『科学はどこで道を誤ったのか?』(10)~“科学技術の申し子”が起こした惨劇
これまで、近代科学技術の成立過程について歴史を辿って見てきました。
今回はそれらを踏まえ、近代科学技術がどのように原子力発電を生み出してきたのかを考えてみます。
まずは、山本義隆著「福島の原発事故をめぐって」より引用します。
経験主義的にはじまった水力や風力あるいは火力といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみにもとづいて生み出された。実際、これまですべての兵器が技術者や軍人によって経験主義的に形成されていったとの異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから導き出された。原子炉はそのバイプロダクトである。その意味では、ここにはじめて、完全に科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる。しかし理想化状況に適用される核物理学の法則から現実の核工業-原爆と原発の製造-までの距離は極限的に大きく、その懸隔を架橋する課程は巨大な権力に支えられてはじめて可能となった。その結果は、それまで優れた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティの許容範囲の見極めを踏み越えたと思われる。
ポイントは3つです。
◆ 1.経験に基づかず、純粋に科学理論から生み出された
◆ 2.理想的な状況にのみ適用される物理法則に基づいている
◆ 3.巨大な資本力を投下できる権力に支えられて実現した
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(9)近代Ⅱ~国家体制に組み込まれ、専門化体制の中で無能化した学者~
18世紀に蒸気機関が誕生した頃は、技術者の工夫の積み重ねが産業革命につながる発明を支えており、まだ技術が科学を先行していました。
しかし、19世紀に実験室で生まれた電磁気学により、始めて科学が技術を先導してゆきます。
科学は電磁気を得て、科学者の頭の中の夢想に沿って人工の実験が試され、それを数式化してそのまま現実の技術として転用されます。
ここについに、科学理論が先行する形での技術開発、すなわち真の意味での「科学技術」が始まったのです。
では、そのような科学技術が、国家権力や支配組織と結びつくとどうなるのでしょうか?
山本義隆氏「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと」を参考に、解明していきます。
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(8) 近代Ⅰ~実験室で生まれた電磁気学が技術を先導し、観念発の「科学技術」が始まる~
今回は、18~19世紀、近代が進んでいく世界を見ていきます。中世スコラ学の閉塞を打ち破ったのは16世紀の技術者たちでした。が、彼らは技術は自然にかなわないと自覚していました。それを、「自然を征服する」と言い出したのが17世紀の科学者たちだったのです。しかし、ガリレオやニュートンが等加速度運動や万有引力など物理法則を発見しても、それがそのまま技術に転化することもなく、実世界での革新は、まだ技術者たたちの工夫に依っていたのです。
今回は科学者の発見が実際に世界を変えて行き、観念から物が生まれる過程を見ていきます。
写真はジェームズワット、ジュール、ファラデーです。ウィキペディアから
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(7)近代の前夜~「科学技術による自然の征服」という思想の登場~
(左からコジモ・ディ・メディチ一世、コジモ・ディ・メディチ二世)
自然を支配対象と捉える認識は、西洋のルネサンス期の魔術思想やヘルメス主義に萌芽が見られます。
その後16世紀末から17世紀に「科学技術による自然の征服」という思想が登場します。
この自然に対する対象認識の変化が、以降の科学技術発展における大きな転換点であったと考えられます。
今回はこの近代前夜の大転換の過程を押さえていきます。
◆ ◆ ◆ 金貸しの台頭⇒エリート知識人を囲い込み(パトロン化)
十字軍遠征への投資で財を蓄えて台頭してきた欧州の金貸し(商人)階級は、大航海時代に入ると、ラテンアメリカ侵略によって、莫大な富を蓄積して、大きな力を持つようになりました。
そして、さらなる私権獲得の可能性を求めて、ルネサンス活動や魔術思想に取り組む人々をパトロンとして支援しました。
