、人々は圧倒的な自然外圧に対し「仲間たちとの期待・応望=共認原理」を適用して「その現実の背後に精霊という具体的だが実体を超越した観念を獲得」します。そして、観念→言語を媒介として、工夫思考や仲間との共同作業が進化し、火の使用や弓矢の発明といった技術発展を生み出してきました。と同時に、常に自然は圧倒的な存在感を持つ畏敬の対象であり、であるが故に、祈り=期待・応望の対象であり続けました。言い換えれば、精霊信仰は徹底して共認原理に貫かれていたし、自然も人も共認の対象という意味では一体でした

では精霊信仰が発展し変質をとげたと考えられる古代オリエントにおける科学認識のあり様はどのようなものだったでしょうか。そこには、精霊信仰の流れを汲む部分と変質した部分が同居していること、とりわけ、その変化は古代ペルシアにおいて、つまりアーリア人において引き起こされたことがわかります。

なお、科学思想史は西洋哲学史同様、古代ギリシャから書き起こされるのが一般的ですが、古代ギリシャは既に共同体がこなごなに解体し人工集団が登場して以降の社会であり、精霊信仰からの連続性を考える上では、古代オリエントにまでさかのぼることが不可欠です。桃山学院大学・神戸商船大学の教授をつとめた坂本賢三先生(1931-1991)は、古代オリエントにまでさかのぼって追求している非常に数少ない研究者です。以下、引用文は坂本賢三先生の著書「科学思想史」2008年岩波全書コレクションによります。(一部、引用者にて文脈上の補足をしています)

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写真はエジプトの壁画。牡牛とその尻尾をつかんでいるファラオ(ラムセス2世)で、北斗七星を構成していて、牡牛の首の辺りにあるのが北極星と見られている。天文学の探求が見て取れる。http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/24919210.htmlからお借りしました。
 

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まずは古代オリエントの全般的傾向をみてみましょう。

◆◆◆古代オリエントの科学思想は精霊信仰を受け継いで自然も共認対象として捕らえていた

古代オリエントといっても実はまとまった科学思想があるわけではない。歴史的にも5千年を超える時間の経過があり、地理的にも、エジプト、メソポタミア、ペルシャ、イスラエル等でそれぞれ違った自然観の伝統を形成してきている。しかし、古代ギリシャ以降現代まで続いている科学思想とくらべてみると、そこに著しい相違を見ることができる。その第一は、古代オリエントの思想にあっては、人間と自然が対立していなかったということである。言い換えれば、人間は自然の中にあって自然と一体であり、自然は人格的存在なのであった。彼らにとって端的に無生物は存在しないのである。

第二に、彼らにとって自然は客体でなくて主体である。人間と自然を対立させる立場は人間を主体と見、自然をどこまでも客体とみる立場である。古代ギリシャ以降現代まで続いている科学思想の主流はこの立場をとる。そこでは主体としての人間が客体としての自然に向かい合っているのである。古代オリエントの場合、災害その他対立すると考えられた場合にも、人間と自然の関係は主体と主体の関係であって、自然は「それ」ではなくて「汝」として現れる。意思を持った主体のふるまいは全て個性的であり、出会うたびごとに個性的である。河は出合うたびごとに優しかったり、暴れたり、時には殺したりする。原因を探求する場合は「どのようにして」と問うのではなく「誰がしたか」を探す。災害や病気も誰かの意思の結果であると考えられた。

従って第三に、そこでの自然像は法則に支配された一般的関係ではなくて、誰によってこのようになったかという創造の物語である。天も地も風も海も混沌でさえ人格を持った意思的存在である。自然がきまぐれな意思的存在であるとすれば、人間が自然に働きかける手段は対話しかない。つまり祈りと捧げ物である。それの制度化されたものが祝祭である。祝祭はこのように自然に働きかける手段であるが、人間は自然の中にあって自然から峻別されているのではないから、祝祭自身が自然の重要なできごとの一環であり、自然に秩序を与える作業の一環であり、それ故にこそ国家的行事でもあったのである。古代オリエントにおいて数学や天文学の発達を生んだ土木事業や貢納が全てこの祭儀に結びついていたことをみてとっておかなければならない。※坂本賢三「科学思想史」より引用

古代オリエントの思想のが具体的な自然現象の解明を出発点とた精霊信仰の流れを受け継いでいること、従って、精霊信仰がそうであったように、全てが共認対象として認識されていたということがわかります。そしてだからこそ、共認対象でもある自然に期待する=祈りを捧げる祭儀こそが、最も重要な場であり出来事であり、そのために土木事業や貢納が発達し、その先に天文学や数学が発達したという点も重要です。科学認識はその他の観念がそうであるように、人々の意識統合そして国家の統合のために出発したのです。

