2021-01-01

コロナ後の時代を生き抜くには近代思想に替わる構造認識が必要となる

新年明けましておめでとうございます。

 

昨年はhttp://blog.sizen-kankyo.com/blog/2020/12/4969.html でも書いたようにコロナ騒動の一年でした。そしてこの騒動は、アメリカ分裂や経済大破局といった混乱の引き金に過ぎないでしょう。アメリカのトランプの動きを見てますと、共和党が選挙に異議を唱える可能性が取り上げられており、アメリカ分裂のリスクは現実性が非常に高まっています。

 

こうしたトランプの動きは、単なるトランプのわがままと見るよりも、大きく見ると「民主主義や自由主義という幻想に対する破壊行動」を画策する勢力が存在すると見たほうがよいと思います。実際、これまで保守派と目されてきた勢力が、これまでどおりの自由経済を標榜し続ける勢力と、脱自由経済、国家自給自足体制を標榜する勢力に分裂しつつあり、民主主義や自由主義といった観念群に対する疑問が登場しつつあり、従来の左右対立という枠組みが壊れ始めています。

 

現在進行形の社会的混乱は、単なる政治的混乱にとどまらず、近代を支えてきた近代思想そのものの解体を伴う大混乱になるものと思われます。

 

当ブログでは、シリーズで、近代を支えた近代科学とそのおかしさについて取り上げてきましたが、こうした近代思想の検証が、今後、、ますます求められるようになるでしょう。

 

新年冒頭に当たり、改めて、

 

生物学的元素転換を認めない近代物理

何故『自然界で実際に起きていること』を近代科学は認めようとしないのか

 

の論点を要約し、コロナ後の時代を生き抜くには近代思想に替OIPわる構造認識が必要となることを問題提起しておきたいと思います。

 

コロナで死ぬ人の数は餅をのどに詰まらせて死ぬ人より少ない。そんな事実にすら気づくことなく人々はマスコミに情報操作され思考停止して「生きて」いる。

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物理世界は決して機械論的な世界ではなく、物理世界と生命世界は地続きである – 地球と気象・地震を考える (sizen-kankyo.com)

 

光は粒子であり波であるという謎かけのような言い方があるが、この問題の端緒となった「2重スリット実験」は、「物質世界は曖昧さor偶然性を内在させているのかどうか」という問いに行き着く。そして「トンネル効果」等の最新研究は、この世界は”科学的に言って、何が起きてもおかしくはない”という事実を明確に示している。

 

「生命は先端可能性へと収束する」「しかし可能性は一通りではなく無数の可能性の中から外圧適応的なものに変異していく」というのが生命の構造だが、物理世界も、その発生確率の差こそあれ、同じ構造を持っているのだ。西洋発の「自然を支配する科学思想」から自由になって自然をとらえれば、物理世界は決して機械論的な世界ではなく、物理世界と生命世界は地続きであるということがわかってくる。

 

生物学的元素転換を認めない近代物理学(1) – 地球と気象・地震を考える (sizen-kankyo.com)

 

本来、生命原理と地続きな物理世界をモノとして分析する近代科学は、物質を元素に分解し、さらに元素を構成する原子は不動のものとして扱う。そして原子が分裂したり融合したりすることは膨大な核反応エネルギーを伴うものだとして、元素転換は常温では起こり得ないものとしている。しかし実は生物の中では恒常的に起こっている。にもかかわらず、これを証明したケルヴランはニセ科学扱いである。

 

何故『自然界で実際に起きていること』を近代科学は認めようとしないのか1 – 地球と気象・地震を考える (sizen-kankyo.com)

 

ケルヴランの死後も、その意思を継いだ研究者によって数多くの報告が上がっている。その中でも、特に注目すべきはチェルノブイリから南に100Kmほどのキエフの研究グループによって確認された、バクテリアによる放射性元素の安定元素への転換実験です。この「MCT(微生物触媒転換体)」と呼ばれる元素転換技術は、1996年にロシア連邦特許として正式に認められている。にもかかわらず、近代物理学の世界では『自然界で実際に起きていること』がなぜ顧みられることがないのか。

 

その理由のひとつが近代科学の「科学的事実」「科学的証明」の誤りがある。

科学的証明に必要な条件には、一般的には次のようなものが求められます。

1.定量性:量れるかどうか=数字に置き換えられるかどうか→しかし自然現象のすべてが計数化できるわけではなく、数学は事実を固定するための一手法に過ぎない。

2.再現性:同じ条件で同じ実験をして同じ結果が得られるかどうか→しかし自然界には全く同じ種も全く同じ土も全く同じ環境も存在しない。その再現性の無さこそが、生命の生命たる所以である。

3.正確さ:精密な実験器具による正確な実験と測定→しかし「正確な測定」に必要な、余計なものの一切無い整った環境条件とは、実験室で人工的に造りだす以外は、自然界にはありえない

 

このように数学と実験室によって再現される限定的な現象事実だけで世界を知ったつもりで語ってしまうのが近代科学なのです。このことの恐ろしさが現実となっているのが、「致死率」という数字が一人歩きして人々が支配されている現在のコロナ禍です。

 

さらに近代科学の問題点は、西洋思想の問題でもあり、唯一神が自然を支配するとする一神教の問題でもある。

 

何故『自然界で実際に起きていること』を近代科学は認めようとしないのか2 – 地球と気象・地震を考える (sizen-kankyo.com)

 

一神教成立以前の世界では、自然界とは人知を超えた無限に深遠なものであり、それを人の手でコントロールしようとすることなどバカげていると思われていました。

 

ところが、権力支配の時代になると、支配者は宗教者を取り込み、人々が自然界に対して抱いていた畏敬の念は唯一の神に対するものへとすり替えられていきました。そしてあらゆる疑問は神が創造したという一言に置き換えられて、人々を完全な思考停止に追い込みました。

 

現代は情報こそあふれかえっていますが、肝心のなんで?という問いは封じられたままで、“木を見て森を見ず”の状態です。木の本性は森であり、森の本性は木なのです。この『個は全であり、全は個である』という全く当たり前の世界観を取り戻すこと、そのために部分情報に振り回されずに、全体をつかもうとする人類が本来持っていた思考を取りも度することが今最も大事なことなのです。

 

コロナ禍が引き起こすであろう近代思想の破壊のその先を、今年もみなさんといっしょに追求して生きたいと思います。当ブログをなにとぞよろしくお願いいたします。

List    投稿者 tutinori-g | 2021-01-01 | Posted in B01.科学はどこで道を誤ったのか?No Comments » 

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