ほんとうの技術革新は追求レベルの高い雇用を増やす
情報技術の進歩と首都機能移転で没落する東京
工場制手工業から機械制工業への転換で多数の工場労働者が不要になった。蒸気機関車の導入で多数の飛脚や駕籠を担ぐ人が不要になった。技術革新は常に大量の失業者を特定の分野で生み出す。情報技術の進歩はマスコミ・出版・音楽・証券・旅行代理店・生命保険・損害保険等の業種を直撃しており、近未来にはこれらの業種の雇用は大幅な縮小ないし消滅が避けられない。これらの業種に共通するのは自ら付加価値を生産することができないことである。情報技術の進歩はこのようなコストの高い間接部門を消滅させつつある。
付加価値を製造する業種である製造業においても、パナソニックが本社を7000人から数百人まで削減するという。人事・総務・営業などの業務が情報技術の進歩で合理化できることがその背景にあると思われる。公務員の世界でも同様の人員削減は進んでいくだろう。
技術革新は必要な労働者数を削減するという常識には前提条件がある。それは、労働者は資本家の下僕で、資本家の利益創出のための駒に過ぎず、生活のためには厳しい労働をせざるを得ないこと つまり、市場原理主義ともいえる、お金をもうけることがすべてで、労働にそれ以上の意味は無いという思想だ
ここで、一番利益を上げている資本家の目線で見ると、経費である労働者賃金を最小にする技術の創出が技術革新ということになる。そして、冷静に現実を見れば、技術革新という言葉は、ほとんどそのような文脈で使われている
たとえば、寿命の短い製品を大量に生産し、商品循環を絶やさない技術の開発も技術革新という意味に含まれている その結果、雇用も増えるので、安い賃金しかもらっていない労働者も文句を言わなくなる。この場合は、資本家の利益を最大にする技術革新の結果、たまたま労働者の雇用も創出することが出来たに過ぎない
結局は、資本家から見た技術革新は、雇用を減少させるベクトルでしかない。
ここで、発想を変えて、仕事とはみんなの期待に応えること そして、期待に応えた結果よろこんでもらうこと自体が最大価値であるという現代の意識潮流をもとに技術革新を考えてみる。そうすると、
たとえば法定耐用年数を倍にすればより引用
ここで、耐用年数を倍にするとどうだろう?
その企業は法定耐用年数以上使わなければ、採算上あわない。そして、一般的にその資産を製造するコストは倍にはならない。例えば、10億円の鉄筋コンクリートの事務所ビルは法定耐用年数は50年であるが、これが100年となっても、概ね13億円で作れるようだ。つまり、単年度の減価償却費は2000万円から1300万円になり、700万円の差額が発生する。
これは、大量生産・大量消費の原理から離れていくこととなり、プライスはあがる。つまり、本当に必要なものしか買わないし売れない。この視点が「一世代完結消費」から「多世代共有消費」への転換となり、物的生産以外の社会的な活動(真の環境対策など)へシフトする契機となる。
マクロ的には、環境問題の原因となる製造業の生産が縮小していくこととなり、より認識生産といわれる部分へ転換が求められる。貧困の消滅→物的市場が飽和した日本にとって、この転換がいま必要だ。
のように、社会問題という大きな期待に応える為に、絶えざる追求が必要になり、それが達成できれば大きな充足が得られるという技術革新にスポットライトがあたってくる:-)
この技術革新は、かつての資本家がとってきたお金儲けがすべてという価値とは真逆で、かつ、高度な追求を必要とする
書籍:『年収6割でも週休4日という生き方』1~1984年は六割経済だった~より引用
◆年収六割でもナンバーワンだった日本
・GDPが今の6割の水準だったのは1984年ですが、労働者の収入(家計調査による勤労者世帯の実収入)が2008年との比較で6割の水準だったのはさらに5年前、1979年のことです。
・そして日本企業の急速な発展ぶりと優れた組織力に世界が驚異と畏敬のまなざしを向け、エズラ・ヴォーゲル氏(ハーバード大学教授)が書いた『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーとなりました。
・若い人たちには想像もできないかもしれませんが、日本企業はそのチームワークの良さと勤勉さで世界に輝くもの作り大国として世界の賞賛を浴びていたのです。本業を忘れて金融ギャンブルにうつつを抜かす「財テク」などという言葉もまだ有りませんでした。
・そうした日本人の勤勉さや、堅実さが失われていったのは、やはり1980年代後半のバブル経済以降のことだと思います。
・六割経済の時代には、給料を4割カットする代わりに、労働時間も4割カットする。週5日勤務を週3日勤務に短縮する。つまり、年収6割、週休4日。これが、私が考える6割経済時代の労働モデルです。
『年収6割でも週休4日という生き方』ビル トッテン (著) より抜粋引用
すでに生きて行くための生産は週3日程度はたらければいい時代になった現代、みんなの期待に応えて追求することさえできれば、いくらでも雇用はあるということになる
経済効率より共認充足の時代なのだ
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