『2012衆議院選挙直前企画』(2)~自然の摂理を踏み外した原発技術開発 再掲~
◆ ◆ ◆ 自ら判断する為に
人々の意識は、事実に基づく共認形成に向かい始めていますが、選挙における明確な判断軸・根拠が見いだせずに、不信感を抱きながらも結局マスコミ情報に流される危険性もあります。
『2012衆議院選挙直前企画』(1)~新聞報道による露骨な「『脱原発』叩き」(読売・産経)~
昨日の記事に続いて、本日も原発関連の情報を配信したいと思います。
当ブログでは過去、原発についての基礎的な原発の仕組みから、原発の問題性、表には出てこない原発の実態、原発推進の背景にある政治、金融の動きなど、あらゆる角度で追求してきました。
その結果、原発は「人類も含めた生物を間違いなく滅亡へと導くもの」だということが明らかになりました。当ブログをご覧にならないまでも、世の中の誰もがそのことについて確信めいたものを持っていることと思います。
しかし、そんな世の中の流れの中でも、未だに原発を推進している勢力はいます。
(原発を推進するということ自身が、正常な認識力があるとは思えない行為であると言っても過言では無い)
3.11から1年9ヶ月が過ぎる中で、彼らのような勢力が、散々金やマスコミを使って、私たちのような情報弱者を操作し、その結果、大衆側の原発への危機意識が薄らいだようにも感じます。
今回、改めて「原発の本質的な問題」をきっちり認識し、12/16の衆議院選挙において自ら判断できる材料にしていただけることを切に願っています。
「東北地方太平洋沖地震~原発は必要か否か12~自然の摂理を踏み外してしまった原発技術開発」を元に一部加筆・修正を加えてお送りします。
◆ ◆ ◆ 原子力発電そのものが孕む危険性
◆ 原子炉とは原子爆弾をゆっくり爆発させている装置
日本は世界で唯一の被爆国です。原子爆弾は一瞬のうちに大量の人々の命を奪いました。そんな危険な代物が生み出すエネルギーを使用して発電しているのが原子力発電です。
原子力を使用してどうやって発電をしているかというと、原子力が創出するエネルギーによって水蒸気を発生させ(お湯を沸かし)、そのエネルギーでタービンをまわしています。つまり、元の力が火力でも水力でも基本原理は同じで、原子力発電は核分裂エネルギー=原子爆弾を使ってタービンを回しています。
しかし、一気に爆発してしまったら大変なことになるので、様々な機械や水(冷却水)を使って『制御する』ことでゆっくり爆発させる必要があります。ここには高い技術力と厳重な管理体制が必要となります。
◆ 発電が終わったら出る放射性廃棄物(核廃棄物)は数万年の間、放射線を出し続ける
原子力発電により、発生するゴミ(=放射性廃棄物)は作業員の衣服から核反応後に残る燃料まで様々です。この放射性廃棄物は物質の種類にも依りますが、数万年の間、放射線を出し続けます。(もはや放射線の危険性は説明不要でしょう)
電力会社や官僚はこれを「いずれまた使用する=再処理する」という名目で『使用済核燃料』と呼んでいます。(ちなみに再処理するにも、過去幾度と無く事故を起こし、さらには未だ実用化の目処は立っていません)
しかし、いくら再処理をしたとしても安全になるわけではありません。なぜなら、再処理の本質的な意味とは、「放射性廃棄物の中から微量のプルトニウムを取り出すこと」であり、残った放射性廃棄物にもプルトニウム以外の放射性物質が含まれたままだからです。つまり、ほとんどそのまま放射性廃棄物は残ってしまうのです。電力会社や学者、官僚、マスコミがどういう呼び方をしようとこれは非常に危険なゴミであることには変わりません。
※参考
・“再処理”とはどういうことなのか?
・再処理は実用の域に達しているのか?
