2012-01-01

『科学はどこで道を誤ったのか?』(4)ヘレニズム・ローマ帝国時代~帝国の統合需要に根ざした科学技術の体系化と個人の救い欠乏発の数学の発展

あけましておめでとうございます。
新年早々、『科学はどこで道を誤ったのか?』という重たいテーマで申し訳ありませんが、世の中を「おめでたくできるかどうか」は「暗い現実を突き抜ける可能性の発見」でしかありませんので、早速、追求を継続したいと思います。
そして、そう思っていたら、中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)について、川勝平太・静岡県知事は、「福島第一原発事故で(浜岡原発と同じ)沸騰水型は危ないというのが日本人の共通認識になった」として、中部電の津波対策が完了しても再稼働を認めない方針を明言した。というニュースが入ってきました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111231-00000583-yom-pol
川勝さんがいうように「人々の共通認識」が社会を動かす時代なのですから、ますます正しい事実認識を積み上げていくことだけが、この暗い世相にあって、唯一可能な「世の中を明るくする方法」です。
応援をよろしくお願いします。
 
。前稿で、ギリシア科学思想のうち数学的自然観を中心に扱いましたが、有機体論、要素還元論と本来、多様性に富んでいました。しかし、肝心の国家統合が限界を見せ、より強大な専制国家=帝国が登場する中から、科学は一方で帝国の統合需要に根ざした科学技術の体系化を進めつつ、他方で個人の救い欠乏発の数学の発展をみせます。
引き続き、括弧内は坂本賢三「科学思想史」からの引用です。
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写真はウィトルウィウス人体図。紀元前1世紀頃のローマの建築家ポッリオ・ウィトルウィウスは、著書「建築論」のなかで、腕を伸ばした人間は円と正方形の両方に正しく内接すると主張した。ウィトルウィウスは数学的自然観のみの科学者ではないが、そんなウィトルウィウスの中にも数学的自然観が色濃く存在する。写真はhttp://www.ops.dti.ne.jp/~manva/da_vinci/as_scientist/others.htmからお借りしました。

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◆◆◆ヘレニズム時代~専制国家官僚制発の機械技術・軍事技術の発達と個人の救い欠乏発の占星術
ギリシアの民主制は衆愚制に堕落し、ポリス同士の対立から、ギリシャ文明は潰えていき、アレクサンドロス大王の当方への殖民活動を通じて、東方との文化と人種の融合が進展して行きました。そしてこのアレクサンドリア時代には専制国家による官僚制により科学技術の進展(特に機械技術や軍事技術)が進みます。が、その一方で、そもそもバラバラの個人に解体されているがために、自我不安の大きいヨーロッパに固有な科学の低迷をも呼び込んでいったのです。ただそんな中でも個人の魂の救済欠乏を母体として占星術は流行していきました。

アレキサンドロス大王の遠征といっても、帰還することのない植民活動であり、一方で多くのギリシャ人が各地に定住し、現地で結婚してギリシア語とギリシア文化を広めると同時に、他方で東方の文化をギリシアにもたらし、東西の文化が融合し、ヘレニズムの時代となる。そしてポリスは解体してコスモポリス=専制国家の時代となった。専制国家は莫大な国家資本を投じて国家自身が産業者となりかつ貿易も管理する。専制国家は忠誠ではなく契約に支えられるものとなり、民衆は忠誠をつくす相手を失い、生きる目標を見失っていく。
つまりアレクサンドリア時代の科学を特徴付けるものは形式化であり、専門職業化であり、意味の喪失である。科学研究も単なる国威発揚の手段にすぎなくなり、その故にこそ何物にも制約されることなく発展し、形式の面ではほぼ完成をみた(古くから発達していた土木技術に加えて、機械技術や軍事技術が特に発達した)のであったが、末期には科学者自身にとっても魂の救済が第1義課題となる。科学者自身が科学の研究やその結果に意味を求めるようになり、占星術が流行する。
※坂本賢三「科学思想史」からの引用

◆◆◆ローマ時代~広汎な国土に対応した博物学的展開と、錬金術と占星術を統合したヘルメス思想の登場
ローマ帝国は、商業的というよりも農兵社会であって、都市・道路・水道といった土木建築中心の発展を遂げた。また広範な地域に展開していったローマ帝国の場合、その土地土地にあった建築や医学を追求する必要から、ギリシャのような理念的な学究というベクトルにならず、博物学的な展開を遂げていった。(その代表がウィトルウィウスの「建築書」である)しかし、帝国が崩壊に向かうにつれて、末期にはまたしても個人の魂の救済が第1義課題となり、またしても占星術への関心がたかまり、その中から、中世ルネッサンスにも大きな影響を与えるヘルメス思想が登場することになる。