ルネサンス(人間主義)は、欲望⇒私利私欲の追求を至上のものとする価値観であり、魔術思想は、自然を人間の快美欠乏を満たすための使役対象としており、いずれも人々の欲望を正当化して、市場拡大を促進するのに都合がよかったからです。
【参考】
近代科学の成立過程2~金貸しに都合のよい思想を過去から拝借したパクリ思想がルネサンス
『科学技術はどこで道を誤ったのか?』(5)ルネサンス(14~16c)~自然魔術による自然支配観念の萌芽と、「科学」「技術」統合への流れ
金貸し階級のこのスタンスは、科学技術に関しても同様で、近代科学の土台を確立していくエリート知識人達もパトロネージして囲い込んでいきます。
そして、エリート知識人達にとって、パトロンは食い扶持の確保や名声獲得の拠り所であったため、パトロンの意向に沿った研究成果をあげることは極めて重要な課題でした。
この関係を近代科学の父と呼ばれるガリレオの例で見てみます。
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(6)大航海時代(15c中~17c中)~戦争と市場拡大により発達した鉱業による、近代科学と生産関係の変化~
(※右側の写真は賢者の石を求める錬金術師、左側の写真はホムンクルスを作り出す錬金術師)
「科学技術万能観」がどのようにして形成されてきたのか?を追求するシリーズ第6回目です。
前回の記事で、ルネサンス期は、自然に対する畏怖の念を中世から受け継いでいたものの、自然を学ぶことで人間が宇宙の力・自然のエネルギーを使役しうるという信念が公然と語られ始めたことがわかりました。
今回は、この自然観の変化が、大航海時代の戦争、航海という実学を通してどのように変化していったのか?ここに焦点を当ててみたいと思います。
大航海時代は、15世紀中ごろから17世紀中ごろまで続いたヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの植民地主義的な海外進出をいう。国王、ローマ法王ともに、海外侵略を強力に後援し、競い合って、莫大な利益を手に入れた。(Wikipedia より)
この私権拡大競争(戦争)を勝ち残るために西ヨーロッパで、航海、金属精錬、とりわけ製鉄技術が発展し、これがヨーロッパ人が地球の支配者として立ち上がることを可能にした物質的条件でした。
そしてそれが、近代科学と賃金労働による分業という近代の生産関係の土台を形成していくと同時に、自然観への転換も伴っていたのです。
今回も、山本義隆氏(※リンク)の著書(【十六世紀文化革命「第四章 鉱山業・冶金業・試金法」 山本義隆著】)の中身を紹介しながら進めていきます。
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(5)ルネサンス(14~16c)~自然魔術による自然支配観念の萌芽と、「科学」「技術」統合への流れ
1434年にフィレンツェの実権を握った「コジモ・デ・メディチ」(1389~1464年、左写真)は、メディチ家の始祖で、ルネサンス初期の重要なパトロン。フィチーノやピコに古代魔術の書「ヘルメス文書」の翻訳を命じた。
福島原発事故によって、“原子力”を生み出した科学技術が万能ではないことや、人間が自然の力をコントロールすることなど到底不可能であることが誰の目にも明らかになりました。
こうした「科学技術万能観」がどのようにして形成されてきたのか?を追求するシリーズ第5回目は、山本義隆氏の著作である「磁力と重力の発見」及び「一六世紀文化革命」を元に、ルネサンス期に焦点を当て、その萌芽を探ってみたいと思います。
ルネサンス(仏: Renaissance 直訳すると「再生」)とは、一義的には、14世紀 – 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命あるいは運動を指す。また、これらが興った時代(14世紀 – 16世紀)を指すこともある。(Wikipedia より)
と一般的に定義されるルネサンスですが、その背景には、十字軍遠征(イスラムからの掠奪)による富の蓄積、その結果として商人(金貸し)によるベネチアやフィレンツェなどの都市国家の形成、そして、恋愛観念の蔓延があります。
ポイントは2点です。
1.自然魔術による自然支配観念の萌芽
2.「科学(学問)」と「技術」の統合への流れ
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(4)ヘレニズム・ローマ帝国時代~帝国の統合需要に根ざした科学技術の体系化と個人の救い欠乏発の数学の発展
あけましておめでとうございます。
新年早々、『科学はどこで道を誤ったのか?』という重たいテーマで申し訳ありませんが、世の中を「おめでたくできるかどうか」は「暗い現実を突き抜ける可能性の発見」でしかありませんので、早速、追求を継続したいと思います。
