社会期待の歴史(7)~環境問題を解決するには新しい認識(=近代思想、近代市場を越えた可能性)が必要~
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年末年始シリーズ「社会期待の歴史シリーズ」も、とうとう大詰めです。
現在の「社会期待」が、「豊かさ期待」から、「社会の当事者として、みんなでこの社会をどうする?」という「本源期待」へと変わったことを前回の記事で押さえました。
社会期待の歴史(6)‘70年~現代 遊びの終焉により社会はパラダイム転換を迎えた
70年代の豊かさの実現以降、40年をかけて私たちの社会期待は本当の意味での社会期待=自分たちの社会どうする?という本源期待へと転換してきたのです。
’70年、豊かさの実現によって私権意識が衰弱
’90年、バブル崩壊によって豊かさ期待が消滅
’08年、世界バブル崩壊によって私権観念が瓦解
’10年、豊かさ期待に代わって本源期待が生起
このことは、つまり共同体の時代が始まったことを意味するのです。それは、これまで個々で存在し、個々に発散して、各々が社会不全を捨象してきたバラバラだった個人。その一人一人が、これからは社会の当事者としてみんなで「社会をどうする?」という共通の課題のもとに収束する事なんです。
現に、人々は今や「物を消費すること」やそれらを保証する「お金や身分を手に入れること」での市場価値(その結果得られる“代償充足”)よりも、「もったいない」に代表されるような、「過剰消費はもはや不要」という意識が芽生え、「誰かと一緒にみんな(≒社会)の役に立つことで得られる充足感(=共認充足=本源充足)」の方が優先される意識に変化しています。
しかし、この「本源期待」を受けて、実際に行われている政策や環境運動はというと、本当にこれからの社会の実現基盤にのった方針になっているのでしょうか?
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社会期待の歴史(6))‘70年~現代 遊びの終焉により社会はパラダイム転換を迎えた
あけましておめでとうございます
前回は環境問題の根幹である、近代市場=「豊かさを要求する大衆」と「私益を貪る特権階級の暴走」の登場。そして、その背景にある大衆側の【豊かさ期待】と【代償充足(解脱埋没)】共認の構造を押さえてきました。
1970年代の豊かさの実現の後、私たちの【豊かさ期待】や【代償充足⇒芸能】はいったいどのように変化していったのでしょうか?今回は貧困が消滅した‘70~現代までの社会期待の行方を追っていきます。
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社会期待の歴史(5)~市場時代の代償充足と豊かさ期待
あけましておめでとうございます。
前回の記事では、古代から中世までを押さえました。文明前夜の頃から略奪、皆殺しを繰り返してきた西洋では、共同体=共認充足の場が失われたことによって個々人が根無し草の存在となり、誰もが自我・私権の主体となっていきました。しかし、支配体制が絶対であった中世までは、大衆の私権獲得の可能性は閉ざされており、出口のない救い欠乏が社会期待として登場し、その収束先に宗教(唯一絶対神)が存在していたといえます。
まとめると【略奪・戦争→共同体解体⇒自我収束⇒観念収束⇒唯一絶対神】という構造です。
これを、環境問題にひきつけてみると、この時代までは自我・私権の主体となった特権階級と大衆という構造が確立したものの、大衆の私権獲得の可能性が閉ざされているが故に、今日に見られるような【豊かさを要求する大衆】は存在しておらず、従って大量生産・大量消費といった環境問題も顕在化しませんでした。つまり、環境問題は顕在化していないが、その原因となる土台が創られた時代だったと言えるでしょう。
今回の記事では、『社会期待の歴史(5)~市場時代の代償充足と豊かさ期待』と題して、環境問題が顕在化してきた近代市場を扱います。
前回の記事にも触れられていますが、近代市場時代とは、自然圧力×同類闘争圧力×支配圧力=3重の圧力からの脱出口として、新しい私権獲得の場である市場が登場した時代です。市場の登場によって、大衆にまで私権獲得の可能性が開かれ、大衆の末端に至るまで自我・私権が顕在化し「救い欠乏」にかわって「豊かさ期待」が社会共認として登場し、市場拡大の原動力となってきました。
また、この市場拡大を牽引してきたのが、国際金融資本家(金貸し)の意向に従い、私益を貪る特権階級や知識階級です。そして、その私権獲得を正当化するために登場した観念が近代思想ということになります。古代宗教の神の位置に、個人をすげ替えたのが近代思想であり、これは現代でも市場拡大を正当化する思想として脈々と受け継がれています。
しかし、当時も現代も近代思想に収束していたのは知識階級のみであり、大衆全てが近代思想に収束していたわけではありませんでした。大衆は近代思想ではなく何に収束していたのでしょうか。これが、前回記事の予告にある「共認非充足はどのように処理されていたのか?」の答えにあたる部分です。
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社会期待の歴史(4)~西洋の自我収束⇒観念収束⇒唯一絶対神信仰~
あけましておめでとうございます。
初詣はお済ですか?日本の神様達は環境問題をどう感じておられるのでしょうか?
本年も「自然の摂理」をよろしくお願いします。
年末年始特別シリーズとして、環境問題の根本、「過剰消費」の原因となる価値観がどうやって生まれてきたかを見ていますが、今日は現代社会で広く使われる西欧発の観念の根っ子について考えます。
西欧発の観念と言えば、まず、キリスト教ですね。おそらく、世界で最も影響力のある思想体系かと思います。
でも、日本人はあまり浸透しなかった。何か、違和感があるように思います。そんなに都合よく割り切っちゃって良いのか?と。
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社会期待の歴史(3)~武力時代の東洋の共同体体質⇒秩序収束⇒規範収束~
Kameno’s Digital Photo Logよりお借りしました。 |
今年も残すところあと僅かになりました。除夜の鐘を聞きながらこのブログを見て頂いている方はいらっしゃるのでしょうか?
