2009-07-30

【人口問題】8~本能態から共認態までの中間まとめ

 さて、今まで4回にわたって、共認態サルの場合の人口増加(個体数増加)は、はたして自然の摂理を超えていたかについて見てきました。
 今回は、その共認態サル編の最終回および今までの本能態からの中間まとめとなります。
では、その前にいつもの応援、よろしくお願いします。
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■万物は外圧適応態
 全ての生物は、全て外圧(外部世界)に対する適応態として存在しています。例えば本能機能も外圧適応態として形成され積み重ねられてきており、本能の全機能は外部世界に適応しようとして先端可能性へと収束し、その可能性 への収束によって統合されています。また、外部世界が変化して適応できなくなってくると、新たな可能性(DNA塩基の組み替えの可能性)へと収束し、新たな 可能性(例えば、新たな配列)の実現によって進化してゆく。つまり万物は、それ以前に実現された無数の実現体によって構成されており、それらを状況に応じたその時々の可能性への収束によって統合している、多面的な外圧適応態であるといえます。    
<参考>
「実現論」イ.可能性への収束=統合    
■環境適応限界まで個体数△
 よって、常に飢えや外敵といった外圧にさらされている本能態生物は、環境収容力(餌や生殖の場)の限界まで「個体数増加」という可能性に収束します。
 その事例としては、自然環境下においては、オーストラリアを初めアメリカ南部やアジア諸国に生息するイエネズミが、何年かに一度の異常繁殖などが有名です。ただ、これらの個体数爆発は無限には続かず、イエネズミの集団密度が増すと、ある種の細菌がネズミの群れに大感染を起こし、ネズミは次々に敗血症を起こして死亡してしまいます。そうして、数は急減し異常繁殖は終わりを告げるのです。
<参考投稿>
【人口問題】2~本能態の単一種が増殖し続ける事はない~

■環境適応限界を迎えた場合の3パターンの適応経路
そのような環境適応限界を迎えた場合、本能態としては大きくは3つの適応経路が存在します。

個体数増加→個体密度上昇→環境への適応限界(適応不全)⇒根源の適応回路による可能性探索⇒活性酸素の増産→[A]or[B]or[C]  
[A]…活性酸素を増産させ、運動機能を進化させて生活圏を拡大させる経路。 
[B]…できるだけ短時間で個体の適応度を高めるために活性酸素増大により、世代交代のスピード=DNA変異を加速させ、適応範囲を拡大させる経路。
[C]…適応するためのエネルギーを作り出すため、活性酸素を増産した結果、細胞が傷つき、アポトーシスすることで、個体数が減り、個体密度が解消され、一定の個体数を保ちつつ、種を存続させていく経路。

 上記は大きく分ければ、①DNA変異による新機能獲得 ②個体数UP(アポトーシス)ということができます。②は「一時的に個体を減らすことで、個体数を調節し、種を存続させる」という一見、消極的にも捉えられる生物の適応方法なのだといえます。
 ただ、本能態の生物が適応できる環境を越えて適応するためには、環境外圧の変化に対して「本能態(本能動物~モグラ~原猿初期)」までの段階では、DNA変異によって身体的な新機能を作り出すこと(ex.足指対向化=枝をつかめる等)で適応してきたといえます。ただし、このDNA変異による適応には何千万年もの時間を必要とし、個体数も増減を繰り返しながら非常にゆるやかな増加曲線をだどります。なお、局所的かつ一時的に本能態動物が大増殖することはあっても環境外圧限界に達した後は減少して、外圧適応態としての環境内に落ち着きます。
<参考>
“>【人口問題】7~個体数とアポトーシスの関係は?「生き残るための死」~

■共認態の外圧適応方法
 しかし、本能態である原モグラから原猿への進化(母指対向化によって枝をつかめるようになった)によって、食の確保が容易かつ防衛力が高い樹上世界に進出した原猿は、まさに 食と縄張りの限界まで繁殖した。そして激しい性闘争、縄張り闘争の結果、食や生殖の縄張りを持てない弱オスたちは縄張りから追い出され、生命の危機にさらされます。
つまり、この段階で環境外圧限界にまで達してしまったのです。
 しかし、原猿がそれまでの本能態と決定的に違うのは樹上という生息域の特徴にありました。餌が豊富で外敵もほとんどおらず、空間的にも3次元 に広がる樹上では、首雄の縄張りから追い出されたとしても、樹上逃避できるため、完全には駆逐し得なかったのです。本来ならば、性闘争の結果、縄張りから 追い出された個体のほとんどが死んでいくはずが死ねないという本能では適応できない事態によっての本能そのものの混濁が起きてしまう。
 であるが故に本能を超え出るしかない。その結果、「極度の不全(飢えや怯え)=本能混濁(未明課題)⇒(相手への)依存収束⇒(相手への)期待収束⇒同類闘争集団の形成(共認統合)」
という本能態(原猿初期)から共感態(原猿後期)へ、そして、共認態(真猿)への進化を遂げた。この共認態(真猿)は、新たに獲得した共認機能によって闘争集団を形成することに可能性収束した。
 
 それによって、外圧への適応スピードは飛躍的に上昇することになります。なぜなら、共認態では「集団統合様式」と「共認内容」の組み替えによって変化適応できるため、進化史上でははるかに短い期間で外圧に適応できたからだといえます。この変化適応のスピードは、そのまま外圧に適応して個体数増加していくスピードだといえます。よって、真猿段階ではそれまでにくらべて圧倒的に早く、そして、いままで適応できていなかった生息域にまで適応して個体数増加していったのだと思われます。
<参考投稿>
【人口問題】3~共認態サルの増加は、「自然の摂理」を超えた繁殖といえるのだろうか?(1)~
 
