2008-08-18

都賀川の鉄砲水は自然災害なのか?

7月28日午後に神戸の都賀川で起きた鉄砲水。

「これはほんとにあの都賀川なのか?」
ssSANY0091.jpg
私自身、都賀川に川遊びに行った経験もあり、こんな事故が起きるなんて正直衝撃を受けました。
一体なぜこんなことが起こったのか?
お亡くなりになった方々の冥福を祈ると共に、亡くなった方々の尊い命を無駄にしないためにも事実を調べていこうと思います。
続きを読む前にクリックお願いします。

 にほんブログ村 環境ブログへ


まず、いろいろな角度から状況を整理していくことにします。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20080728.png(1)事故当時の気象状況
平成20年7月28日、近畿地方は台風8号からのしめった空気が前線に流れ込み大気が不安定となっていました。兵庫県神戸市の都賀川の甲橋水位観測所では、14:40~14:50の10分間で1.34mの水位上昇が観測されました。
また、最寄の三田気象台データーによると、14:00~14:10の10分間で18mm、14:00~15:00の1時間で57mmの降雨量となっています。この1時間当り57mmという降雨量は、1976年の統計開始以来最大降水量となっています。(気象庁データー
(2)都賀川の地理的状況
都賀川は六甲山系を源流とする六甲川と杣谷(そまたに)川の合流地点から始まり、河口までの延長距離は約一・八キロ。約五十メートルの高低差があるためとても急勾配な河川です。兵庫県の総合学習資料 「ふしぎ!都賀川」 によると、

六甲山麓では海岸線より2~4km の位置に山がせまっており、山から海にかけては最大1/20 の傾斜を有する「すべり台的地形」を形成しています。そのため、六甲地方の川は、外国と比べて急勾配である日本の川の中でも特異な急流河川となっています。都賀川も例外ではなく、都賀川の河床勾配は河口付近で1/200、下流から中流まで(JR付近まで)が1/100~1/40 となっています。日本の一般的な河川の勾配は、下流付近で数千分の1、中流付近で数百分の1 程度であることから、いかに急流であるかがわかります。(下図において、都賀川の傾斜は常願寺川の傾斜と同程度)
%E9%83%BD%E8%B3%80%E5%B7%9D%E5%8B%BE%E9%85%8D.JPG
また、急流であることに加え、山から海までの距離の短さから、降った雨がごく短時間で海に流れ込む特性も持っています。たとえばミシシッピー川で洪水が起こっても河口に到達するのに約半年かかりますが、都賀川は約20分という短さです。
%E9%83%BD%E8%B3%80%E5%B7%9D%E5%8B%BE%E9%85%8D2.JPG

となっています。
都賀川は世界でも特異な川で、降った雨が約20分で海に到達するくらい急勾配な河川なのです。
(3)都賀川の整備の歴史
昭和50年代、都賀川は生活排水の垂れ流しが多く、ヘドロが浮かぶ「死の川」と呼ばれるくらい汚い川だったようです。その後、住民運動の結果、1993年には「魚道」が整備され魚が住めるくらいにきれいな川になりました。
1995年の阪神・淡路大震災直後、河川敷への階段が設置されていた都賀川の水は、消火や生活用水に使われました。こうした経緯から、兵庫県は1996年、都賀川を「防災ふれあい河川」のモデル河川に位置づけ、水辺の遊歩道などを積極的に整備していきす。そして2004年、現在のような子供でも容易に遊べる親水公園が完成しました。(リンク
jirei19_2.jpg
(4)都賀川への雨水流入状況
新聞記事によると、

六甲砂防事務所によると、山間部に降った雨は土に染み入り、河川に流れ込むまでに時間がかかる。しかし、市街地ではアスファルトを打った雨がすぐに側溝へ流れて下水管に集められ、河川に排出される。
兵庫県によると、都賀川と支流を合わせた水系には、8.9平方キロの範囲に降った雨が流れ込む。都賀川の上流では宅地開発が周辺河川よりも進み、雨が染み入る土が少ない。さらに、傾斜がきつく、六甲山系にある河川の中でも特に急流だ。両岸と川底がコンクリートで三面張りにされ、「排水路」としての機能も大きい。 (リンク

とあります。上流の山間部の浸透水のほか、アスファルトで覆われた市街地に降った雨が下水道を通り、直接この川に集水されるのです。通常は浅い川なのに、やけに深く掘り下げられたところに浅い川があるのは、降雨時の「排水路」の役割を担っているからです。ライブカメラの映像でも、画面右側、橋下の暗渠から大量の雨水が流入するのがわかります。
(5)過去の災害事例
①阪神大水害(昭和13 年災害)
昭和13年7月3日~5日、台風による集中豪雨で神戸市は大災害となりました。河川は全て氾濫し、流木や岩塊まじりの土石流が市街地に流れ込み、周辺は見渡す限りの泥の海と化しました。
当時の記録では、死者・行方不明者 695名、最大時間雨量 60.8mmとなっています。
②昭和42年災害
昭和42年7月9日、熱帯性低気圧になった台風7号は記録的な集中豪雨をもたらし、昭和13年に次ぐ大災害となりました。
当時の記録では、死者・行方不明者 98名、最大時間雨量 75.8mmとなっています。
③最近の災害
ネットで調べみると、今回の現場で過去にも酷似した事例があったことがわかりました。1998年7月27日付朝日新聞記事に以下のような記述がありました。