しかし一言で古代オリエントといっても民族も自然環境も様々であり、従ってエジプト、メソポタミア、ペルシアでは違いが生まれてきます。引き続き、個々の地域別の特徴をみてみましょう。

◆◆◆豊かで寛容だった古代エジプトでは知の集積が進んだ

エジプトは広大な土地を占めているがその大部分は砂漠であって、人口が集中しているのはナイル河沿いの南北に帯をなす地帯のみである。東西の砂漠地帯が外からの侵入の防壁となって長期間平和な独立していた時代が続き、独自の自然観の形成をもたらすと同時に思想上の寛容さをも育て上げた。外来の思想も革新的な思想も寛大に受け入れられ、従ってまた激烈な思想闘争もなくて古いものと新しいものが融合して多様な思想を生み出した。数学においても天文学においてもメソポタミアの方がずっと精密で進んでいたが、エジプトは科学思想の豊富さにおいて古代ギリシアおよび後代に影響を残したのである。

古代エジプト人にとって時間は変化するものというより永遠なもの、ないしは回帰するものであって、特に雨のない地方では太陽の動きに関心を持った。太陽は毎年再生したが、星の動きも関心をひいた。シリウスがナイルの氾濫の始まりと関連していることに気づいて、1年の始めの目印にした。。※坂本賢三「科学思想史」より引用

エジプトはその豊かさゆえの寛容さ故に、他地域の考え方も柔軟に取り入れることができたが、進化あるいは変化というよりも回帰あるいは時間軸を持たない思想性を生んでいたということがわかります。豊かさゆえの寛容さとそれ故の知的集積という構造は江戸時代、日本がアジアの図書館と呼ばれたこととも重なります。ではメソポタミアはどうだったでしょう。

◆◆◆過酷な古代メソポタミアで時間軸を持つ創造神話的思考が進化した

メソポタミアでの生活条件はエジプトとはかなり異なっていた。チィグリス河とエウフラテス河の氾濫はナイル河と似ていない。ナイルでは毎年規則正しく増水したが、チィグリス河・エウフラテス河ではいつ氾濫が起きるかわからなかった。洪水は思いがけないときに来て堤防や耕地を破壊した。エジプトでは全てが「ナイルの賜物」として感謝されたが、メソポタミアでは河は恐怖の対象であり、混沌を再生させるものであり、人間の無力さを意識させるものであった。彼らは自然を神々の会議が納めていると考えた。シュメール語で書かれた神話における神々の会議は以下のようである。最高神はアヌでこれは天を意味する。次はエンリルで嵐の神で、彼は会議の執行者である。地の神はエンキ(地の主人)、またはニンキ(地の女主人)と呼ばれた。エンリルはエンキとニンキから生まれ、ニンリルという配偶者を得て、月の神(シン)や冥府の神(ニナズ)らを生む。またエンキと地母神の間には機織の神(ウットゥ)や草木の神(ニンサル)を生み、これらの神々が人間や動物の創造者である。

紀元前2千年紀にアッカド語で書かれた「エヌマ・エリシュ」では、アスプー(淡水)とムンム(生命力)とティアマト(塩水)が交じり合うところ、つまりティグリス・エウフラテスの両河が海と出合うところで、ラハム(沈泥)が生まれ、そこから地平線、天空が生まれ、マクドウが生まれた。神々の会議はマクドウに王権を与え、マクドウは暦を組織する。

シュメールとアッカドでは創造主に違いがあるものの、自然の秩序も社会の秩序も神々の会議が与えたものであるから、神への従順さが生き方の基本であり、その報酬として神の恩恵があるという考え方であった。しかし紀元前18世紀に入るとハンムラピ法典が登場し、秩序は神の意志ではなく社会の法として意識されるようになる。そうすると正義に反する自然のふるまいという見方も生まれる。それがギルガメッシュ叙事詩である。つまり、人間と自然が対立するようになっていく。同時に天体の運行が、自然だけでなく人間の運命をつかさどるものとして認識されるようになり、天文学とそれに結びついた予言が記されるようになる。紀元前8世紀には占星術が登場する。。※坂本賢三「科学思想史」より引用

気まぐれなチグリス河・エウフラテス河にはさまれたメソポタミアでは、エジプトよりも、神への従順さが強調され、それが後に反転して人間と自然が対立するようになったという点は、注目に値します。そして、気まぐれな河川や嵐といった神々を超えて、より安定した普遍的な運行を行っている天体への関心が向かっていったという点も興味深いし、そのような中から、西洋中世にまで大きな影響をふるった占星術が登場したという点も重要に思われます。知の集積という点では豊かだったエジプトが優れていたものの、時間軸をもった創造神話的思考の体系化と更新が進んでいったのが自然環境がより過酷だった、つまり外圧の高かったメソポタミア地方の方であったという点が注目されると思います。

