トリウム原発に騙されてはいけない!!3~一体、誰のための原子力発電なのか~
「トリウム原発に騙されてはいけない!!」シリーズも、3回目を迎えました。
原子力発電事業そのものの危険性が明らかになるにつれ、『なぜこれほどの危険を冒してまで原発を推進しようとするのか?』という疑問はいっそう高まります。
今回は、原発推進の背後に潜む利権構造と、その本質に迫りたいと思います。
◆◆◆一体、誰のための原発推進なのか?
東電をはじめとする電力会社および原子炉プラントメーカーなどの「産」、経産省、原子力安全保安院や政治家などの「政・官」、東大を頂点とする「学」、そして「マスコミ」、彼らは一丸となって原子力発電事業を推進してきました。
それは、他ならぬ彼ら自身の利益のためです。
中でも実質的に行政・立法権を握る立場にある官僚機構は、「原発ムラ」とも言うべき一大利権構造を維持するための体制作りに邁進してきました。
官僚機構は法案をつくり、国会へ提出します。そうやって仕組みをつくり、随時法改正をしていきます。電気事業法における決して赤字にならないよう設定できる電気料金は、仕入れ価格や不確定要素である価格変動を消費者に転嫁できるシステムとなっています。また、そこに含まれる電源開発促進税は上記のサブガバメント組織の潤沢な資金源となります。そして財政法における特別会計で、それらを外部の圧力を受けることなく、天下りネットワークなどに自ら運用できる仕組みとなっています。
こうした特権を一度構築してしまえば、その枠組みの中で自分たちの意思決定を最優先することが可能になるのです。
『次代を担う、エネルギー・資源』原子力発電のまとめ2~(推進体制編)
今回の大惨事を受けてなお、彼らは「事実を知りたい」という国民の期待に背を向け、己の保身を第一とする言動に終始している。私たちがこれまで無意識に社会を統合する有能者と錯覚してきたエリート官僚の虚構が暴かれ、実はとんでもない無能者だったということが、今、白日の下に晒されています。
<参考>
『この国は電力会社に丸ごと買収されていた。原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ』
『福島の原子力発電所の危機は官僚政治による人災である』
◆◆◆それにしても、こうした官僚達の暴走、無能ぶりはどこからくるのか?
マスコミ、政治家、官僚など、現在(団塊世代以降)の特権階級は、大半が貧困=本当の私権圧力を知らず、従って本当の目的意識を持ち合わせていない。彼らは、単なる試験制度発の「合格」という無機的な目的意識(もちろん、それは肉体的欠乏に根ざした本気の目的ではない)を植え付けられてひたすら試験勉強に励み、「特権」を手に入れた連中である。
又、彼らの大半は、試験制度という与えられた枠組みの中でひたすら「合格」を目指してきただけで、その前提を成す枠組みそのものを疑うという発想が極めて貧弱である。
従って、彼らは社会に出てからも、ひたすら既存の制度の枠組みの中で走り続けることになるが、もはやそこでは、既存制度によって与えれた特権の維持と行使という目的以外の目的意識など生まれようがない。
かくして、団塊世代がトップor幹部に就いた’00年以降、彼ら特権階級は、ひたすら与えられた特権を行使し、次第に「社会を動かし」「世論を動かし」ているという支配の快感に溺れてゆくようになって終った。これは、権力の自家中毒であるが、恐ろしいことにその病癖は麻薬中毒よりももっと酷い結果をもたらすことになる。
何れも、社会統合という最重要課題が分業体制(専門家体制)によって担われてきたが故に生じた問題であるが、金貸しの特権階級(幹部)に対する買収と脅迫の横行にせよ、支配の快感に溺れてゆく特権階級の自家中毒にせよ、専門家体制が末期症状を呈していることだけは間違いがない。
『特権階級の自家中毒』
社会統合という最重要課題が分業体制(専門家体制)によって担われてきたが故に、「国益より省益、省益より私益」と狭い専門領域に閉じこもり、己の保身を第一に考える(=無能)者達の暴走を許しているのです。
◆◆◆では、無能者量産の場と化した官僚制度の成立背景には、何があるのか?
明治に入り、欧米が作り出した近代化圧力を受けると「富国強兵」というスローガンを実現するために、中国の科挙を昇華したヨーロッパ型の近代型官僚制度を導入していった。四民平等といった近代思想が日本的な集団主義を解体し、万人の私権欠乏を駆り立て、誰もが立身出世を夢見るようになる。他方、近代思想は自由民権運動を生み出し、反体制的知識人を量産するが、それ故に、国家は体制に従順で、言われたことだけやる「官僚」に様々な特権を付与し、学閥社会を生み出していった。
一般に試験制度は「与えられた問題に答える」のは得意だが「問題そのものを考える力が欠如してしまう」という問題を孕んでいる。しかし「富国強兵」という単一の目的意識の前では「試験制度の弊害」はむしろ歓迎されたのだ。
『官僚制と試験制の通史的総括』
国を挙げての私権闘争≒市場拡大と、根底にある近代思想に導かれ、官僚制度(試験制度)は誕生しました。敗戦後の官僚組織は「経済復興」という国家私権課題に邁進してきましたが、70年、貧困が消滅して以降、国家私権課題は消滅し、彼らは「国家のため」という対象性を喪失しました。自閉化した彼らは、自らの存続を第一義とし、”次代の国益とは何か”を問おうともせず、ひたすら自分達の利益を追い求める、まさに暴走状態に陥っているのです。
他方、財政破綻、環境破壊、肉体破壊、精神破壊…、現在起きているあらゆる社会問題の根底に、市場拡大を絶対とする経済構造が深く関わっていることは明らかです。とすれば、近代全般を通じ、市場拡大の旗振り役として機能してきた思想=近代思想そのものにこそ問題の元凶はある、と見るべきではないでしょうか。
…次回「近代思想が仕掛けた罠」では、「近代思想の正体」に迫ります。
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