2007-01-28

エントロピー則からみる自然の循環構造 [第2回] ~『熱』lって何だろう? ①~

こんにちわ、asaokaです。
taikijyunkan.jpg

画像は[アイラブサイエンス]より引用させて頂きました。
まず、前回ふれた熱力学の第二法則(エントロピーの増大則)に従えば、エントロピー(≒汚れ)は際限無く増大・蓄積していく一方であることを示しています。
このことを極論して、宇宙論や気象論などの科学的視点がまだ不十分な19世紀末のトムソン(絶対温度を生んだケルビン卿)は、世紀末論的に世界は死に至ってしまう「熱死」と表現しました。
しかし、エントロピー増大則は“事実”法則ですが、この「熱死」は物質系のうち孤立系または限られた平衡系を対象にした閉鎖系でみた場合のことで、実際の地球上の自然は、例えば太陽と地球との「放射収支」や地球上での熱輸送の「子午面循環(ハドレー循環など)」などエントロピーを処分する循環機能が働いてそのようなことにはなっていません。
つまり、環境問題を扱う場合の対象世界の(生物も含む)自然は開放系であり、開放系でエントロピーを扱うという視点が不可欠であることを、先に触れておきます。
さて、開放系にエントロピー則を導入して、具体的な自然の循環現象およびそれの乱れによる環境問題の中身に入る前に、今回はエントロピー則の基礎となる『熱』について、[熱とは?:暖かさ⇒温度⇒熱、そしてエントロピーへ]の流れで扱いたいと思います。
(※長くなったので前半と後半の2回に分けて投稿します。
前半は、「暖かさ⇒温度⇒熱の概念創出⇒物と熱の関係」まで、後半は、「熱量⇒エネルギー⇒気体の熱的性質」。
尚、補足資料として「熱の歴史年表」を追加投稿します。)
ところで、火災を大きくする原因でもありよく知られている自然現象のひとつに『フェーン現象』というのがあります 🙄
山岳の風上側よりも風下側の方が気温が高く乾いた風が吹いてくる現象ですが、これは熱論的に説明できる現象なんですね。
今回、投稿を最後まで読んでこの現象を熱学的に説明できるようになになりましょう 😀
(解答は、後半の投稿の最後に記します)
では、本題に入ります。
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『「熱学外論 槌田 敦 著」より引用

■暖かさから温度へ
◎経験法則
熱い物体と冷たい物体を接触させると、熱い物体は冷え、冷たい物体は暖まり、やがて両方の物体は同じ「暖かさ」になって変化は止まる。

人間の感覚では、同じ暖かさを表現できない。そこで、人間の感覚による混乱を避けるため「暖かさ」をこの経験法則に合うような測定可能な量にする必要となる。
すべての物体は、「暖かさ」が変わると物体の状態が変化する。
たとえば、暖かくなると物体は膨張する。そこで、この体積変化を用いて暖かさを測定する試みが、ガリレイ(1564~1642)によってなされた。
それは、たとえば、一端を閉じた細いガラス管に水と空気を入れ、水盤に倒立させるようなものであった。気温が上がると空気が膨張するので、この管内の空気の長さが変化し、暖かさの変化がわかるというわけである。30cmの空気柱の場合、1℃の変化で約1mm変化するから、気温の変化には十分に使えるのである。
「暖かさ」を皮膚感覚から離れて数値にしたという意味で大きな業績であった。
このように物体の状態の変化で測った暖かさを「温度」と呼ぶことにし、この測定器具を
温度計ということにする。

