脳回路を解く(5)~・文字と書き言葉の弊害・~
縄文人は文字を持ちませんでした。
現在も残存するアイヌも文字を持たない民族です。文字を持たないアイヌは、神話や伝説などを口伝えで受け継いできました。
では、なぜ文字が必要だったのでしょうか?
文字を必要とする民族は、管理することを目的として始めます。 簡単に言えば、税金の取り立て記録や、人員への命令の記録や、支配の正当性の記録や、貢ぎ物の記録がなければ口頭だけでは確実ではないからです。特に、命令が、伝達ゲームでは管理できません。 支配者一人の言葉は、同等に被支配者に伝わらなければ間違いや誤解によって違う結果とならないようにするために共通の合図が複雑化する中で、文字として発達していくのです。逆に言うと、管理社会でない民族には文字は必要性はないのです。ですから、文字を持たない民族や文化が劣っていて、文字を持つ文化が優秀なのではありません。統一国家のような集団を集合させるような構造を持たない民族には文字は必要ではありませんでした。
『アイヌはなぜ国家を作らなかったかの話』より
つまり、文字は支配階級が作り上げたもので、我々の心底の感情(潜在思念)とは無縁なものであったのです。
言葉そのものはあくまでもデジタル記号でしかないので、本能中枢の内識→外識を駆動させない限り、言葉は何の意味も持たない。従って、本能中枢(潜在思念)が駆動していないまま、文字面だけで分かったつもりになっている文字脳の場合、そもそも本当の意味が掴めていないので、決して永久回路が形成されることはない。
『脳回路を解く(4)』より
文字面では永久回路が形成されないばかりか、それ以上に我々に悪影響を及ぼしているのです。
<文字と書き言葉の根本的欠陥>
・文字は約3000年前に、徴税のため⇒記録するために作られた。つまり、文字や書き言葉は、もともと支配の道具として生み出され、使われてきた。従って、文字は長い間、支配階級の占有物であった。
・そこから、誰もが使う話し言葉より、支配階級だけが使う文字や書き言葉の方が上等(位が高い)という価値観が形成されていったが、それは大いなる錯覚である。上等=位が高いのは身分であって、決して文字ではない。むしろ、文字は話し言葉に比べて、使い易さという点でも、反復(定着)のし易さという点でも、肉体化(大脳中枢とのつながり)という点でも、悉く劣っている、言わば劣化道具である。
・徴兵制の一環として学校教育が始まり、それによって文字と書き言葉がようやく国民一般に広く使われるようになったが、それ以来わずか150年しか経ていないのに、早くも文字の致命的な欠陥が露呈してきた。その一つが、聴覚脳から文字脳への転換による追求力の著しい劣化と言語能力の低下である。そして、もう一つが、文字脳化した人々に対する完全なる観念支配と思考停止である。
・しかし、支配者たちも、はじめから文字と書き言葉を頭脳支配の道具にしようと考えていた訳ではない。文字の最大の利点はその記録機能とそれによる言葉の固定度の高さにある。しかし、文字を生み出した者たちは、その利点が致命的な欠陥を孕んでいることに全く気付かなかった。
・話し言葉が形成する聴覚脳に比べて、書き言葉が形成する文字脳は、大脳中枢(≒潜在思念)とのつながりが浅くて貧弱であるという根本的な欠陥を孕んでいる。しかも、文字は記録性と固定度が強い。その結果、文字を読む者を、理解が浅いまま文字面だけでわかった気にさせる。と同時に、全ゆる言語を固定観念化させ(そこで打ち止めとなり)、人々を思考停止させてゆく。追求力の劣化も言語能力の低下も、思考停止も観念支配も、全ては文字が支配の道具であることに起因しているが、支配の道具と化したことも含めて、全ては文字面だけの理解に終始するという文字と書き言葉に潜む根本的な欠陥の故である。
<暗記脳の弊害>
・しかも、大半の人々は試験圧力を駆動力として文字脳(映像毎の専用神経)を形成しているので、文字面で理解するための探求回路(≒暗記回路)しか持ち合わせておらず、本来の「何?何で?どうする?」という探求回路が殆ど形成されていない。しかも、その文字脳は大脳中枢の外識や内識(の駆動物質回路)と殆どつながっていないので、その知識は殆ど肉体化されておらず、従って現実には殆ど使えない。これが暗記脳である。
要するに、試験圧力発で勉強すればするほど=文字脳の形成に集中すればするほど無能化してゆくということであり、当然こういう人材は(難関大学卒に多いが)社会に出れば全く使い物にならない。
<文字は頭脳支配の道具に堕ちた>
・書き言葉の弊害はそれだけでは止まらなかった。上記の文字脳の欠陥ゆえに、書き言葉は頭脳支配の道具となってゆく。そして、至る所で捏造や騙しや詭弁が横行してゆくことになった。
・日本書紀に象徴されるように、文字と書き言葉はその記録機能=固定度の高さ故に、支配階級に都合の良い捏造の歴史を固定してゆく。歴史だけではない。実は人類は生物についても宇宙についても、せいぜい1%程度しか分かっていない。ところが、生物学にせよ物理学にせよ、せいぜい1%の断片的なあちこちの小枝や葉っぱを何のつながりもなく羅列して生物学・物理学を僭称している。これも人々に「これが生命(or宇宙)だ」と思わせる大いなる騙しのパターンである。
せめて、教科書の1頁目に、「これは全体や本質を示すものではなく、断片的な事実の羅列であること」および「全ては仮説(or実験室という非現実空間で作られた特殊限定事実)にすぎないこと」を明記しておくべきだろう。まして、生物の摂理も脳の仕組みも、殆ど分かっていないAI技術者などが、狂った機械を作り出すなどということは人類を破滅に導く確率が極めて高い、あってはならない行為である。直ちに禁止すべきであろう。
・又、書き言葉は人々を文字面だけで分かったつもりにさせることが出来るので、とりわけ近代観念=架空観念に支配された近代人・現代人が書いた文章は(教科書も含めて)大半が論理整合していない。それらの文章を図解化してみればいい。全く論理が整合していないことに気付くだろう。つまり、書き言葉は、殆どが詭弁であり騙しなのである。中でも深刻なのは裁判である。そこでやり取りされる書面を見れば明らかなように、今や裁判はほぼ100%詭弁の応酬に堕している。
・観念機能を最先端機能として生き延び、進化してきた人類にとって、追求力の劣化と思考停止は致命的である。現に、放射能や電磁波や人工物質による精子激減、あるいは迫りくる国債経済の最終破局etc.人類滅亡に直結するような問題が山積しているにもかかわらず、世界中誰一人、どうする?の答を出せないでいる。
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