そして、そう思っていたら、中部電力浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)について、川勝平太・静岡県知事は、「福島第一原発事故で(浜岡原発と同じ)沸騰水型は危ないというのが日本人の共通認識になった」として、中部電の津波対策が完了しても再稼働を認めない方針を明言した。というニュースが入ってきました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111231-00000583-yom-pol
川勝さんがいうように「人々の共通認識」が社会を動かす時代なのですから、ますます正しい事実認識を積み上げていくことだけが、この暗い世相にあって、唯一可能な「世の中を明るくする方法」です。
応援をよろしくお願いします。
。前稿で、ギリシア科学思想のうち数学的自然観を中心に扱いましたが、有機体論、要素還元論と本来、多様性に富んでいました。しかし、肝心の国家統合が限界を見せ、より強大な専制国家=帝国が登場する中から、科学は一方で帝国の統合需要に根ざした科学技術の体系化を進めつつ、他方で個人の救い欠乏発の数学の発展をみせます。
引き続き、括弧内は坂本賢三「科学思想史」からの引用です。
写真はウィトルウィウス人体図。紀元前1世紀頃のローマの建築家ポッリオ・ウィトルウィウスは、著書「建築論」のなかで、腕を伸ばした人間は円と正方形の両方に正しく内接すると主張した。ウィトルウィウスは数学的自然観のみの科学者ではないが、そんなウィトルウィウスの中にも数学的自然観が色濃く存在する。写真はhttp://www.ops.dti.ne.jp/~manva/da_vinci/as_scientist/others.htmからお借りしました。
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(3)古代ギリシアの時代~人工集団を統合するための分配の原理から数学的自然観をつくりだした古代ギリシャ
◆ ◆ ◆ 海賊山賊たちの人工集団=ポリスを統合するために観念収束した古代ギリシア
ギリシャでも、共認対象としての(いわば主体的な)自然から霊が切り離された客体としての自然への転換は起こりましたが、より大きな変化は、紀元前12世紀~7世紀の暗黒時代、つまり、海の民たちの侵略による共同体の解体と、彼ら山賊・海賊たちによって新たに作られた私的所有者の誕生と彼らがつくった人工集団としてのポリスの誕生によって引き起こされました。
引き続き引用文は坂本賢三先生の著書「科学思想史」2008年岩波全書コレクションによります。
紀元前12世紀~7世紀の暗黒時代、東地中海でオリエント的専制国家が崩壊し、民族移動を契機に新しい村落共同体が形成され、その集住としてポリスができていった。その原因としてはいわゆる「海の民」による破壊行動や鉄器の普及などが考えられるがいずれにせよ、分割地を持つ私的所有者が誕生、また商工業の発達がポリスを生む前提となったのであろう。このポリス及びそれを成立せしめた貨幣市場経済の成立こそギリシアの科学思想をオリエントから区別させるものであった。
紀元前600年前後に大きな変化が現れた。ポリス内部の対立が危機的状況に達したのである。この対立を解消し、ポリスとして市民を均質化する努力が各地で行われる。スパルタは全市民を軍事に専念させる制度をつくることによって実現し、それをなしえなった諸都市では「七賢人」が活躍する。専制的な政治権力のないところでは諸勢力間の調和を目指す立法は極めて困難であるが、ここではそれを精神世界の変革によって行ったのである。
そして密儀宗教が発達した。その教義にはエジプトやペルシアやスキタイの影響も見られるが、それらと基本的に異なるのは個人の救済を目指すものだったことである。それは家柄とか身分とかかかわりなく、かつては王のみに許されていた永遠の至福を約束する。また新しい立法は私闘を禁じ共同体による罰に代えたのであるが、そいれは流血を穢れとする態度と結びつき、新しい立法は新しい信仰による浄めと結びついた。
密儀宗教は貴族と平民を調和させただけでなく、貴族の特権に反対し、富や快楽のもたらす逸脱にも反対した。いわゆる禁欲主義であり、公平をもたらそうとした。貨幣の存在はあらゆるものの公平な分配を可能にし、比を探求することで正義がもたらされると考えた。※坂本賢三「科学思想史」より引用
こうして、個人的救済を目指す密儀宗教を母体としながら、分配の公正を目指して、公共の場での議論、討論が研鑽されることになる。こうして前6世紀に哲学者たちが登場することになり、自然哲学も、ポリスにおける秩序と正義の根拠をなす自然秩序とその原理の探求へと向かったのであった。