そして生存環境の苛酷さという点ではイラン高原がさらに過酷ですが、このイラン高原で発達した古代ペルシアの思想は、古代オリエント思想の中でも、もっともその後の科学思想に接近していくことになります。

◆◆◆牧畜と戦争の震源地古代ペルシアで西洋科学思想の根源をなす二元論的思考が芽生えた

古代ペルシャは科学思想志としては後代への影響という点できわめて重要である。ペルシア人はエジプト、メソポタミアの住人、セム、ハム族と異なり、アーリア人であり、古代ペルシア人の思想を知る手がかりはアヴェスタ(ゾロアスター教の経典)がある。期限後3世紀にかかれた物であるが、そのうちガーサーと呼ばれる讃歌の部分は古形を保っており、その最古層は紀元前千年ないし六百年とみなされている。アヴェスタでは宇宙の歴史は1万2千年で、それが3千年づつ4つの時間に分かれる。

第一期はアフラマズダ(知恵の神であり善の神であり光の神である)は霊的存在を創造し、空・水・地・植物をつくり、原牛と原人をつくる。ついで人間の霊的原型であるフラワシをつくる。第二期はアフラマズダの息子、スプンタマンユ(聖なる霊)とアンラマンユ(敵なる霊)の時代である。アンラマンユが六人の悪魔をつくり物質的存在(ゲーティーグ)をつくる。アンラマンユは天に侵入し、アフラマズダの創造物を破壊する。そして原人、原牛は殺され、人間と金属と植物と動物が誕生したとされる。第三期は天の軍勢が迎え撃ち、地上が戦場となる。こうして地上は善と悪、光と闇が混合し、アンラマンユはアフラマズダの捕らえられ。自己破壊を宣告される。第四期には古代ペルシャ宗教の神官であり改革者=ザラスシュトラが登場し、善と悪、光と闇を分離する。

このアーリア人の自然観はセム、ハム族の自然像と種々の点で異なっている。宇宙を3つにわけるのはエジプトに似ているが、回帰ではなく終末を説く点が異なるし、現世を神の命による秩序においてではなく善と悪の戦いにおいて見るという点はまったくペルシャ思想の特徴であり、すぐれて抽象的な思考が働いている。

善と悪を純粋化して別の場所に置き、この善と悪が光と闇、霊と肉、生と死、建設と破壊、正義と不正義に重ねあわされている。そして現実を両者の闘争に見ている。現代人は通常、魂と肉体、精神と物質、心と物という対立において物事をとらえているが、それはここに起源のひとつを持っている。つまり、自然を物質的なものとして不可視な存在と対立させる思想はペルシアの宗教思想によって用意されたといってよいのである。もちろん、ペルシャにおいても「ゲーティーグ」は現在の意味での物質ではない。それは神的存在でもあり、オリエントである限り、それも意志的存在であることは注目しておかなければならない。

なお、ゾロアスター教の神官を指す「マグ」はギリシャ語に入って「マゴス」となったとき「夢判断をするペルシャの賢人」という意味と「魔術師」という意味を持つようになった。。※<span style=”color:#6666ff;”>坂本賢三「科学思想史」より引用

本来、精霊信仰では、人も自然も共認対象であり、従って意志をもった存在でした。それが古代ペルシアも物質は神的=意志的存在であったとはいえ、自然を物質的なものとして霊的存在と対立させる思考法が登場していたという点が最大の注目点でしょう。肉体(欲望)を悪の根源であり死に行くものと見なし、精神=霊を善の根源であり不死のものとみなして、対立的に見る見方が出来上がっていく。逆に言えば、霊を物質と切り離すことで、物質である自然はいくらでも残虐に扱うことができるようになるわけです。近代科学認識に連なる、精神と物質、心と物という心身二元論的思考、そして自然は支配してもかまわないとする思想の起源がここにあるのではないでしょうか。

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写真はアフラマズダー。翼を持っていて天上界と地上界を往来し王権を授ける最高神。

そしてその背後には、牧畜という生産様式が大きく関係していたと思われます。「原牛・原人を殺したところから人間と金属と植物と動物が誕生し、戦争が始まった」という神話は牧畜を起源として戦争にまで発展していったアーリア人の歴史を物語っているように思われます。

その後イラン高原発の戦争が熾烈を極める中から、共同体の解体と山賊海賊たちによる人工集団の形成が進むようになります。その舞台が古代ギリシアです。次稿では古代ギリシアにおける科学思想の特徴へと進んでいこうと思います。
(文責:yama3nande)

List    投稿者 staff | 2011-12-30 | Posted in B.科学史, B01.科学はどこで道を誤ったのか?1 Comment » 

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 匿名 | 2012.11.14 0:32

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