2011-01-09

のぞいてみよう!昭和39年の暮らしから学ぶ、共同体♪4~お風呂から感じる肯定視~

みなさん、昭和39年のくらし、のぞいていますか
ぜひ、のぞいてみたい 🙄 と、いうかたは・・・
「のぞいてみよう!昭和39年の暮らしから学ぶ、共同体♪」こちらのシリーズ
その1~過剰なエネルギー消費を見直そう~
その2~ごみの出ない暮らし~
その3~みんなの資源、みんなの中での役割~
を、ぜひ、一読してください
さてさて、今日は、前回の記事でも、少し紹介した、お風呂 についてのお話。
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この頃のお風呂は、家のこんなところにありました
今年も応援よろしくおねがいします
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  投稿者 nisi-miw | 2011-01-09 | Posted in I02.循環型社会ってなに?No Comments » 

『次代を担うエネルギー・資源』火力発電の可能性4~日本の10電力会社比較(発電内訳)~

   
前回、『次代を担うエネルギー・資源』火力発電の可能性3~日本の発電の変遷~
では、日本の火力発電の歴史と、主たる発電方式の変遷を見てきました。そして、そこでは、単にエネルギーコストや効率や国家防衛課題(エネルギーの自給)とは、全くちがう位相からの問題提起がなされています。

  

「火主水従」への転換は、国産エネルギー路線からの、海外原油依存=国際石油メジャー・国際的な金貸し依存への転換なのです。

 

>「原主火従」への転換には、国産金融資本家(金貸し)「ロックフェラー
vs
ロスチャイルドの戦い」が背景にあったのです。

 

>サブガバメント組織をもう少し具体的に言うと、経済産業省(旧通産省)・文部科学省(旧科学技術庁)・これら官僚機構の所轄団体である、独立行政法人等(核燃料サイクル開発機構等)・経済産業省支配下の10電力会社の利害を共にする連合組織です。



では、今回からは上記の内容も踏まえて、日本の電力会社各社における火力発電の現状、各電力会社間の比較、そして火力発電における課題である「環境(大気)汚染」について調べてみたいと思います。

 


こちらよりお借りしました。
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  投稿者 systema | 2011-01-08 | Posted in E08.火力発電の可能性2 Comments » 

社会期待の歴史(8)~環境問題を充足課題として捉え直すことで、本当の解決策が見えてくる~

choukokka.gif シリーズ最終回です。

7回に渡って社会共認の歴史を振り返ってきました。

その目的は、環境破壊の原因である過剰消費がどのように近代社会に受け入れられてきたのか?を社会を構成する人々の意思である社会期待という軸で整理すること。

そして、今後どのようにすれば過剰消費に起因する環境問題は解決に向かえるのかを探ることでした。

ここで、現在の環境問題への取り組みを俯瞰してみると、

☆環境問題解決への答えは、みんなが充足できる社会の実現と同じ軸線上にある

不安や危機から規制を強化して環境問題を解決するという現在の環境運動のパラダイムは息苦しいと多くの人が感じています。ここから活力ある未来を想像することは困難だと思います。ここを突破できる新しい切り口は何か?がもっとも大切な論点になってきます。

そこでは、1970年の貧困の消滅以降培われてきた、充足こそ活力源という意識潮流や、要求するだけではなく当事者として自分たちで何かを成し遂げたいという役割欠乏の上昇など、新しい可能性はいくらでもあります。

これらを元に、パラダイム転換への道を探っていきたいと思います。

ということになります。このような、危機を訴えることで不安感を煽り、規制を強化するという政策や運動には限界があります。こままだと目先の脈絡のない規制や強制がどんどん進んでいき、息苦しく活力のない社会になりそうだからです。

そこを突破するためには、みんなが活力を持って環境問題に向かうことが必要です。それには、人々が主体的にこの課題を担っていくことが出来る可能性=実現基盤が必要です。なぜならば、実現基盤が発掘できないままでの方針は、頭の中だけの理想論で現実との乖離を生みだすからです。

ところで、人類の歴史は社会期待(社会意思)に収束することによって実現してきた事実があります。そこからは、社会期待こそが実現基盤であり、それを無視した政策や運動は実現可能性が極めて低いということがわかります。よって、現在の実現基盤(=社会期待)の発掘が今後の社会や環境運動をどうする?という問題の解決のためにはきわめて重要な前提になるのです。

それでは社会期待の歴史と、現代の実現基盤について考えていきましょう。

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  投稿者 sinsin | 2011-01-05 | Posted in A.史的構造認識から紐解く環境, A04.社会期待の歴史5 Comments » 

社会期待の歴史(7)~環境問題を解決するには新しい認識(=近代思想、近代市場を越えた可能性)が必要~

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写真はコチラからお借りしました
年末年始シリーズ「社会期待の歴史シリーズ」も、とうとう大詰めです。
現在の「社会期待」が、「豊かさ期待」から、「社会の当事者として、みんなでこの社会をどうする?」という「本源期待」へと変わったことを前回の記事で押さえました。


