2014-05-29

循環型社会のグランドデザイン 1.経済のサイクルを回し続けるもの

532102_les_priroda_trava_derevya_vetki_5616x3744_(www_GdeFon_ru)根源回帰の潮流を基盤とする、「業態革命を遂げる企業群が形成する生産・生活基盤」、「自律性の高い共同体(企業・地域)のネットワークとしての自治=自主管理」、「自然の摂理への回帰」、これらの合流する先に未来の【自給型・循環型のグランドデザイン】が像を結んでくるのではないだろうか。リンク

 

循環型社会を考えていく上で必要なのは生産基盤=技術基盤だけではなく、それを活用するネットワーク・経済基盤=生活基盤が必要となる。

以下に紹介する2人の経営者のインタビューからは、現実の中で葛藤し、創意工夫を重ね事業を実現していく強い意志が読み取れる。

堆肥プラントの社長は、「この作物をいくらいくらで売ってくださいよって頭を下げにくるような生産をする。そうして利益を上げて、ちゃんと税金が払えるようになる。そんな風になってください。」と農業生産者に期待をかけ、

林業の経営者は、「買っていただいている」という気持ちより「売ってやっている」という驕りの方が強かったのではないかと我々(われわれ)林材業に関る者、全て素直に反省しなければならないと思います、 とこれまでの経営方式の総括を行っている。

一見相反する2人の言葉だが、そこには経済のサイクルが回らなければ失敗するという共通構造がある。

 

●ひとつめの企業紹介は、堆肥化プラントの優秀さと県下随一の守備範囲が誇りの株式会社県南衛生工業。 

はざかプラント

同社の最大の特徴は、独自の堆肥化プラントによる廃棄物処理の方法にある。現在このプラントの優秀さが行政を始めとする各方面から注目を浴び、同社では見学や問い合わせ等への対応に追われている。

 

以下リンク

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プラント社長

◆大切なのは処理の技術ではない 循環のよい関係を作ることです

宮城蔵王にほど近い村田町という町のはずれ、山の上に変わった場所がある。省庁に全国各地の行政、団体、そして企業に勤める人々が、はるばる毎日のように訪ねてくるのである。「日本のゴミ問題の解決の方法がここにある!」と人々は騒ぎ立てる。しかしその“解決の方法”を開発した本人は淡々とこう語る。大事なところを見落としていませんかと。

 

(前略)
そんな折、ここ村田町の栗団地組合と相談して、汚泥を受け入れてもらえることになった。
ところがある日突然、保健所が「栗林へ汚泥を入れることを禁止する」と言ってきた。「雨に流された汚泥が海を汚染する恐れがある」というんです。「汚染する」ではなく、「汚染する恐れがある」というのが理由だという。
1年後には親子そろって首をくくらないといけない。私はもう廃業を覚悟して、翌日から昔田畑を借りた農家に挨拶をして回りました。

しかしそうして歩いている時、ある農家の堆肥舎で、積み上げた堆肥から雑草が生き生きと伸びているのを見たんです。それで、汚泥もこれくらい醗酵させれば畑に入れても障害が出ないんじやないか、本当の意味での農地還元ができるんじゃないかと思いました。汚泥などの廃棄物を100%堆肥にできれば、仕事が続けられるはずだと気づいたんです。

堆肥づくり

それからというもの、農家のお年寄りに会うたびに、昔の堆肥の作り方を聞いて回りました。農家のみなさんが教えてくれた堆肥づくりの方法は、積み上げる高さから切り返しの回数まで、みんな見事に一致していました。

堆肥作りは微生物の活躍によるものでした。だから、私かそれまで浄化槽でやってきたのと同じように、微生物が働きやすい環境を作ってやればいい。ハザカプラントは、そんな風に考えて設計したものなのです。そして、以前買ってあったこの村田町の山の上に、プラントを建設することにしました。

(中略)

◆経済のサイクルが回らねば 環境のサイクルも回らない

ただ、プラントでできた堆肥を使ってくれるひとがなかなか現われないという問題がありました。「なにが入っているかわからない」、「毒が入っているかもしれない」と言って、なかなか農家の理解が得られなくて苦労したんです。そしてそれ以前に、”環境や”循環”ということを考えている農家が、いまはあまりにも少ないということに驚かされました。

”廃棄物”というものを出さないために本当の鍵を握っているのは、プラントではない。あくまでも農業です。だから大切なことは、廃棄物の出るところと、プラントと、プラントから出る堆肥を使うところの3者のいい関係を作ることです。私は最初からそう思ってこのプラントを作りました。けれども、その肝心の農家がなかなか関心を持ってくれない。

