『次代を担うエネルギー・資源』火力発電の可能性7~「これからは、エネルギーの消費者が供給者になること」~
これまでの電力会社分析を通して、新たに電力供給会社への外資乗っ取りリスクということが明らかになりました。
火力発電の可能性5~「知らないうちに日本の電力が外資に乗っ取られる!?~」
火力発電の可能性6~「日本の電力の中核的企業が外資に狙われている」~
外為法に基づく外資への規制は制度上は可能ですが、その運用判断は政府、官僚に委ねられています。よって、必ずしも国民や国家利益にとってベストの判断がなされるとは限りません。
加えて、外資ではない内資ファンドに対しては外為法は適用できず、当該企業による自衛以外には規制方法がありません。
そして、表面上は内資でも、その主たる投資家は外資であるケースも多く、どういった資金がそこに投資され、投資家がどのような思惑を持っているかはまったく明かされません。
電力会社分析の最終回となる今回は、この状況を踏まえ、「今後どうしていけばいいのか?」について考えてみたいと思います。
<エネルギー統合システムのイメージ図>
続きに行く前に応援よろしくお願いします。↓
◆国益に直結するエネルギー企業(電力会社)が上場していることは危険
つまり、株式市場に上場している場合は、原則として外資(or内資)乗っ取りを完全に退けることは不可能なのだといえます。
そして、仮に各電力会社が乗っ取りに対して自衛したとしても、電力業界の中核的企業ともいえる「J-POWER-電源開発を介して、日本の電力会社への強い影響力を持つことさえできてしまいます(※電源開発の時価総額は中規模程度で上位会社ほどの買収資金を必要としない)。
参考:電源開発(J-POWER)の送電設備マップ
とすれば、そもそも国益に直結するエネルギー企業(電力会社)が上場していることそのものの是非が問われるのではないでしょうか?
◆電力会社は、上場廃止(非公開)が原則では?
小泉・竹中政権における外資優先の規制撤廃により、日本においても企業買収(M&A)は急増しています。そして、それらは短期利益目的の投資ファンドなどによる敵対的買収が多く、上場企業にとっては、新たなリスクとなってきています。
有名なところでは、ライブドアや村上ファンドによる企業買収の仕掛けなどがありました。それに限らず、今回の電力会社の事例など、さらにそのリスクは高まってきています。
そんな中で、他業界の上場企業はどのような対策をとっているのでしょうか?
「株式会社」の意義とは?1~ワールド上場廃止の事例より~
「幻冬舎(出版社)やCCC(TSUTAYA)も上場廃止 MBOで経営者主導狙う」
このような経営陣主導による上場廃止は、徐々に増えつつあります。
しかし、この場合のネックとなるのが、上場廃止に伴う資金調達です。
すでに市場に流通している株を時価、あるいはそれ以上で再度買い上げなければならず、そのための巨額の資金が調達できないため、上場廃止ができるのは、まだ一部の企業に限られているのです。
まして、電力会社はその規模も巨大であり、自己資本や借り入れ(金融機関等)での資金調達は難しいと思われます。
◆そのためには電力会社の国有化!?
となれば、国益や公の秩序に関係する電力インフラ事業の国家防衛という課題を解決できるのは、国家による管理ということになります。
ちなみに、諸外国は電力事業への国家の関わりはどうなっているのでしょうか?
こちらよりお借りしました。
これを見ると、実は、イギリスも黄金株という形で最優先議決権を保持したままですし、フランスなども70%の株を国家が所有しています。むしろ、例外なのはアメリカや日本なのだといえそうです。
※ただ、アメリカの場合は、エクソン・フロリオ条項という事後介入制度も設けており、日本のような事前届け出方式よりも、より強制力を持っています。
よって、今後は、まずは電力会社の上場廃止、さらには国有化が課題となるのではないでしょうか?
◆国有化に伴う官僚の弊害は?
ですが、ここでも問題が出てきます。電力を国営化する場合は、そこには巨大な利権が集中してしまいます。
今まで見てきたように、日本の電力政策は、戦後、金貸し、およびその手先ともいえる官僚、政治家、マスコミによって支配されてきました。
>政府内小政府とも言うべき性格を持ち合わせる官僚および電力会社が構成する集団
サブガバメント組織をもう少し具体的に言うと、経済産業省(旧通産省)・文部科学省(旧科学技術庁)・これら官僚機構の所轄団体である、独立行政法人等(核燃料サイクル開発機構等)・経済産業省支配下の10電力会社の利害を共にする連合組織です。>官僚と電力会社が、国益を無視し自らが甘い汁を吸うことを目的として、国際金融資本家の意向に沿っていったのです。
国有化となれば、地域独占の電力事業に関する利権が集中し、国民や地域のための電力経営よりも、省益や私益が重視されてしまうことになる危険をはらんでいます。
◆市場や国家(官僚)の弊害を超えるには、エネルギーの消費者が供給政策の当事者になること
では、市場に任せては国益が損なわれる危険があり、国(政府、官僚)に任せても弊害が大きいといった問題を解決する方向はないのでしょうか?
