脳回路を解く(15)~・思考ベクトルが逆転している架空観念・~
人類が獲得した観念機能。これによって外圧を克服してきましたが、その観念が狂った方向に進んでいます。
学校制度を初めとする様々な社会制度ですが、それらの制度を作り出したのは、観念(言葉や思想)です。そして、現代の制度を生み出したのは、近代観念、つまり自由・平等・博愛や個人主義や民主主義や権利主義という観念群です。
この近代観念は、全て「あるべき姿」を表した言葉、つまり綺麗事に過ぎません。例えば、「みんな仲良く」という言葉は、いかにももっともらしい言葉で、誰も反論できませんが、現実にはいじめやスクールカーストが蔓延っており、「みんな仲良く」という言葉は、そのような仲間世界の現実とは間逆の逆転観念です。むしろ、現実が苦しいものであるがゆえに現実から反転して作られた願望に過ぎません。自由や平等や民主や権利という言葉も同様で、現実が苦しみに満ちているがゆえに現実から反転して作られた架空観念に過ぎません。
この架空観念は、人類本来の思考が生み出す事実の認識とは異なっています。
では、この架空観念はどのようにしてできあがったのでしょうか?
・約5500年前、乾燥→飢餓を契機として掠奪闘争が始まり、それを武力で統合した国家が形成された。その結果、全ての物材は支配階級の占有物となり、私権(財産や地位)を獲得しなければ生きてゆけなくなる。こうして、社会は否も応もない私権の強制圧力によって埋め尽くされ、誰もが私権の獲得に収束する私権社会が成立した。
・この私権の強制圧力は、人々を戦争や貧困や支配・抑圧のドン底に突き落とす。しかし、万人が私権の獲得に収束している以上、その現実を変えることは不可能である。かくして、全生物史を通じて一貫して現実を対象化してきた思考ベクトルが、実現不可能視をテコとして反転し、反現実・非現実の方向に向かう。こうして生み出されたのがユダヤ教・キリスト教の唯一絶対神であり、その思考ベクトルを踏襲して形成されたのが自由・平等・民主・権利etc.の近代観念である。
これら、古代宗教と近代観念は思考ベクトルが逆転して非現実の世界に構築された、架空観念である。事実、神も、自由も、権利も、現実にはどこにも存在しない頭の中だけの(外圧を否定or捨象した)価値観念にすぎない。従って、「天国」も、「平等社会」も、実現された例がない。それも当然で、現実に背を向けた、非現実の架空観念が、実現する訳などないからである。
今、人類は、思考ベクトルの逆転した(=狂った)架空観念に支配されて思考停止状態に陥り、滅亡の危機に瀕している。(この人類滅亡の直接の下手人こそ、学者と教師とマスコミに他ならない。)
この危機を突破する道はただ一つ、架空観念を焼却し、潜在思念発で現実を対象化すること。そして、とことん事実を追求して『事実の体系』を構築してゆくこと。それ以外には、ない。
・大脳連合野は、全ゆる認識をそこへ先端収束させる。そして、本来そこで生み出されるのは具体現象から抽出された構造認識である。しかし、社会が苦に満ちており、かつ脱出口が閉ざされている場合、人々の意識は反現実に反転して架空観念に先端収束する。これは、大脳連合野が孕む弱点と言えるかも知れない。
・とりわけ神や自由や権利etc.の架空観念(価値観念)に先端収束した場合は、その観念が全てとなり、具体的な現象の追求に意識が向かわなくなる。本質をズラした構造認識もどきの架空観念も同様に思考を停止させる元凶となる。例えば「金貸し支配」という本質を突いた構造認識は、様々な社会現象の追求を促す。だが、本質を外した「資本の論理」という架空観念は、全ての現象をその抽象概念に当てはめて(例えば「全て資本家・経営者が悪い」と)「分かった」つもりにさせ、思考を停止させる。
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