社会期待の歴史(6)‘70年~現代 遊びの終焉により社会はパラダイム転換を迎えた

70年代の豊かさの実現以降、40年をかけて私たちの社会期待は本当の意味での社会期待=自分たちの社会どうする?という本源期待へと転換してきたのです。
’70年、豊かさの実現によって私権意識が衰弱
’90年、バブル崩壊によって豊かさ期待が消滅
’08年、世界バブル崩壊によって私権観念が瓦解
’10年、豊かさ期待に代わって本源期待が生起
このことは、つまり共同体の時代が始まったことを意味するのです。それは、これまで個々で存在し、個々に発散して、各々が社会不全を捨象してきたバラバラだった個人。その一人一人が、これからは社会の当事者としてみんなで「社会をどうする?」という共通の課題のもとに収束する事なんです。

現に、人々は今や「物を消費すること」やそれらを保証する「お金や身分を手に入れること」での市場価値(その結果得られる“代償充足”)よりも、「もったいない」に代表されるような、「過剰消費はもはや不要」という意識が芽生え、「誰かと一緒にみんな(≒社会)の役に立つことで得られる充足感(=共認充足=本源充足)」の方が優先される意識に変化しています。
しかし、この「本源期待」を受けて、実際に行われている政策や環境運動はというと、本当にこれからの社会の実現基盤にのった方針になっているのでしょうか?
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  投稿者 tutinori | 2011-01-04 | Posted in A.史的構造認識から紐解く環境, A04.社会期待の歴史No Comments » 

社会期待の歴史(6))‘70年~現代 遊びの終焉により社会はパラダイム転換を迎えた

あけましておめでとうございます
 
前回は環境問題の根幹である、近代市場=「豊かさを要求する大衆」と「私益を貪る特権階級の暴走」の登場。そして、その背景にある大衆側の【豊かさ期待】と【代償充足(解脱埋没)】共認の構造を押さえてきました。
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1970年代の豊かさの実現の後、私たちの【豊かさ期待】や【代償充足⇒芸能】はいったいどのように変化していったのでしょうか?今回は貧困が消滅した‘70~現代までの社会期待の行方を追っていきます。
 
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  投稿者 kasahara | 2011-01-03 | Posted in A.史的構造認識から紐解く環境, A04.社会期待の歴史2 Comments » 

社会期待の歴史(5)~市場時代の代償充足と豊かさ期待

あけましておめでとうございます。
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前回の記事では、古代から中世までを押さえました。文明前夜の頃から略奪、皆殺しを繰り返してきた西洋では、共同体=共認充足の場が失われたことによって個々人が根無し草の存在となり、誰もが自我・私権の主体となっていきました。しかし、支配体制が絶対であった中世までは、大衆の私権獲得の可能性は閉ざされており、出口のない救い欠乏が社会期待として登場し、その収束先に宗教(唯一絶対神)が存在していたといえます。
まとめると【略奪・戦争→共同体解体⇒自我収束⇒観念収束⇒唯一絶対神】という構造です。
これを、環境問題にひきつけてみると、この時代までは自我・私権の主体となった特権階級と大衆という構造が確立したものの、大衆の私権獲得の可能性が閉ざされているが故に、今日に見られるような【豊かさを要求する大衆】は存在しておらず、従って大量生産・大量消費といった環境問題も顕在化しませんでした。つまり、環境問題は顕在化していないが、その原因となる土台が創られた時代だったと言えるでしょう。
今回の記事では、『社会期待の歴史(5)~市場時代の代償充足と豊かさ期待』と題して、環境問題が顕在化してきた近代市場を扱います。

前回の記事にも触れられていますが、近代市場時代とは、自然圧力×同類闘争圧力×支配圧力=3重の圧力からの脱出口として、新しい私権獲得の場である市場が登場した時代です。市場の登場によって、大衆にまで私権獲得の可能性が開かれ、大衆の末端に至るまで自我・私権が顕在化し「救い欠乏」にかわって「豊かさ期待」が社会共認として登場し、市場拡大の原動力となってきました。
また、この市場拡大を牽引してきたのが、国際金融資本家(金貸し)の意向に従い、私益を貪る特権階級や知識階級です。そして、その私権獲得を正当化するために登場した観念が近代思想ということになります。古代宗教の神の位置に、個人をすげ替えたのが近代思想であり、これは現代でも市場拡大を正当化する思想として脈々と受け継がれています。
しかし、当時も現代も近代思想に収束していたのは知識階級のみであり、大衆全てが近代思想に収束していたわけではありませんでした。大衆は近代思想ではなく何に収束していたのでしょうか。これが、前回記事の予告にある「共認非充足はどのように処理されていたのか?」の答えにあたる部分です。

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  投稿者 nannoki | 2011-01-02 | Posted in A.史的構造認識から紐解く環境, A04.社会期待の歴史No Comments » 

社会期待の歴史(4)~西洋の自我収束⇒観念収束⇒唯一絶対神信仰~

 あけましておめでとうございます。
初詣はお済ですか?日本の神様達は環境問題をどう感じておられるのでしょうか?
本年も「自然の摂理」をよろしくお願いします。
 年末年始特別シリーズとして、環境問題の根本、「過剰消費」の原因となる価値観がどうやって生まれてきたかを見ていますが、今日は現代社会で広く使われる西欧発の観念の根っ子について考えます。
 西欧発の観念と言えば、まず、キリスト教ですね。おそらく、世界で最も影響力のある思想体系かと思います。
でも、日本人はあまり浸透しなかった。何か、違和感があるように思います。そんなに都合よく割り切っちゃって良いのか?と。
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  投稿者 hihi | 2011-01-01 | Posted in A.史的構造認識から紐解く環境, A04.社会期待の歴史1 Comment »