2022-06-28

磁力の発見の歴史~相容れるはずのないキリスト教神学とアリストテレス哲学との攻防に挑んだ2人のキリスト教徒

13世紀のヨーロッパでは、アリストテレス哲学の浸透によってキリスト教神学は大きな危機を迎えていた。

そんな中で、キリスト教神学と相容れるはずのないアリストテレス哲学とを無理やりにでも取り込もう、統合しようとしたキリスト教徒が2人存在する。この2人の格闘が現在の西洋科学の土台を成す思想に繋がっている。今回はその2人の人物を紹介する。

 

〇トマス・アクティス

アリストテレス哲学をキリスト教神学に調和的に取り込むことで、その危機を救うのに成功したと云われている。トマスは当時の哲学と神学研究の中心であったパリ大学に進み、1256年に当時、キリスト教世界全体で最も高い威信を有していたパリ大学の教授に就任する。それから1273年まで、トマスは不屈の努力でキリスト教神学をアリストテレス哲学と統合することに打ち込み『神学大全』の執筆途上に1274年に亡くなっている。

 

トマスは『神学大全』を書き続ける中で、アリストテレス哲学の合理的体系でもってキリスト教神学を再編成して新しい哲学:勝義の「スコラ哲学」を作り上げた。『神学大全』には「神は意志の啓示によって人間が示されるのであり、信仰はこうした啓示に依拠している。したがって、世界に始まりがあったということは、信じられるべき事柄であって、論証されるべき事柄でも学的に認識されるべき事柄でもない。」と書かれており、現実に神学のドグマが先行していた。したがって、神学と哲学の統合といっても、キリスト教の教義に反しないような巧妙な手の込んだ論証を編み出したというべきであり、おそるべき力業だった。

トマスの死後1325年に、トマスの神学がヨーロッパ・キリスト教世界に正式に認められるようになり、勝義のスコラ学が誕生し、その後の中世ヨーロッパの精神世界を席巻風靡することとなる。

 

しかし、結局トマス・アクティスはアリストテレスの哲学に大きな影響を受けながら、普通に考えれば相容れるはずのないキリスト教神学との調和を成すために、言葉の解釈に明け暮れていただけだった(不毛)ともいえる。この不毛を見抜いていたのがトマスと同時期に生きた「ロジャー・ベーコン」であった。

(さらに…)

  投稿者 kurahasi | 2022-06-28 | Posted in B01.科学はどこで道を誤ったのか?No Comments »