そのヒントは次の投稿にあります。
環境問題の改革を進めるには、新しい社会統合機構が不可欠!8『官僚制の突破口は、「半専任・半事業⇒参勤交代制」』
>これらのエネルギー消費者は、今まで単にエネルギーの安定供給に対して国家に要求するだけでした。その結果、それを官僚 に逆手に取られ、
国益よりは省益、省益よりは私益(特別会計による省益の拡大)
無駄事業の量産(公共事業と天下り構造・官僚個人の私益の追求)
特定の専門家集団の暴走(官僚機構の際限のない肥大化)
>という惨憺たる結果を招いてきました。そこを、逆転するためには、エネルギーの消費者がエネルギー供給政策の当事者になればいいのです。そうすれば、消費者も要求するだけではなく、『自らどのようにエネルギー供給を担っていくのか?』や『社会全体のエネルギー供給はどうあるべきか?』という視点をもって、社会統合のレベルで政策を考える必要に迫られます。そのことは、とりもなおさず自集団のエネルギー消費は社会全体の中でどうあるべきかという視点を持った消費者の誕生にもなります。
つまり、住民自らが、自分たちのそして地域のエネルギーをどうしていくかという課題の当事者となること。それこそが、エネルギー自給の問題においても、さらにはエネルギーの無駄削減においても、もっとも有効な解決策となるように思われます。
では、そのためにはどうすればいいのでしょうか?
そして、それは可能なのでしょうか?
◆住民出資による地域分散電源の事例
自然エネルギーの分野では、すでにそういった住民や地域の出資による電力会社やファンドが立ち上がりつつあります。
グリーンエネルギー青森と市民風車わんず
おひさまエネルギーファンドよりお借りしました
その他の参考資料:全国での事例一覧
◆みんなで作るエネルギー統合システム
上記のような地域電力会社、ファンドが各地で増えつつありますが、今後、どのような方向性へ向かうのでしょうか。
地域単位で自給を目指すとしても、各地域間の連携や、地域を越えたエリアという単位、そして、最終的には国家単位での統合も必要だと言えます。
その参考になるのが、道州制と言われる地域自治、地域主権体制だと思われます。
<道州制 区割案>
「@んま研究所」様よりお借りしました
これまでの議論によれば、おおよそ、全国を30万人単位のコミュニティ(この記事では「地域」とします)を全国に400ヶ所前後で構成し、基本的に日常生活の生産や流通、消費などはその「地域」単位の中で完結するというものです。そして、それを統合するのが、全国11ヶ所の道州(この記事では「エリア」とします)。そして、最後はそれらのエリアを束ねる「国家」単位で統合されます。
この全国を11のエリアに分ける考え方は、まさに現在の10電力会社のエリア区分と近いといえます。よって、ここではこの区割りを参考に考えてみます。
<地域電力・統合システム(イメージ図)>
※必要電力の算出では、年間1,500時間稼働すると仮定して計算
(人口等は総務省統計局データを元に作成)
ざっくりと試算すると、仮に現状の世帯電力使用量(年間5,862kwh)で考えれば、1,000kwクラスの発電力を持つ小規模地域発電所が地域当たりで、450ヶ所必要となります。
太陽光発電の基準で必要投資金額をシミュレーションをすれば、世帯当たり274万の出資が必要となります。ただし、これは、既存の電力設備を全て代替する計算となります。実際には、現在、稼働している大規模発電所から、徐々に地域発電所との分散体制に切り替えていくことだと想定されます。よって、地域での発電負担は約半分とすれば、この半額となる世帯当たり137万になると考えられます。
これは、あくまで比較的コストの高い太陽光発電の基準となりますので、小水力、地熱等、比較的投資額が低くなる発電を組み合わせていくことでの減額も可能かと思われます。
とすれば、およそ世帯あたり100万円以下くらいの出資で、不足分は国家補助金も導入しながら、地域分散電源体制を構築していくことは不可能ではなさそうです。
そして、小規模地域発電所(1,000kw)は256世帯で出資、運営、利用していくイメージとなり、そこまで身近になれば、そのエネルギー供給についても、もちろん、消費についても、現在のように消費するだけの立場から、熱源自給やコスト、消費電力まで当事者として意識せざるを得なくなるといえます。
それこそが、国家や市場を超えた地域住民や地域共同体企業が主体となるエネルギー統合システムの雛型なのだと思います。
そして、これは同時に、エネルギーに限らず、政治、教育、生産、流通などの諸課題をも包摂した社会統合システムの雛型ともなるといえます。
本シリーズ後半を通して、地域分散電源のエネルギー統合システムにおいて、地域単位で導入していける小火力発電の可能性と日本において自給可能な熱源の追求を続けていきたいと思います。
読んでいただいてありがとうございました。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2011/02/840.html/trackback
コメント2件
hihi | 2012.01.10 13:11
ありがとうございます。
>原発のような本当に危険なものを作り出せたのも、この観念世界だけで開発が可能になったからなのでしょうか。
はい、その通りだと思います。
このあと、そのあたりも明らかにしていきますのでよろしくお願いします。
hon | 2012.01.09 23:32
「科学は万能」という感覚が危険な考えなように感じています。
東日本大震災で福島原発事故が起こるまでは、なんとなく科学技術は万能なんだと思い込んでいたのですが、現実を見てみるとそうでないですもんね。
>あくまでも人間の手の先で、自然を模倣しながら工夫されてきた技術が、科学者の頭の中、観念世界だけで開発が可能となったのです。
原発のような本当に危険なものを作り出せたのも、この観念世界だけで開発が可能になったからなのでしょうか。
残りのシリーズも楽しみにしています。