【人口問題】4~共認態サルの増加は、「自然の摂理」を超えた繁殖といえるのだろうか?(2)

■共認機能による個体数UP
この共認態は新たに獲得した共認機能によって、個体数を増加させることが可能になります。
 

Ⅰ.親和充足による個体数UP
・密集しながらも警戒心による不全も軽減(むしろ相互に充足を与え合うことができるようになった)することで、一定の縄張り空間に適応して生息することのできる個体数は増加。
・共認充足を得られることでの免疫機能UPによって病気への対抗力も上がる。
Ⅱ.同類闘争での戦力UP→個体数UPの必要性を共認
・真猿は環境適応限界まで個体数を拡大し、外敵闘争圧力や自然圧力よりも同類闘争圧力を主とする。
・よって、ほぼ同じ体格の同種同士であれば、同類闘争での勝敗を決するのは「(オスの)成員数」。
・同類闘争圧力の上昇が個体数UP(集団規模拡大)の大きな要因となっている。
Ⅲ.共認機能による食と生殖の進化=個体数UP
1)闘争共認による縄張り域と食性の拡大(=食糧の増加)による個体数増加
・獲得が不安定かつ少量の昆虫食から、ほぼ年中を通して存在し入手が容易な植物食へと適応。これを共認によって組み替え、集団で継承していくことが可能となりました(DNA組み換えよりもはるかに早く適応できる)。
2)共認機能による生殖機能進化=出生数UP+死亡数DN
・原猿が季節発情、交尾排卵であった性機能を、真猿では通年発情、自然排卵へと生殖機能さえ進化。それによって、性は単に生殖のためだけでなく、雄雌解脱の 性的充足のための機能も併せ持つようになる。
・『本能による性から共認による性』へと進化したことによって共認充足を高めることが、生殖機会UPや不妊DNによる出生数DNにもつながり、かつ、流産などによる死亡数DNとなり、結果として集団個体数UPの要因となります。

<参考>
【人口問題】5~共認態サルの増加は、「自然の摂理」を超えた繁殖といえるのだろうか?(3)
■同類闘争圧力DN=個体数DN
 しかし、共認機能には弱点もあります。ある生息域における制覇種(同類闘争の末に勝ち残った種)となった場合は、閉じられた環境において徐々に同類闘争圧力も下がり、現存のゴリラやチンパンジーなどのように、「制覇種→同類闘争圧力DN→集団統合力DN→解脱埋没→外圧適応力DN→個体数DN」
となっていきます。
 あるいは、ニホンザルのように過酷な生息域(北限のサル)へと逃走せざるをえなかった敗北種もまた、他種が進出できないほどの厳しい閉鎖地域において同様に「敗北種→同類闘争圧力DN→集団統合力DN→解脱埋没→外圧適応力DN→個体数DN」
となります。 
 つまり、共認態(真猿)は自然圧力、外敵圧力に代わる「同類闘争圧力」によって、個体数増加は加速されたわけですが、逆に「同類闘争圧力が下がれば、(集団)統合力も下がり、個体数も減る」という結果を招いてしまいます。結果として、共認態といえども環境適応限界を超えて単一種で人口(個体数)爆発することはなかったのです。
<参考投稿>
【人口問題】6~ニホンザルからみる、同類闘争圧力が低下すると数が減る~

■自然の摂理(外圧適応態としての統合限界)
 まとめると、
「生物は全て外圧適応態」
①本能態:自然圧力+外敵圧力
②共認態:自然圧力+外敵圧力+同類闘争圧力
 よって、生物は本能態、共認態を通じて外圧に適応して統合できる限界まで数は増加する。しかし、その適応限界を超え出ることはできない。これは、外圧適応態(外圧収束⇒統合)としての自然の摂理なのだといえます。
 とすれば、唯一、人類のみが単一種としてここまで人口増加できた理由は、人類だけにしかない機能(=観念機能)にその秘密がありそうです。それは、次の「始原人類編」であきらかにしていきたいと思います。ご期待ください。

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コメント2件

 ちひろ | 2010.02.25 22:45

個人の自由とか、みんなそれぞれ考え方が違うから仕方ないとか、日常で普通に聞いてた言葉です。相手を尊重しているようで、それが本当は自己中なことだったなんて、凄い事実だと思います。みんなの中で生きているから、やる気も出るし楽しい♪♪みんなで生きるときに自分の個性・自由、自分の価値観を大事にするとかって何か違うような気がします。
>私達は「生きている」のではなく、周りに「生かされている」
次回を楽しみにしています♪♪

 みわつん | 2010.02.26 18:11

ちひろさん☆
コメントありがとうございます♪
>みんなの中で生きているから、やる気も出るし楽しい♪♪
みんなで生きるときに自分の個性・自由、自分の価値観を大事にするとかって何か違うような気がします。
そうですよね!わたしも、社会にでてこれをすごく痛感するんです。
仕事をするときも、必ず誰かが助けてくれているんです☆そして、自分がやっていることも、必ず誰かに繋がっている♪
そこに・・・自分とかまーったくないですよね♪
次回もがんばって書きますので、楽しみにしててくださいね(@^∇^@)

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