感覚の経験則の『暖かさ』を普遍的な評価指標値として観念化したのが『温度』なんですね。それにしてもガリレイはスゴイですね

温度計に用いる物体としては、状態の変化の大きなものがよい。ガリレイ温度計を改良したものとして気体の体積を一定にしてその圧力で測る「気体温度計」がある。また、アルコールや水銀など液体の体積で測る「液体温度計」がよく用いられる。その他、電気抵抗の変化で測る「抵抗温度計」、異種金属の温度差による起電力の差で測る「熱電対温度計」などいろいろある。
ところがここで例にあがった「物体の状態を示す量(状態量という)」のうち、「液体の体積」や「抵抗」や「起電力」などで測る温度は物質ごとに違うので、普遍的温度とするわけにはいかない。
残るのは気体温度計であって、気体の種類に関係なく、その状態を示す圧力(P)と体積(Ⅴ)と摂氏温度(t)の間には次のようなボイル-シャルルの法則
PⅤ=R(t+273) が存在する。
ここで、温度をT=t+273 と書き直し、このTを「絶対温度」とすれば
PV=RT ・・・・・(1.1) となる。
1モル(分子量に等しいグラムの単位の量)の気体を用いるとき、比例定数Rは、2.0cal/deg・mol(または8.3joul/deg・mol)である。これを気体定数と呼ぶ。
このようにして、理想気体温度計で測る絶対温度Tとその他液体温度計など補助温度計が示す温度との換算関係を測定しておけば、どのような温度でも測れることになる。

■熱という概念の導入
このようにして、「暖かさ」についての経験則は、これを「温度」と読み替えることによって普遍法則となり、厳密になった
ところで、なぜ、このような経験法則をほとんどそのまの形で普遍法則にすることができるのかということについて合理的な説明が必要である。
 その説明のために、「熱」という概念を導入する。そうすると、温度に関する普遍法則は、この温度を媒介として「物」と「熱」の関係に書き直せることになる。
ここで「熱」とは、物体の中に含まれている「特殊な流体」のようなものを想像すればよい。その流体が、高温側から低温側へ流れるとして合理的に説明できる。
◎物と熱の法則1(熱の流れ)
熱は、必ず高温の物体から低温の物体へ向けて流れる。
熱が低温の物体から高温の物体へ流れることはない。

この法則1は、高温の熱の低温空間への「熱伝導」または「熱の拡散」を示す法則であるが、「エントロピーの増大の原理」そのものであって、物事の変化の方向は一方向であることを示している。
この熱の性質を使うと、熱の循環流は存在しないことがわかる。
この循環という点で、熱は物と異なったふるまいをすること注意する必要がある。
◎物と熱の法則2(熱と温度)
物体に熱を加えると、物体の温度は上がる。
逆に熱を減ずると温度は下がる。

場合によっては、氷の融解のように加熱しても温度が上がらないことがある。
この場合、物体の状態の急変(相変化)することになる。このとき加えられた熱は固体から液体にへ状態が変化した際、この液体の中で隠れた熱(潜熱)になったと考える。
潜熱は隠れた熱であるから、液体が固体になるとき、再び熱になって出てくることになる。
◎物と熱の法則3(平衡到達)
温度の異なる物体を接触させておくと、やがて両方の物体は同じ温度になって、熱の流れは止まる。逆に、熱の流れがなければ、同じ温度である。
熱が流れなくなった状態を「熱平衡」と呼んでいる。

経験則である『暖かさ』を普遍的な評価指標として法則にした『温度』を論理的に説明するための概念として『熱』が登場したんですね。
『温度』の創出から『熱』の概念が生まれ、万物の活動・関係の理解が進んでいきます。
まさに、科学は塗り重ねの産物ですね。
ところで、槌田氏の上記の説明は、18~19世紀に物理学の主流であった『熱素説』の考え方を用いています。
この熱素説を簡単に言うと、熱流は水流や電流と同じような法則で“流れるもの“としたものです。つまり、高温の物体から低温の物体への熱の流れは、高所の水が低所に流れ、同じ温度で熱の流れが止まるのは、水の高さが同じになって水流は止まるというのと対応させた考え方です。
今では『熱(分子)運動説』が主流ですが、槌田氏は、熱素説で熱の基礎概念を説明するほうが合理的であると本書で言っています。(これは私も同感です)
但し、槌田氏はこの熱素説を用いるのに、次のように述べています。

