2006-11-28

バイオマスってなに? 2 (バイオマス利活用は普通!?)

前回に引き続きバイオマスを扱っていきたいと思います。

お付き合い願いしますm(_ _)m

   


satoukibi.jpgバイオマスの活用事例を探索していたところ、「沖縄では20年以上も前(1980年代)から、年間圧搾量10万トン以下の製糖工場では、排出されるバガス(サトウキビのしぼりかす)は燃料としてほとんど消費してしまいます。 」という記述がありました。


参考;バイオマス資源としてのさとうきびバガス

『バイオマス発電』バイオマス発電とは

   


つまり、落葉や糞尿を肥料として、あるいは里山から得られる薪炭をエネルギーとして利用するなど、家庭でのバイオマス利活用を企業(工場)でも利用していたのです


   


これは、『バイオマスってなに? 1』「高度成長期以前の日本はバイオマスを活用した社会」という引用とは矛盾するのでは という疑問が・・・・・ :-(


   


1950年代半ばから1970年代初頭までの高度成長以降に、なぜバイオマスが見直されたのか


   


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高度成長期に農村などの地方はどのような状況に置かれたのか

少し長くなりますが、以下に林業の状況を引用します。 m(_ _)m

1960年代から今までに、日本の木材生産というのは3分の1になった。そして今、私たちが家を建てる場合に、木質の材料を使うと思いますが、その木質の材料で中山間地に還元されている部分というのが、どんどん圧縮されている。だから山主たちが受け取る立木代の価格、それは80年代初めに比べたら、半分になっていると思います。

今のままいったら、日本の森林というのは、非常に安い原料の供給基地になってしまう。全部、都会、工業部門に吸い取られてしまう構造になってしまったわけです。だからそうする、やはり農村は農村で、もっと自立することを考えなければならない。

そういうことで、どんどん価格が押し下げられるので、木を切って出しても、全然コストが合わない、そういうことになりますと、食べていけないので、農村の若い人たちは外に出ていく。農村の若い人が外に出て行ったら、もう山の管理はできなくなるわけです。

日本では40%ぐらいの森林を、人工林にしました。ところがそのせっかく人工林にしたのに、手入れができなくて、山が過密になって、活力を失うという非常にこの深刻な状況になっているわけです。

   


’70年初頭の高度経済成長期の終焉は「物的豊かさの実現」=「貧困の消滅」を示しています。この貧困の消滅により心底では私権衰弱が進みますが、表面的には私権追求の可能性が開かれ、皆が実質価値から幻想価値(快美欠乏や性欠乏など)へと価値が移行していきます。

参考;『私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である』

『改めて市場の問題性を探る 農業と市場の関係』

『物的需要の限界は1970年頃!』

   


したがって、農業や林業などの「自然界に働きかけて直接に富を取得する産業」である第一次産業はどんどん廃れていく過程に入ることとなります。また、同時に農村部などの地方では人口が減少(都市部の人口集中)し、第一産業の就業人口も減少します(下表;参照)。

つまり、第一次産業を取り巻く外圧は高くなってきたと思われます。

   
























■産業(3部門)別就業人口および割合
区分第一次産業第二次産業第三次産業
年次就業人口割合就業人口割合就業人口割合就業人口割合
昭和40年11,85724.715,11531.520,96943.747,960100.0
45年10,14619.317,89734.024,51146.652,593100.0
50年7,34713.818,10634.127,52151.853,141100.0
55年6,10210.918,73733.630,91155.455,811100.0
60年5,4129.319,33433.133,44457.358,357100.0
平成02年4,3917.120,54833.336,42159.061,682100.0
07年3,8206.020,24731.639,64261.864,142100.0
12年3,1735.018,57129.540,48564.362,978100.0

※人口;1,000人、割合;%
参考;一般人口統計 -人口統計資料集(2006年版)-Ⅷ.労働力

   




   


前段の「沖縄におけるバガス利活用」も同じような構造だと思われますが、周辺を取り巻く外圧状況の変化に対応して、昔ながらの知恵を活かし再利用できる資源を純粋に利活用しているだけであり、再利用できる資源と云うのが第一次産業においてはバイオマスであった(しかなかった)ということではないでしょうか。

