2012-12-05

【森林問題の深層】◆1)森林環境の現況と課題(その2)森林資源の採取と刈り残しのバランスが織りなす複合生態系としての里山景観

前回 は、
1)森林問題の現況と課題(その1)として、「森林飽和」の状態にあるが、その中味たるやモノカルチャーな畑のような線香林で、土砂災害防止を担うどころか、さらに新たな問題を起こしかねない状況にあることを述べた。
今回は、人里に近い「里山」を理解した上で、今日的な状況の理解を深めたい。
◆里山は、荒地複合生態系
弥生時代以降、水田稲作が農として営まれるようになると、水利の確保・維持のために集落が形成され、それを取り囲むような同心円上に集落、耕地、原野、山林という構成になった。里地・里山とは、「ムラ~ノラ~ノベ」を包摂する領域と捉えることができる。
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 〔「森林飽和」大田猛彦著 P.54 図2-5 里地・里山模式図〕
1)燃料としての薪炭
昭和33年に茨城県の常陸台地で調査した農家1戸当りの消費量は、薪と柴を合せて5,000kg前後であったという。里山の面積は、約1.1ha。江戸時代の戸数は約270万世帯で、薪炭採取に必要な里山はざっと300万ha、燃料として800万tを消費したという。(里地里山文化論 養父志乃夫著)それくらい、里山に働く利用圧は高かった。

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本州中央部においては、薪炭の対象となった樹種は、落葉広葉樹のコナラ、クヌギ、針葉樹のアカマツなどであった。コナラやクヌギは、生葉や落葉は養分に富むので、採取されて堆肥として田畑に肥料として投入され、樹齢20年ほどで伐採され、燃料として使われた。
その後は切り株から芽吹く「ひこばえ」を育てつつ、次の伐採までは、間伐や枝落したものは燃料として使い、落葉の採取や下草刈で堆肥利用をしていった。間引きや落葉集め、下草刈によって林床まで日が差すので、「春植物」のカタクリやエンゴグサなどが育つ。いわゆる山菜の類も、このような環境で育つこととなった。
2)刈敷、飼葉
柔らかい飼葉を得るためには、ヤマに火入れもした。そうすることで、カヤやススキ、萩やツツジなどが優勢になり、草山となる。萩などは絶好の飼い葉となり、カヤやススキは屋根葺きに、刈敷 は肥料として使った。
植相の回復は、隣接する林の種が実生(みしょう)となって自生してくるのを生かす。高木のない、天空の開けたところにで、実生以外にコナラやクヌギの植林も可能である。都合のよいものは、野の草と同様に刈らずに取り置いて、育成を待つこともした。その匙加減は、どのような利用を期待するかによって決まった。
3)松林
コナラやクヌギを育て続けると、土地が痩せてくる。そのような環境に適合した樹種として、貧栄養でも育つアカマツが優勢になる。マツは、建築材としても有用だし、薪炭としても重宝され、松脂も貴重な資源となった。マツは、菌根類との共生関係にあるので、貧栄養の土地でも育つので荒地適応種ともいえる。そして、松茸も採れる。
海岸などの砂地でも育つので、防砂・防風林として植えられたものの歴史も古い。落葉した松葉は炊き付けとして頻繁に採取されたので、土地は常に貧栄養状態になり、競合する樹種が入り込まないので、樹林は極相化していく。防砂・防風林は、海辺の里山であるという説もあるくらいだ。

陽樹

荒地や草木主体の草原に真っ先に生えてくるのは、コナラ、クヌギ、クロマツ、アカマツ、ハンノキ、ダケカンバなどの陽樹である。陽樹からなる森林が出来ると、その樹下には陽の光が届かないので陽樹は発芽し難くなるので次第に陰樹に取って代わられる。
だから極相林は陰樹林であるが、そのような森林でも大木が倒れて林冠にギャップが生じた場合には、林床に光が入るので陽樹が発芽生長することがある。このように、陽樹は樹木におけるパイオニア植物の役割を果たしている。ギャップは、自然においては台風や大雪、獣害、地滑りなどにより、人為的には伐採や焼畑などによってもたらされる。
雑木林での間伐や枝落し、下草刈りは、結果的には人為的に外圧をかけ続けることになり、陽樹の林が継続することになる。それが、文化を支え里地・里山の景観要素となる。

4)竹林
工業製品のない時代にあっては、竹は生活雑貨を作るために格好の素材であった。細く裂いてザルやカゴを編んだりして生活雑貨を作った。竹竿として刈ったイネを干す稲架木(ハサギ)や、塗り壁の下地材としても使うし、町場に持っていけば、竿竹として売れたので現金収入にもなった。
筍を採ったり、竿竹を切り出ししたりすることが、密度を適宜に保つこととなり、その利用圧が竹林の林床に日の光ももたらして、荒れも防ぐこととなった。
5)里山の景観とそれからの学び
村落の周辺は里地で、その周囲が耕地(ノラ)、その先が野辺(ノベ)、村落からおよそ1時間工程となるその先が山林(ヤマ)といわれた。今まで述べてきたようなものに、建築資材としての杉や桧果樹を加えると、里山の二次林の植生となる。山林(ヤマ)境界領域までが、農業生産や生活を支える里地里山であった。
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森林は、森林資源の採取という人為的な攪乱が繰り返されると、その利用圧力の差で、

と林相は変化を見せる退行遷移となる。
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自然に対する利用圧を高めれば、右端の禿山と化す危ういバランスの中で里山は運営されていた。元々、里山は上記の各シーンが織り成す『荒地複合生態系』の景観であった。昭和30年代までは、禿山の景観が至る所にあったのに、現在は(一見は)緑豊かな飽和状態にあるのは有史以来のこととして、太田猛彦氏は、「森林飽和」と命名した。
材木利用を意図した戦後の、補助金目当ての一斉植林は、利用促進のフローを構築できず、ヤマの手入れも儘ならずに放置され、伐採時期を迎えている。そのヤマの殆どは、線香林のように新たな荒廃をもたらす危険さえ内包している。
◆どうする?
里山の景観は、森林資源を使い込むことで維持されてきた。江戸時代から戦後に至るまで、利用圧を加え過ぎれば禿山と化すギリギリのところで持ちこたえてこれたのは、アジアモンスーン気候ゆえの多雨(=旺盛な植物の生命力)による。しかし、それとて自然の摂理を逸した単一樹種であれば、菌類も含めた生物多様性は損なわれ、治山・治水などの機能もおぼつかない、というのが「森林飽和」の現実といえる。
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里山の多様性は、様々な利用外圧がかかり、適応の違いの結果が織り成す結果ともいえる。豊かな経験と、確かな自然との同化、たゆまぬ観察のもとに繰り広げられる生業があってこそ、それは実現できるといえる。
だから、里山の景観を愛で、育んだ文化と自然を求めるなら、上記のような前提の下に森林バイオマスを使い込んでいきつつ、その再生を促す、というのが本筋と云えるのではなかろうか。
次回は、歴史をなぞって、
「2」混迷した林業政策の歴史と今後の展望」をみていく予定です。
  つづく
by びん

List    投稿者 staff | 2012-12-05 | Posted in E02.林業編No Comments » 

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