二十六日午後二時ごろ、神戸市灘区岸地通一丁目の都賀川の河川敷と中州で、二組の家族連れが増水した流れに立ち往生しているのに近くの灘区民ホールの窪田武館長(六五)が気付き、一一九通報した。灘消防署員らが駆けつけ、中州まで川を横切るようにはしごを渡し、一組の家族連れを河川敷にいた家族連れと合流させ、道路につながる階段まで誘導して救助した。 調べによると、神戸市に住む会社員ら二組の家族計八人で、別々に河川敷でピクニックをしていたが、雨が降り始めたため、川の水面より高くなっている新都賀川橋の橋脚付近で雨宿りをしていた。いずれも乳児を連れており、水かさが増した川の流れに身動きがとれなくなったという。<中略>川の水深は普段、約三十センチだが、この日は降雨のため約六十センチになっていた。

場所,状況、日付や発生時刻まで近い状況です。調べてみると、1998年7月26日の13時~15時の2時間降水量は、神戸海洋気象台(神戸市中央区):2.5mm、長峰山(国交省所管・都賀川流域内):8mm、永峰(同):5mmとなっており、今回よりも降水量は少なかったようです。
また、2002年には、西宮市の夙川下流で釣りをしていた男性が急な増水で流され水死する事故が起きています。
(6)都賀川の水害対策
現在行われている水害対策は、河川敷に下りる階段など計17カ所に降雨による増水の危険を知らせる看板を設置するにとどまり、安全確保は利用者に委ねられているのが実情なようです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
以上が事故発生後の数日間で、ネット収集した情報です。
そして、この事故に対して、役所やマスコミは、
「地球温暖化による都市への局所的集中豪雨」
「急速な市街化やアスファルト舗装化に、下水道の排水能力が追いついていない」
「想定外の降雨量」
といった最近の環境問題に絡めたコメントをしています。
しかし今回調べてわかったのは、この事故は自然災害ではなく明らかに人災だということです。
実際過去の災害事例を見ても、今回以上の降雨量が記録されています。
住民運動の結果整備されたとのことですが、「魚が遊べるくらいきれいな川」といったお題目が先行し、降雨に対する安全性は全く考えられていません。
阪神大震災での成果を受け、水を容易に汲み取れるよう川面に近づけるような階段まで設置していますが、降雨に対する安全性は全く考えられていません。
時系列的に見ても、1998年や2002年には同様の事故が起こっているのに、河川整備事業の内容を変更せず、現在の親水公園が2004年に完成しています。
世界でもまれに見る急な川、アスファルト舗装による急速で大量な雨水の流入、都市化による局所的な豪雨の増加、これらの状況を考えると、今回のような事故が起こるのは素人でも想像できます。
陸に降った雨は川を通り海に流れ込む。これが自然の摂理です。

例えば、「環境問題」と言えば、普通の人は、「環境の問題」だと思ってしまう。しかし、そこに大きな落とし穴がある。
なぜなら、環境問題とは、統合過程が独占されていることの問題であり、この統合の過程を変えていかない限り、何も解決しない。(るいネット

現状の生産活動体系を取り続ける限り、都市の整備は避けて通れない課題です。
本当に必要なものなのか、あらゆる角度からその有用性と安全性が検証されているのか。
過渡期である現在、私達、普通の人々による徹底的な事実の追求が必要な時代なのかもしれません。

List    投稿者 isgitmhr | 2008-08-18 | Posted in 未分類 | 5 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.sizen-kankyo.com/blog/2008/08/382.html/trackback


コメント5件

 ちよ☆ | 2009.01.25 0:11

今回の「日本人は何を食べてきたのか?」シリーズ、とってもとっても興味深いです!
ブログ記事楽しみにしてます♪
それに、一緒に追求していけたらと想います☆

 サユール | 2009.01.25 22:36

特に調味料と加工食品についての考察に期待しております。
あと主食という概念(概念だと思います)がいつごろできたのかもおもしろそうです。
これからも楽しみにしています。

 yuyu | 2009.01.31 20:43

ちよ☆さんコメント&期待していただいてありがとう。
>それに、一緒に追求していけたらと想います☆
ぜひ、ご一緒に追求していただけると嬉しいです!!

 yuyu | 2009.01.31 20:53

サユールさん、こんばんは。
サユールさんのHP見ました。「サユール」って野菜って意味なんですね。
食の歴史を見ていく中で、色々な疑問が出てくると思います。主食や調味料も出てくると思いますので、楽しみにしてください。
逆にサユールさんのお持ちの食の歴史等に関する情報をご提供いただけるのも大歓迎です。よろしければ是非一緒に追求していきましょう。

 ホイホイ | 2009.04.16 22:11

確かに、『主食』『副菜』って明らかに観念ですよね。
動物は、そんなの考えてないだろうし。。。
“食”が本能―共認レベルを超えているのも、人類ならではのように思います。
どんなものを食べてきたかを調べていくと、当時の人々の共認内容とか、統合軸となっていた観念とか、色んなものがわかってきそうですね☆

Comment



Comment