原発推進の自民が選挙圧勝・・・近代科学の問題性
7月21日の参院選、自民党が圧勝でした。
写真はここからです。
自民党が勝ったということは、TPP、原発、消費税増税が、
推進されていくことでもあります。
原発が推進されて、大丈夫なのか?
思い返せば、’11年3・11東太平洋地震+原発事故以降の政府や東電の取った行動は、事実隠蔽、問題解決後送りで、未だに問題が噴出する一方です(最近は地下水汚染問題)。
最先端技術と思われた原発に対する、大衆の危機感、不安感は高まる一方ですが、それを、政府はマスコミを使い、『原発安全』を盛んにPRしています。本当に大丈夫なのか?近代科学は万能なのか?なぜ、万能と思い込んでいるのか(思い込まされているのか)?
今回は、この近代科学の問題性に注目します。この環境ブログで、過去に扱った記事を引用したいと思います。
『科学はどこで道を誤ったのか?』(1)プロローグ~「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害~
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『科学はどこで道を誤ったのか?』(1)プロローグ~「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害~
今年は、東北大震災と原発災害という日本社会の根幹を揺るがす大きな出来事がありました。
この激動の年から新たな年を迎えるにあたり、年末・年始で12回にわたり特別シリーズ記事を配信します。
内容は、福島原発災害を通じて違和感が明確になった、「(信仰ともいえる)科学技術にたいする万能観」についてです。◆ ◆ ◆ 「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害
原発事故で大量の放射性物質が、大気中や大海中に放出された。
それでも多くの人は、安全視して普通に生活しているが、それは表面だけで、心中の不安は消えないでいる。むしろ今後は、時が経つにつれて、放射能被害の深刻さが明らかになってゆくだろう。日本の政府やマスコミが、どれだけ事実を隠蔽し、デマを流そうとも、世界が福島を注視しており、事実に近い情報が明るみに出てくるからである。福島原発からの放射能汚染は、現地の被害も凄まじいですが、日本全国に拡大し続けています。
原発事故は、一部地域で済む話ではなく全国いや世界に影響することが明らかになり、そればかりかこれから何世代にもわたる次世代に負担を強いることも明らかになりました。
この現実に直面し、核エネルギーは、自然の摂理に反し、人間のキャパシティーを超えるものであることを人々は気付きつつあります。
そして、普通の感覚をもつ人々は、近代科学技術にたいする意識も変化しつつあるのではないでしょうか。なぜ、このようなことになったのだろう? 科学はどこで道を誤ったのだろう?
◆ ◆ ◆ 「自然にたいして人間が上位に立ったという認識」を導いた近代思想
(※左側から、ガリレオ、ベーコン、デカルト、ニュートン)
いったい、何故こんなことになってしまったのか?
近代社会(=市場社会)は、民主主義や市場主義に代表される近代思想に導かれて発展してきた。
しかしその結果が、人類滅亡の危機だとしたら、この社会を導いてきた民主主義や市場主義などの近代思想が、根本的に誤っていたことになる。少なくとも、全面崩壊の危機から脱出できない現状は、近代思想がこの危機に対してまったく無効であることを示している。それも当然で、もともと市場社会を導いてきた近代思想こそがこの危機を生み出したのであって、その近代思想が答えを出せないのは必定だからである。科学技術も時代・社会と分離して単独で存在するわけではなく、その時代の観念、社会力学のパラダイムの影響を受け、それに導かれた方向に収束します。
それゆえ、近代科学技術は近代思想に導かれ現在に至っているのです。Q.では、近代思想に導かれた近代科学技術の深層にある意識とは?
3月11日の東日本の大震災と東北地方の大津波、福島原発の大事故は、自然にたいして人間が上位に立ったというガリレオやベーコンやデカルトの増長、そして科学技術は万能という十九世紀の幻想を打ち砕いた。
今回東北地方を襲った大津波にたいしてもっとも有効な対応手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然にたいする畏れの感覚をもう一度とりもどすべきであろう。
自然にはまず起こることのない核分裂の連鎖反応を人為的に出現させ、自然界にはほとんど存在しなかったプルトニウムのような猛毒物質を人間の手で作りだすようなことは、本来、人間のキャパシティーを超えることであり許されるべきではないことを、思い知るべきであろう。※【福島の原発事故をめぐって 山本義隆著】より引用
一時の利便・快美性のために、(プルトニウムに限らず)何万年・何億年も放射線を出し続ける物質を人工的につくり出すことは、人間の扱える範囲を遥かに超え、自然の摂理に大きく逸脱しています。
科学は、現実を対象にした事実認識であり、次代の可能性を導きだすために存在します。また、技術は、人々の現実の生活のなかでの工夫思考から生まれる様式です。
科学が自然の摂理に則った事実認識である限り、現在の人類滅亡に瀕するような状況へ暴走しないはずです。それが、今回の福島原発の大事故により、近代科学技術が人類を滅亡に導くものとして存在していることが明らかになったのです。
とすれば、これは、近代科学技術が、現実に則した事実認識でないことの証明です。Q.では、現実を無視したその中身とは?
