2009-06-02

自然農法の福岡さんに学ぶ

初めてブログに記事を書きます。まるこですよろしくお願いします
今日は自然の摂理に則した農業について考えてみたいと思います


1142157308.jpg
横浜アートプロジェクトさんから
お借りしました。

可愛い芽がニョキっと生えている、この真ん丸い物体 みなさんご存知ですか

これは、福岡正信さんが自然農法で考案した、粘土団子というものです

なんと 福岡さんの自然農法はこの「粘土団子を撒くだけで他には何もしない」というものなんです

本当に粘土団子を蒔くだけで良いの!?とお思いの方もいらっしゃるのでないでしょうか?

粘土団子の正体とは…

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粘土団子を蒔くだけで ・・・本当にそれだけで良いみたいなんです
粘土団子とは、粘土に100種類以上の野菜や草木の種を混ぜ合わせたもので、種の中でその土地や季節に適したものが自然に自生していくというものなんです

粘土団子というのは、耕さず、肥料をやらず、除草もせずに作物を育てるためのいっさいが集約されたものですが、簡単にいえばこの中に、実は耕すことの意味、肥料をやることの意味などのすべてが詰め込まれているともいえるんですよ。

その仕組みは・・・
1.粘土が細菌の繁殖を防ぐと同時に、発根に必要な養分を含む。
2.種子を粘土で覆うことにより鳥や虫のえさになることを防ぎ、種子自身を乾燥から守る
3.球形にすることにより割れにくく、地面と接した1点に日中と夜との気温差で生じた結露により水分が集まり、 発根する

というもので、インド・フィリピン・タンザニアなどの外国での緑化に成果をあげているようです

このシンプルかつ斬新な農法を考えた福岡さんのことをモット知りたくなりますよね
そこで、今回は福岡さんから「自然の摂理に合った生き方・農業とは何か」を学びたいとお思います

人間と自然

地球はさまざまな生き物の有機的連鎖関係である。そこには食物連鎖や物質循環もあり、流転が繰り返されている。この流転や輪環は、生命的な直感により感得する以外にない。それを分解し追及することで、破壊や混乱をもたらしているのが科学万能主義である。たとえば、ネズミの生態を研究し、殺鼠剤を開発する。その場その時の要求に合わせた対策をとっているだけで、自然の本当の流転に対し、責任ある行動をしていない。自然を支配しようとしても、人間には出来ない。出来ることは自然の営みに奉仕することである。つまり、自然の摂理に従って生きるということである。

「自然と合一する」とは

「あなたが稲になる」こと、見つめる自分がなくなればよい。一生懸命わき目もふらず、稲の世話に打ち込めばよい。自己を捨てることが自然合一への近道である。

「何もしない運動」

「何かを為す」ことで、物質文明の拡大を計る時代は終り、「何もしない」凝結・収縮の時代が到来している。自然との融合に始まる新たな生活、精神文化の確立を急がなければならない。今まで人間がしてきたことを振り返り、人間と社会にまつわる虚妄の偶像を1つ1つ消滅していく「何もしない運動」が必要である。この一環が自然農法である。、無限に膨張・拡張、複雑・徒労化する人知人為を凝結・収縮・単純・省力化しなければならない。それは、自然の摂理に従うことである。、自然農法は単なる農業技術の革命にとどまらず、人間の生き方を変える革命に連なる。

未来の農業

世の中の森羅万象は立体的で遠心的な膨張・拡大をし、極限において破裂、分裂、崩壊、消滅せざるをえない。人間の発達も破滅への発展であることは変わりがない。人間が科学的真理は絶対真理ではないことに気づき、価値観の大転換を行わない限り、人間は何を為すべきかを知らないまま猪突し、破綻を迎えることとなる。その時、人間の為すべきことはない。、わずかに生命維持のための農業のみが、人間の仕事になるはずである。もちろん、その農業は現代の農業の延長線上にあるものではない。自然農法に勝るエネルギー効率の優れた農法はないことが明確になれば、おのずから人間の為すべきことが何かは判然としてくる。未来には自然農法しかない。

「無(3)自然農法」福岡正信さん著より引用させていただきました。

福岡さんの「粘土団子を蒔くだけ」というような自然農法なら、小さな子どもからお年寄りまで誰でも出来そうですねっ

そして、福岡さんのおっしゃるように、人間の私利私欲が自然を破壊し、社会を上手く機能できなくしてきたのだと思います。

その社会を変えるには、やはり価値観の転換、そして自然の摂理に合った生き方への転換が必要なのではないかと思います

これからも「自然の摂理に合った農業・生き方」に注目していきたいと思います

List    投稿者 LLCTSR | 2009-06-02 | Posted in I03.自然への同化・肯定視3 Comments » 

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コメント3件

 ふぇりちゃん | 2009.12.30 23:52

>序列制度を残しながらも序列規範が解体されてゆく
とは、どういうことですか?
序列制度はあるけれど、個人主義や個人の自由が広がっていったということ?それが今日のような経済状況や環境破壊に繋がったということですか??
先日、ウチの職場のプチ特権階級の男性たちが「あそこの車は最近モデルチェンジをして、○千万らしい。性能は~で、スタイルは~~。やっぱりよく走って、見た目もいい方が乗ってて気持ちいいよね」と話していました。
必要だから欲しいとか、実用的だからとかが判断基準ではなく、ステイタスが判断基準。
これも幻想価値?

 naganobu | 2010.01.02 0:03

明けましておめでとうございます。ふぇりちゃんコメントありがとう!
序列規範が解体されるということは、結婚相手を選ぶのも自由、どんなものをどれだけ消費しようが自由ということで、歯止めが掛かりません。だから環境破壊にも繋がりますね。
職場の男性達の車の話は、そう、幻想価値の範疇ですね。共認充足が得られないとそちらへ意識が向く傾向にあると思います。

 雑草Z | 2010.01.13 0:27

市場拡大が深刻な環境問題を生んだ事は、多くの人の共通認識の部分だと思いますが、
その市場拡大の背景にマスコミが恋愛と消費を煽った・・というのは面白い論点だと思いました。
>環境問題の背後に性、男と女の関係がある
そういう論点はあまりお目にかかった事がありませんでした。確かに私権追求の大きな部分ですね。
>消費は美徳的価値
に並列させて
>恋愛至上
を不必要な幻想による市場拡大策・・と捉えているのはとてもユニークな視点です。参考になりました。

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