昨晩から寒さが厳しくなっています。体調管理には気をつけて、来年も当ブログ『自然の摂理から環境を考える』を引き続きよろしくお願いします 🙂
そして、皆様にとっても良い年になりますように
さて、前回は原始時代から部族連合時代、そして、帝国による武力支配時代を見てきましたが、今回は、その武力支配時代における東洋と西洋の違い、特に日本を含めた東洋の構造について見ていきたいと思います。
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社会期待の歴史(2)自然に包摂された精霊信仰、守護神信仰。自然を倒錯させる古代宗教
社会の人々の期待、集団や超集団(国家)の期待、最先端の収束先がどうであったのか。その期待の中身が、自然をどう見ることになるのか、環境破壊が起こっていくのかどうか。
るいネットの秀作投稿 10/17なんでや劇場(2) 原始時代~部族連合時代~武力支配時代をもとにしてみていきます。
部族連合の時代、帝国による武力支配の時代は、主にメソポタミア地域と関連付けてみたいと思います。
精霊樹として信仰されていたバオバブの木
写真は、ブログ「木のように生きよう」さんリンクからお借りしました。
1.原始時代:仲間と精霊信仰による本源充足、自然は仲間であり畏怖と尊敬の対象
2.部族連合時代:富国強兵には自然の霊力も必須、自然に包摂された守護神信仰
3.帝国による武力支配の時代:現実捨象の倒錯観念、自然を倒錯させる古代宗教
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社会期待の歴史(1)~プロローグ~
みなさん、こんばんは 😀
今年もいろいろありましたが、いよいよ2010年も終わりですね。
(少し早いですが)来年も引き続き応援よろしくお願いします。
さて、今年も恒例の年末・年始(12/29~1/5)特別記事シリーズを行います。
(環境を考えるには構造認識が不可欠!<第三弾>)
テーマ: 代償充足から本源充足へ~『社会期待の歴史』~
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『次代を担う、エネルギー・水資源』水生圏の可能性、水力エネルギーの活用9. 中山間地はエネルギー永続地帯! エネルギー永続地帯という概念は、社会を変える有効な指標である
シリーズ9回目は日本における水力の可能性を、新しい指標を軸として探って行きたいと思います
近年、世界経済が揺らぐ中、エコ志向や節約志向の高まりと共に、社会的にも日本の食料自給率の上昇や、食生活の地産地消への回帰の声が大きくなってきています。同様にこのブログ・シリーズのテーマでもあるエネルギーの国産化・自給化に対する関心も、前回の小水力発電への市民団体の取り組みをはじめとして、みんなの意識の中で高まりつつあります。
自然と調和しながら、エネルギーも食料も自分たちの手で自給して生活する。
そんな自立循環型の地域社会の実現を夢みて・・・。
『天空の城 ラピュタより』
そんな中、夢物語ではなく現実に!再生可能エネルギー(自然エネルギー・循環型エネルギー)を用いたエネルギーの自給率がなんと1600%!(電力のみに限れば2600%!!)という驚くべき数字を実現している地域=「エネルギー永続地帯」が既に存在している事をみなさんご存知でしょうか?
それも、なんと現在のこの日本に存在しているのです!
それでは、そもそもエネルギー永続地帯という概念なるものとは? そして、日本国内にもはや多数存在している「エネルギー永続地帯」の実現体のご紹介と共に、再生可能エネルギーである水力の可能性を探って行きたいと思います。
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豊かさ期待とは何か?6 ~破局後の社会はどうなる?~
前稿に記したように、現在の人々には既に新たな意識潮流(本源期待⇒充足期待)が芽生えています。
しかし、現実の社会はまだまだ私権意識に根ざした闘争(戦争)圧力に覆われていて、領土問題や南北朝鮮の緊張、円高、破局に向かう世界経済といったニュースに目を奪われてしまいます。本ブログの主題である自然環境もそのような社会の動きに利用され、翻弄されています。
かつて、私有権の共認が私権社会を成立させたように、人々の新しい意識潮流が社会を変えていく時代を迎えました。社会共認が変化すれば、自然環境に対する人々の意識も自ずと変化していくことでしょう。
本シリーズの最終回、これからの社会、近未来に少しだけ思いを馳せてみましょう。
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のぞいてみよう!昭和39年の暮らしから学ぶ、共同体♪3~みんなの資源、みんなの中での役割~
こんにちは
今日も昭和39年の暮らしからの気づきをお伝えしたいと思います
琵琶湖博物館で水を題材にした展示が多く、この昭和30年代の暮らしを展示している中でも、水をみんなの物として大切に使われているのがよく分かりました
水を大切に使うためのルール、その他、省エネルギーのアイディアが当たり前のように生活に組み込まれており、感動
のぞいてみよう!昭和39年の暮らしから学ぶ、共同体♪1~過剰なエネルギー消費を見直そう~
のぞいてみよう!昭和39年の暮らしから学ぶ、共同体♪2~ごみの出ない暮らし~
これは、水と共に生きてきた琵琶湖の人びとが積み重ねてきた知恵
そして、その資源を大切にする、無駄にしないためのルールやアイディアは、その水を大切にしていく、水を中心とした仕事における人びとの役割と共に成り立っていました
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ありがとうございます