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(2)古代オリエントの時代~全てが共認対象として一体であった精霊信仰から精神を上位とし物質を下位とする二元論へ
プロローグにおいて http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2011/12/001007.html
①近代科学技術は現実に則した事実認識とはいえず、現実捨象の架空観念発の認識体系であること
②そしてその背後には人間が自然を支配するという意識が働いていることを指摘しました。
他方、科学認識の元祖というべき、精霊信仰はどうだったでしょうか。極限時代、人々は圧倒的な自然外圧に対し「仲間たちとの期待・応望=共認原理」を適用して「その現実の背後に精霊という具体的だが実体を超越した観念を獲得」します。そして、観念→言語を媒介として、工夫思考や仲間との共同作業が進化し、火の使用や弓矢の発明といった技術発展を生み出してきました。と同時に、常に自然は圧倒的な存在感を持つ畏敬の対象であり、であるが故に、祈り=期待・応望の対象であり続けました。言い換えれば、精霊信仰は徹底して共認原理に貫かれていたし、自然も人も共認の対象という意味では一体でした。
では精霊信仰が発展し変質をとげたと考えられる古代オリエントにおける科学認識のあり様はどのようなものだったでしょうか。そこには、精霊信仰の流れを汲む部分と変質した部分が同居していること、とりわけ、その変化は古代ペルシアにおいて、つまりアーリア人において引き起こされたことがわかります。
なお、科学思想史は西洋哲学史同様、古代ギリシャから書き起こされるのが一般的ですが、古代ギリシャは既に共同体がこなごなに解体し人工集団が登場して以降の社会であり、精霊信仰からの連続性を考える上では、古代オリエントにまでさかのぼることが不可欠です。桃山学院大学・神戸商船大学の教授をつとめた坂本賢三先生(1931-1991)は、古代オリエントにまでさかのぼって追求している非常に数少ない研究者です。以下、引用文は坂本賢三先生の著書「科学思想史」2008年岩波全書コレクションによります。(一部、引用者にて文脈上の補足をしています)
写真はエジプトの壁画。牡牛とその尻尾をつかんでいるファラオ(ラムセス2世)で、北斗七星を構成していて、牡牛の首の辺りにあるのが北極星と見られている。天文学の探求が見て取れる。http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/24919210.htmlからお借りしました。
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(1)プロローグ~「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害~
今年は、東北大震災と原発災害という日本社会の根幹を揺るがす大きな出来事がありました。
この激動の年から新たな年を迎えるにあたり、年末・年始で12回にわたり特別シリーズ記事を配信します。
内容は、福島原発災害を通じて違和感が明確になった、「(信仰ともいえる)科学技術にたいする万能観」についてです。
◆ ◆ ◆ 「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害
原発事故で大量の放射性物質が、大気中や大海中に放出された。
それでも多くの人は、安全視して普通に生活しているが、それは表面だけで、心中の不安は消えないでいる。むしろ今後は、時が経つにつれて、放射能被害の深刻さが明らかになってゆくだろう。日本の政府やマスコミが、どれだけ事実を隠蔽し、デマを流そうとも、世界が福島を注視しており、事実に近い情報が明るみに出てくるからである。
福島原発からの放射能汚染は、現地の被害も凄まじいですが、日本全国に拡大し続けています。
原発事故は、一部地域で済む話ではなく全国いや世界に影響することが明らかになり、そればかりかこれから何世代にもわたる次世代に負担を強いることも明らかになりました。
この現実に直面し、核エネルギーは、自然の摂理に反し、人間のキャパシティーを超えるものであることを人々は気付きつつあります。
そして、普通の感覚をもつ人々は、近代科学技術にたいする意識も変化しつつあるのではないでしょうか。
なぜ、このようなことになったのだろう? 科学はどこで道を誤ったのだろう?
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