ローマの科学思想の特徴の第一は、アレクサンドリア科学を通じて、エジプト・メソポタミア以来の成果を受け継ぎ、新たな知見も総合している点である。第二は、それを体系化している点である。その骨格は技術ないし実用的見地によって支えられている。第三の特徴は、地理的、歴史的条件の特殊性に注目している点である。これはローマ帝国のような広大な地域に生まれた自然に対する態度として当然のように思われるかもしれないが、その後の歴史を見ると、そうでない場合が多いのであって、つねに環境の中においてものをみるローマ科学は独特のものであった。
これらの特徴を典型的に現しているのがウィトルウィウスの「建築書」10巻で、科学論、技術論をはじめ幾何学・哲学・天文・地理・植物・動物・都市計画・建築・時計・器械にわたる総合科学の書である。ウィトルウィウスでは天体などの自然科学は要素論的、設計や計算では数学的、材料や風土については目的論的で、ギリシア自然観の3つのタイプが総合されている。
しかし、ローマも紀元後になると科学思想が変質してくる。それは個人の運命の不安感から流行した占星術と化学的関心のたかまりからもたらせれた錬金術が媒介となって、数学的自然観つまりピュタゴラス主義やプラトン主義が復活してきたことであった。占星術が爆発的に流行したのはローマで、アウグストゥス帝治下においてであった。ローマでは占星術師は「マテマティクス」つまり「数学者」と呼ばれた。複雑な計算をしなければならなかったからである。錬金術がうまくいくかについては、環境条件、温度・湿度・その他の状況が効いてくるので、季節を選ぶことや、天文学によって条件を知ることも必要であったと思われる。それ故に、「錬金術は父なる神に許された創造であり、その能力を得るためには惑星天の力を借りなければならない」と考えられ、錬金術と占星術が結びついて、(数学的自然観を中核とした)ヘルメス科学を構成した
※坂本賢三「科学思想史」からの引用

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写真はハリーポッターでも有名な伝説の錬金術師ヘルメス・トリスメギストスhttp://yaplog.jp/grimoire-blog/archive/590からお借りしました
◆◆◆キリスト教支配の時代~占星術が否定され、キリスト教が救い欠乏を独占し、数学は神の存在証明の道具となった
ヨーロッパの科学思想の更なる転換は、救い欠乏を原点とした占星術が否定され、キリスト教が救い欠乏を独占したところにある。

ゲルマン民族の大移動を契機に395年、ローマ帝国が分裂すると、思想家として活躍したアウグスティヌスは自己批判して、自由学科や機械技術はキリスト教徒には無用であるというようになる。ヴァンダル人侵入のさなかにあった彼が自然学よりも魂の救済を主要課題としたのは当然であった。しかし、その後代への影響は測り知れないほど大きく特に13世紀以後はアウグスティヌス主義的自然学の展開をみた。
その要点の第一は古代自然学のキリスト教的改変である。彼は新プラトン派の影響を大きく受けたが、「無からなにも生じない」とするギリシャ思想に対してキリスト教は「無からの創造」を説くので、自然科学の問題意識はここで大きく転換した。これ以後、円環的世界像は直線的・歴史的世界像に転回することになった。
第二は数学の賞揚であって、「大きさ、形、秩序の3つは神による被造物すべてにみられるよきものである」といい数学の広汎な利用を促した。ただし彼は占星術に対しては批判的であった
そして、アウグスティヌスが死んだ頃、カルタゴで活躍したマルティアヌス・カペラは自由学科を文法、論理学、修辞学、幾何学、算術、天文学、和声学の7つに絞込み、医学と建築学を外した
※坂本賢三「科学思想史」からの引用

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写真はアウグスティヌス
アウグスティヌスが占星術を批判したのは、救い欠乏をキリスト教が独占せんがためであろう。こうして数学と結びつきつつも、実験・実証主義的で土着的・秘教的な意味合いを多く持っていた占星術がヨーロッパでは禁じられ、数学的自然観はただ神の存在証明のための道具となっていった。こうして、ヨーロッパの科学技術の停滞が始まっていく。
他方、科学の中心は、エジプト→ギリシア→アレクサンドリア→ローマとその時々の帝国の中心にあわせて移動してきたが、ローマ帝国分裂後は、東ローマ帝国とたびたび戦ったササン朝ペルシアのジュンディシャープールが研究センターとなりました。イスラム教は異教にも寛容であり、ローマからも多くを学び、そこからアラビア科学が発達していきました。
このように、みてくると、オリエント・ヨーロッパの科学を牽引した一方の主力は、地域や民族を越えた統合を目指した帝国国家であり、もう一方は個人の救い欠乏発の数学であったことがわかります。そして、救い欠乏をキリスト教が独占した結果、一端、衰弱するわけですが、中世、商業の復活とともに、再び、錬金術と数学的自然観が再結合し、近代科学技術の基礎をつくっていくことになります。ヘルメス思想の復活です。
以上、このシリーズ2~4はyama3nandeが担当しました。以降、出筆メンバーを交代いたします。

List    投稿者 staff | 2012-01-01 | Posted in B.科学史, B01.科学はどこで道を誤ったのか?No Comments » 

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