科学技術が肥大し暴走するのは、自我を原動力に現実を無視した観念の暴走以外にありえません。
そしてその観念の中身は、「人間が自然を支配する」という意識であり、ガリレオやベーコンやデカルトなどを代表とする近代思想に導かれたこの傲慢な観念パラダイムが、現在に至る科学技術の肥大・暴走を引き起こしているのです。◆ ◆ ◆ 現実捨象の架空観念発の科学技術への万能信仰
(※左側の写真は広島原爆、右側の写真は福島原発)経験主義的にはじまった水力や風力あるいは火力といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用は、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみにもとづいて生みだされた。実際、これまですべての兵器が技術者や軍人によって経験主義的に形成されていったのと異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから導きだされた。
原子炉はそのバイプロダクトである。その意味では、ここにはじめて、完全に科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる。
しかし、理想化状況に適用される核物理学の法則から現実の核工業――原爆と原発の製造――までの距離は極限的に大きく、その懸隔を架橋する過程は巨大な権力に支えられてはじめて可能なった。
その結果は、それまで優れた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティーの許容範囲の見極めを踏み越えたと思われる。
実際、原子力(核力のエネルギー)はかってジュール・ヴェルヌが言った「人間に許された限界」を超えていると判断しなければならない。※【福島の原発事故をめぐって 山本義隆著】より引用
福島原発事故まで、人々は心のどこかで懐疑しながらも、政府、学者、マスコミから発せられる原発安全神話を鵜呑みにし、原発にたいする危機意識を流産させてきました。
世界で唯一核爆弾を被爆する経験をもつ日本人ほど、核へのアレルギーが高い民族はいないでしょう。にもかかわらず、(賢いと思わされてきた)学者や、(偉いと思わされてきた)政治家が、(公明正大で中立と思わされてきた)マスコミを通じ、“科学は進化しており原発は安全”と言い続けたことを何の疑問も持たずに許容したのです。そしてその背景には、現実の社会そのものから分離した科学にたいする過度な依存があります。近・現代人は、エネルギー問題であれ環境問題であれ、科学技術の進化によりすべて解決できる、と無意識に思い込んできたのではないでしょうか。
そしてその意識の起源は、近代思想に導かれて、人類を特別な存在と看做し、自然は人類の科学技術により操作できるという、己を万物の万能者(神)と錯覚した『自然支配視』です。
◆ ◆ ◆ 歴史を遡り「科学と技術」の構造を紐解く
近代の自然科学も個人主義のパラダイムに嵌っており、対象を分解し分析する要素還元主義に捉われており、自然世界全体を統合できない。その結果、効率化によって生産力は発展したが、一方で大量の歪みを生み出してきた(ex.原水爆~環境破壊)。この歪みの責任の少なくとも半分は近代自然科学にある。分解主義・要素還元主義ではダメであり、全体を統合した統合原理が求められている。
体内の様々な物質の複雑な相互関係がどうなっているかは未だ解明されていないにもかかわらず、ある一つの食品成分だけを取り出して、これは身体に良いor悪いと(いかにも科学的に装って)喧伝する現代の科学者の姿勢はペテンそのものである。今や自然科学も人文科学に負けず劣らず幼稚なレベルに成り下がったと言わざるをえない。
(万能と無意識に思い込んでいた)近代科学は、はじめから近代思想に導かれた都合の良い価値観念を内在させて、現実に存在しない矮小化した特殊な実験(単純化、理想化)空間を人工的に創出し、(少なくとも普通の人にはまったく実感も理解もできず、解くことも当然出来ない)数学を根拠に解を導き出し、その結果を現実の現象として借定しそれを普遍化しています。
つまり、近代思想に導かれ、現実の(生物、人間を含む)自然の摂理を無視し、自然を支配するという倒錯した架空観念発で、要素還元主義により無理やり人工的に解を導きだしている科学技術、そしてその近代科学技術にたいする万能観が、人類滅亡に瀕するような状況へ暴走させている問題の核心です。
そしてそこが、科学が大きく道を誤った結節点ではないでしょうか。
科学で何とでもなるという、科学信仰の問題点がわかってきたと思います。その近代科学の根っ子に巣食う「自然の摂理を無視し、自然から収奪するために自然を支配する」という“略奪”の意識を導いた近代思想の源流は?・・・この続きも読んで見て下さい。
■ □ ■ □ ■ □ <シリーズの目次> ■ □ ■ □ ■ □
■【第1回】12月29日(木)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(1)プロローグ~「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害~
■【第2回】12月30日(金)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(2)古代オリエント・イスラム~○○○~
■【第3回】12月31日(土)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(3)古代ギリシア、ヘレニズム、ローマ帝国~○○○~
■【第4回】1月1日(日)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(4)中世キリストの時代~○○○~
■【第5回】1月2日(月)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(5)ルネッサンス(14~16c)~○○○~
■【第6回】1月3日(火)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(6)大航海時代(15c中~17c中)~○○○~
■【第7回】1月4日(水)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(7)近代の前夜~○○○~
■【第8回】1月5日(木)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(8)近代Ⅰ~○○○~
■【第9回】1月6日(金)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(9)近代Ⅱ~○○○~
■【第10回】1月7日(土)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(10)~○○○~
■【第11回】1月8日(日)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(11)~○○○~
■【第12回】1月9日(月)
『科学はどこで道を誤ったのか?』(12)エピローグ~○○○~
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