現実に役立つ数学的思考力を身につける1~分数の起源
あけましておめでとうございます。新春にあわせて少し新しい試みを始めてみたいと思います。題して「現実に役立つ数学的思考力を身につける」シリーズ。
実は、12月の実現塾で「試験脳を超えた数学的思考」のひとつとして「割るって何?比って何?」が扱われました。そこでは初期人類の思考に同化しながら「比の根源」にアプローチし、その思考を通じて、数学は「現実をイメージし、現実イメージと抽象化を自由にいったりきたりしながら、考える位相を複数発見し、その中から最適な思考法を決定する能力(相転力)を身につけるための思考トレーニング」であること。そして、そのような「相転力」は、実社会で企画や提案において非常に必要とされる力であることが明らかにされました。
例えば、「割る」「掛ける」と「比」をバラバラに暗記していても「分数で割る」ことのイメージを描くことはできません。しかし原始人に同化して考えると「比」「割る」「掛ける」の原点に「等分」というイメージがあり、「比」も「割る」も原点は同じであることをイメージできればこどもたちの数学的思考力は一気に開花するのではないかと考えられます。具体的には手元に残された食料は、あと何日持つのか。あとx日持たせるためには1人分の食料は1人あたり、何分の1になるのか。仲間が、大人n人と半人前の子供m人なら、どうなるのか。・・・といった分配をめぐる量的把握の必要は、洞窟時代からでも必要であったと思われ、そこでは、等分という思考をベースに、割るも掛けると割合もすべてが一体的に考察されていただろうと考えられます。この根源的な数学的思考に目覚めれば、数学嫌いを突破することはもちろん、社会に出て生き抜くだけの思考力を手に入れられるといってもいいでしょう。
以上が、実現塾でのひとつの結論ですが、以下に、「数学的な史実」と重ね合わせて考えてみます。以下、引用は三重大学上垣渉氏による「分数の起源に関する私的考察」http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/4864/1/AN002341990470002.PDF から。
※写真はエジプトで使われていた数字のヒエログラフ。写真はこちらからお借りしました。http://poyoland.jugem.jp/?eid=763こちらのブログ記事もオススメです!
まず、分数という言葉は語源的には「砕数」であり、砕く(くだく)=割、とイコールであるという。
今日使用されている「分数」という用語は、英語で丘action、仏語でも同じ綴りの丘action、独語でFraktion、伊語で打azi6ne、西語でfracci6nであるが、これらはすべてラテン語の
frangereをその語源としている。このfrangereとは「砕く」(break)という意味である。
実は、わが国でも、最初から「分数」という漢字が用いられていたのではなかった。算用数字を用いる西洋数学を日本に紹介した最初の文献・・では分数は「砕数」という漢字が用いられていた。したがって、洋の東西を問わず、分数の語源は「砕く」、「割る」などの意味を含んでいたと言うことができる。
続いて分数の原点をエジプトに訪ねてみよましょう。
エジプト人は1から10進法的に増えていく数列としての整数に対して、減っていく数列としての逆数を用いていた。・・エジプトでは分子を1とする単位分数が用いられたと言われている。・・・ひどい飢饉のとき、エジプト人は自分自身と土地とを売ったのであるが、これに村してヨセフは次のように言っているのである。「汝等に種を与えるから、この土地に蒔くがよい。収穫のときには、五番目の部分をエジプト王に与え、四つの部分を汝等自身のものとせよ。」エジプト人のこのような言語表現では、5分の2(twofifths)のような表現は意味を持たないのである。なぜなら、「第5部分」という表現に対応する量は5等分したときの最初(あるいは最後)の部分であり、それは”ただ1つ”しか存在しないからである。エジプト分数で、”第5部分”などは「ただ1つしか存在しない」とする思考法が背景にあると考えれば納得できる。このような言語使用も手伝って、エジプト人はそもそも”分数”とは単位量を等分割した1つを表現するものとして認識する仕方に止まっていたのではないかと思われる。
エジプト人は「あるものを等しく分割し、そのうちの何番目のもの」という意味で分数を使っていたようです。またシュメール文明でも分数は存在していたという。
バビロニアの先住王朝であるシュメール王朝(2700~2330B.C.)の頃には・・・分数記号が使用されていたし、アツカド王朝(2330~2200B.C.)の頃には、60進法とのかかわりで、分母が6である分数系列もあった。このようなきわめて古い記号をみると、分数が容易で便宜な分割にその起源を持っていたことがわかる。
さらにギリシャにも同じく分数が数学的思考の古層にあったことが記されている。
『イーリアス』はギリシア最古の、したがってヨーロッパ最初の文学作品(叙事詩)であって、およそ紀元前8世紀頃の成立とされているが、そこではオデュッセウスが次のように述べているのである。「さあ出かけよう。夜も随分経ってゆき、払暁も近い。星々も、それ、廻り進み、大方夜は過ぎてしまって、三つの区分のうち、二つは終り、三つ目が残るばかりだ。」つまり、夜を3等分しているのである。このように、あるものを等分して、そのいくつ分を考える考え方はきわめて古い起源を持っていると言えるのである。そして、ロギステイケ一における分数はそうした考え方を背景として、日常の生活の中で使用されていったのである。
実現塾で、原始人の思考に同化して、比や割るの原点に等分という考え方があるのではないかと、考察したが、その思考は、エジプト、シュメール、ギリシャといった古代文いずれにも姿を見せていたことが明らかになりました。次回は、この等分に起因する分数や割るおいう思考がそお後、どのように発展していったのかをみていきましょう。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2017/01/3427.html/trackback