ですから、仮に原子力発電の稼動自体が『地震にも津波にも強い建築物』で『安全な技術』で行われていたとしても、放射性廃棄物の危険性の問題は別次元に存在するのです。
◆ 放射性廃棄物は埋めるしかない。ところが「埋設処分」は決して安全な処分方法ではない
現状の放射性廃棄物の最終処分は、全て「埋設処分」に行き着きます。高レベル放射性核廃棄物の場合、ガラス固化させた後、キャニスターと呼ばれるステンレス製の容器に入れて埋設されます。低レベル放射性核廃棄物の場合は、ドラム缶に入れセメントで固めて埋設されます。
一見、これで「安全に処分された」と思われがちですが、実はそうではありません。
「埋設処分」されようとも、その核廃棄物は有害な放射線を何千~万年もの間、出し続けることになります。また、放射線を放出する際には崩壊熱が出ます。
キャニスターの温度は空調などで冷却したとしても表面温度は250度、中心温度は430度以上となると言われています。六ヶ所村で計算したところ、一番高い温度では624度にもなりました。
空調で冷却しているにも関わらず、これだけの温度になってしまうのです。
放射線にしても崩壊熱にしても、人間の生きている時間スケールを逸脱した期間の間、管理し続けなければなりません。そして、それには非常に精密な制御と管理体制が必要になります。
つまり、現在の放射性廃棄物の処理は「未来永劫と言っても過言では無い長期にわたり、核廃棄物を安全に管理できること」が前提になっているのです。
この問題は、上記の管理体制維持の観点もありますが、技術的側面から言うと、そのような長期にわたる経年劣化に耐え得る技術が確立(または保障)されていないという問題も付随しています。
当然、埋設された核廃棄物は放射線を放射し続け、崩壊熱を出し続けるのですから、それを遮蔽する物質にも少なからず影響を与えることは避けられません。ましてや、放射線を浴びなくても、地球上の物質であれば、何千~万年も時間が経てば朽ちていくのは当然です。
このように、『長期間にわたり、管理を継続していかなければならないという問題』と、『経年劣化は避けられないという問題』には触れずに、目先的に、「地上に影響の出ないような場所に埋設すれば安全である」という社会共認を形成させ、埋設処分場を建設し始めているのです。
現実には、この埋設処分場は試験場の位置づけであり、受け入れる体制は整っていません。ですから、やむなく原子力発電所内で仮置きし、たらい回しにしているのが実態です。これを原発推進側は「保管」とか「一時貯蔵」という言い方をしています。
◆ ◆ ◆ 「自然の摂理」に反する原子力発電
◆ 生態系は放射性物質の微量な世界に適応した。この適応過程が「自然の摂理」
放射性物質の危険度については言うまでもありませんが、実は、自然状態でも“放射性”の同位元素は存在します。例えばC(炭素)には、C12の他に放射性のC13やC14などがあります。しかし、それらは自然界にごく僅かしか存在しません。
宇宙空間は放射線の飛び交う世界ですが、そのような世界の中で、地球はたまたま宇宙からの放射線を”いくらか”遮る環境を生みだしました。そして何億年という半減期を経て放射性物質が減ってきた世界に、地球の生物は適応してきたのです。この過程が「自然の摂理」です。
◆ 「自然の摂理」に反し、地球の物質循環から切り離された廃棄物が閉塞空間を生み出す
原子力発電とはこの「自然の摂理」に完全に逆行して、放射性物質を超短期的に、かつ大量に生みだします。これが「自然の摂理に反する」という本質的な意味です。
単に「放射性物質が危険だから隔離する」というのではなくて、「生物が適応できる世界の中に、原子炉が生成する放射性物質を、超短期的にかつ大量に放出する」ということが、自然の物質循環に反しているので、自然の循環に乗せてしまうと生物の生態系を脅かすことになるのです。
だから、隔離するしかないのです。
(右図は、仮に東海原発が爆発した場合、日本列島のほぼ全域が農業ができない土地となるという試算。1960年に日本原子力産業会議が科学技術庁に提出した。)
(画像は社会科学者の時評さんよりお借りしました。)
石炭・石油といった化石燃料は、炭酸ガスに変わって大気中に放出され、それを植物が吸収して光合成に使います。それを草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べ、やがて死んで微生物に分解され…と、最終的には食物連鎖へと循環します。
それに対して、放射性廃棄物は地球の物質循環から切り離されています。核分裂が進み、放射能がなくなるまでの数万年~数億年もの間、分解されることなく残り続けるのです。
しかも、原子炉を作って50年もすれば原子炉を廃炉することになり、原子炉を解体した際に出る放射性廃棄物が急激に増えることになります。こうして増え続ける放射性廃棄物の行き場がなくなれば、廃炉になった原子炉を解体することなく、原子炉ごと周囲を立ち入り禁止区域にすることも想定されます。
いずれにしても、人間の住める土地が地球上からどんどん減っていくことになります。これが、原子力発電の最大の問題点なのです。
◆ ◆ ◆ 原子力発電によるエネルギー供給の背後で、社会活力の衰弱が進行する
放射性廃棄物は、無害化するまでの途方もない期間、人間の暮らす空間から隔離しておかなければなりません。放射性廃棄物が増えて蓄積されるということは、「隔離された閉塞空間」が地球上に増え続けることに他なりません。
それは同時に、その様な閉塞空間で核のゴミを管理する人間を増やすことを意味します。その様な息苦しい管理社会で、社会の活力が生み出されることはありません。つまり、このまま原子力発電を続ければ、確かに目先のエネルギーを得ることはできますが、それと引き換えに急速に閉塞空間が増えていき、社会活力の衰弱が進行していくことになるのです。
※参考
・原子力発電のまとめ1~(技術開発編)
・地球の物質循環から切り離された廃棄物の増量→蓄積の危機
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そもそも原発が止まっても”停電”も”電力不足”も起きないのですが、電力供給の為には、原子力発電は(仕方なく)必要だという風潮もあるようです。
また、「原発ゼロは無責任」などと言っている者もいるようですが、上記に示した「核廃棄物処理の問題」や「核開発の本質的な問題」は、原発神話が崩れた現在になっても、ほとんどメスを入れる者はいません。どちらが無責任なのかと問いたいところです。これらの問題は「想定外」などという安易な理屈がまかり通るものでないことは誰の目にも明らかです。
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