熱い物体に熱エネルギーがたくさんあるというのは、自然に対する素直な理解であり、これに「間違えている」を無理に強要することはないのである。分子運動説が正しいからといって、熱素説を全否定する必要もなく、両者とも正しいとすればよいのである。
 
ところで、問題は19世紀の熱素説が完全潔癖な不変説であったことである。
これでは確かに救いようがない。しかし、だからといって、現在でもそのようなレッテルを貼る必要はない。
すべての物理法則には必ずその適応限界があることを認めるべきである。
そして、熱素と力学エネルギーとの間での相互変換がありうることを認めれば、その限界の範囲で熱素説はそのまま正しく、熱量不変から得られる比熱や潜熱として生き返るのである。
それだけでなく、熱素説は次のように現代的に解釈することも可能である。
それは、固体の内部(熱)エネルギーは、固体を構成する原子の熱振動と理解されている。この熱振動は、フォノン(音子)の集まりである。このフォノンこそが、質量のない特殊な流体としての熱素と解釈できる。

「物理など科学の認識・法則は、絶対的事実の不変則・絶対則で、ひとつでもそれに反する事象が発見されればそれは認められなくなる」というような考え・言葉に出会う時がありますが、私は少し違うのではないかと思うところがあります。
確かに、その時の状況や環境において、その時に考えられうる事象や論理に整合している事実はひとつです
しかし、気付いていない現象も存在しますし、環境が変化し新たな外圧が生じて新たな事象が発見されれば、それまでの科学認識では適応できない事実の発見も出てきます。
つまり、辻田氏が述べているように、すべての科学則は必ず次代に進めばその適応限界があると思います。(そもそも不変側・絶対則などと捉えること自体傲慢であり、それは宗教になります)
重要なのは、その発見の時こそ進化のチャンスであり、その時にそれまでの事実の科学認識を全否定するのではなく、適応できない現象や新説をそれに塗り重ね適応できるように統合した事実認識にすればいいのだと思います。
『事実観念(科学)は塗り重ねである』という認識が重要だろうと思います。
~前半はここまでです。 後半につづきます 😀 ~

List    投稿者 kirin | 2007-01-28 | Posted in I01.エントロピー則からみる自然の循環構造2 Comments » 

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コメント2件

 hihi | 2007.03.10 20:21

日本人の食はほとんど米と大豆がベースなんですよねー。
基本調味料を思い出せば解ります。
酒、みりん、酢が米、醤油、味噌が大豆。
日本食の基本は米、大豆、塩、水で出来ている。シンプル!

 ケリ太 | 2007.03.10 21:18

医食同源、大豆は昔から漢方薬としても使われてきたようです。
・・・・・・・・・以下引用・・・・・・・・
>「医食同源アラカルト」
大豆・納豆・香鼓
-日本の食生活に欠かせぬもの-
 ふだん、枝豆、五目豆、豆腐、納豆、味噌、醤油、黄粉として私どもに馴染みふかい大豆もまた、昔から漢方薬として使われてきました。
(中略)
漢方薬としての大豆は納豆のことで、香鼓(こうし)とか豆鼓とかいいます。
塩入りと塩なしと2種類あり、薬用には塩なし納豆の淡鼓です。古書には「一晩水につけた大豆を蒸してからゴザに広げ、まだ暖かいうちにヨモギの草で被え。3日に一回づつそっと覗いてみて黄衣が上一面を被ったとき、また水を加え瓶の中へ入れ、こんどは桑の葉でふたをして密封しろ。こんな作業を7回くり返すとできる」とあります。植物についている発酵菌を利用したずいぶん手のこんだ納豆づくりです。 古書では、クチナシの実とこの香鼓を組んで、梔子鼓湯という処方があり熱病の経過中に使っています。
http://www.wellba.com/wellness/oriental/contents/soy.html
・・・・・・以上引用・・・・・・・・
納豆が漢方薬だったとは驚きました。大豆は昔から食としてだけではなく、健康面においても大きな役割を果たしてきたんですね。正しく医食同源。

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