そして、もっと言えば当たり前のことを当たり前に行っていただけなのです。しかし、この事こそ「外圧状況を直視した結果、生産(構造)の再編を行った」『適応してきた』であり、自然の摂理となんら変わらない構造になっていたように思います。 :o


   


『バイオマスってなに? 1』で述べたように、日本のバイオマス利活用技術が高いレベルにある所以は、自然の摂理に則した適応態であったからだと思われます。


   




   


このように日本においては適応態として普通に利活用されていたバイオマス。

いつからお題目化してしまったのでしょうか?次回はこのあたりを探ってみたいと思います。

   


長文にお付き合いいただき、ありがとうございます


by 村田頼哉

   


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コメント6件

 Honda | 2006.12.13 17:22

遺伝子組を組み替えた生物を食べた場合の安全性はどうなの?っていう点は多くの人が取り上げています。
食べた人間が病気になったりしたら大変なのですが、今のところよくわかっていません。だからといって、ほうっておいてもいい問題ではありませんが。
しかしよく考えてみると、この疑問も『人間だけにとって』という偏った価値から物を見ているという自覚が必要だと思います。
自然界では、どの生物も共通の外圧を受けています。その外圧に気の遠くなるような時間をかけて、変異と塗りかさねを続けてきました。その結果が今のDNAです。
遺伝子を組み替は、この時空を超えた壮大な外圧に対する、それぞれの生物の淘汰適応のバランスを一瞬のうちに崩す技術です。
例えば、ブラックバスが、外圧適応の時空を超えて日本に入ってきたとき、それまで適応してきた生物が作り出す、自然のバランスが大きく崩れました。
遺伝子組み換え植物が野生化したとき、それ以上に、今ある自然のバランスを崩す恐れがあるのだと思います。それも、いま市場で売れるという特性のためだけに。
『遺伝子組み替え食品の問題性 3』
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=5661

 たらこ | 2006.12.13 19:22

>「涙のでないたまねぎ」を研究中など、ホントに必要??というかんじがしました
遺伝子組み替えって、人間の都合の良い食物を作るため??
涙の出ないたまねぎとか、それってたまねぎ??って感じですよね・・・

 シゼン | 2006.12.14 11:15

薬の副作用は、病原体も人の細胞も非常に似ているため、病原体に良くないものは、人の細胞にも良くない、というわけです。
害虫の細胞も人の細胞も非常に似ているはずです。害虫に良くないことは、人の細胞にも良くないはずです。ただ、害虫が年収百万円で、人間が年収100億円だとしたら、百万円の損害は、害虫にとって、大きな損害でも、人間にとっては、たいしたことない、というようなところでしょうか。副作用が何世代か後に顕著になるようなものだと、気になるわけですが、例えば、風邪にかかりやすくなる程度のものだったら、どうってことないかも知れません。

 かっし~ | 2006.12.14 23:41

以前、『新しい「農」のかたち』さんで、合成殺虫剤の耐性がついてしまった害虫の記事がありました。
http://www.new-agriculture.net/blog/2006/11/post_34.html
殺虫剤と遺伝子組み換えでは勝手が違うかもしれませんが、同じようなことが起こり得るのでしょうか?

 たれー | 2006.12.18 11:29

たまねぎの例をきいてふと思ったんやけど、
自分に都合のいい部分は大きく取りあげて
都合の悪いところは蓋をしているものってたくさんありそう。
だって巷に溢れている○○に効果あり!っていわれているものの裏側って、全然表に出てないし、聞いた事もない。。

 にしこ | 2006.12.18 12:08

自然界の生物は周りの環境に適応する為に、必要ならば自然と進化するのに、それを人間の都合で遺伝子を操作するって、なんか自然界の一生物として領域を超えすぎた行動な気がする。
それに、今は特に大きな問題にされてない副作用も、長い月日を経て出てきた場合、その時、人間の技術はさらに進歩しているだろうし、その副作用の対処法として、人間にまで遺伝子組み換え治療を公に使うようになったら、もう「自然の摂理」はグチャグチャになりそう・・・。
「遺伝子組み変え」という言葉から素敵な未来はイメージにしにくい・・・。

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