でも、やる気のある農家というのは、自分の圃場に必要なものを真剣に考えていて、そしてその必要なものをどこからかちゃんと探してくるものなんですね。それで最近になってやっとちょこちょこ使ってもらえるようになってきました。

堆肥は農家には無料で分けています。そういう農家は、「私が使ってみよう」という勇気を持ってきてくれた人たちです。そういう人だちからお金をとるようなことは、なにか自分のめざしていることに反しているような気がするんです。行政やゴルフ場、都市緑化にはうんと高く買ってもらおうと思っていますがね。

だいたいの農家は私のところへ来て、まず「この堆肥を売ってくれ」と言います。
私にしてみれば、これを売るのは簡単です。でも、堆肥を売って金儲けをする必要はありません。土を売って金儲けができた歴史なんかないんですから。それよりも、お金を出して買った堆肥で作った作物をどうするつもりなのか。ほとんどの農家は、農協の言い値で肥料を買う。それでできた作物を売るときも、農協が 「売ってやるよ」というのに乗って、自分で値段も決められない。昨日までそんな農業をやってきた人に、この堆肥に値段なんかつけられますか。

だから私は、一生懸命やるならこの堆肥はあげますと言うんです。そして、自分で自分の作物をどこに買ってもらおうかときょろきょろするんじゃなくて、東京あたりのバイヤーが圃場まで出向いてきて、「この作物をいくらいくらで売ってくださいよって頭を下げにくるような生産をする。そうして利益を上げて、ちゃんと税金が払えるようになる。そんな風になってください。なろうとするなら、この堆肥はあげます。そうでなければ意味がないですから、やめましょうって、そうお話しているんです。

つながる1いいものが作れるようになりたい、その夢は夢でいいんです。けれど、かなう夢をみるべきではないですか。最近はこのプラントをよそでも作ってくれないかという引き合いもくるんですが、その場合も同じことです。

環境のサイクルに乗っても、経済のサイクルが回らなければ失敗するということに、どうもみんな目をつぶってしまっている。

 

●ふたつめは、 江戸時代から17代も続く林業家へのインタビュー。

林業社長1日本の林業再生のためになにが必要なのか?業界の当事者だからこそ生々しく苦悩が語られている。過去の栄華と既得権意識の転換が必要という認識にはリアリティーがある。

 

 

●森林・林業再生のために

リンク

日本の林業が衰退していった原因は何だったのか-。まず明治維新後、日本でも遅ればせながら産業革命が起こり、幕藩体制時代に各藩で保護され大切に扱われていた森林が工業化推進のため建築材や薪炭(しんたん)材等で乱伐されました。その結果、森林は瞬く間に裸山になり、戦前戦中も軍用材や燃料等で強制伐採の面積が広がり、森林の荒廃は日本全土に広がりました。

戦後この荒廃した森林を蘇(よみがえ)らせるため政府の音頭取りで「全国植樹祭」が始まり、国土緑化運動が盛んになり、全国各地に広がりました。国も木材需要を見越して国有林野に拡大造林を推し進め、雑木林や広葉樹林帯までも伐採し、木材生産可能な林種転換をさらに進めていきました。国有林野の膨大な赤字が社会問題化されるまで、この植林ブームは続いていくのです。

戦後の復興住宅は大量の木材が必要ですが、前段で書いたように吉野や一部古い林業地帯を除いては大半が戦後植林された若い林で、とても木材としては利用できません。そういう事情で木材供給は吉野や一部林業地帯に頼らざるを得なかったのです。こうして吉野は空前の木材景気に沸き、原木市場には原木丸太が溢(あふ)れ、瞬く間に消えていくという状態でした。

吉野杉yjimage

周辺には数百軒の製材所が立ち並び「出せば儲(もう)かり、挽(ひ)けば儲かる」といった感じで、「風が吹けば桶(おけ)屋が儲かる」の例えのように、周辺の旅館や飲食店等あらゆる業種が潤いました。証券会社も吉野に支店を開業し、金融機関も数行、店をオープンさせ、揚げ句の果てには外車のディーラーまでオープン。まさしく「アベノミクス」ならぬ「ヨシノミクス」でした。
このころ一世を風靡(ふうび)したのが「吉野ダラー」という造語でした。好景気に潤った資金は、やがて日本の株式市場を左右する所まで行き、相場師の顔を持つ人も現れ、この木材景気は昭和50年代半ばまで続いていきました。好景気不景気関係なく個々の栄枯盛衰は日常茶飯事のように起こり、必ずしも好景気が幸福度のバロメーターとはいえないようです。

豪華絢爛 住宅ブームは、この後も続いていくのですが、徐々に人々の価値観の変化が起こり始め、バブル崩壊の平成の世になってからは、その傾向がはっきり出始めました。これまでのようにムク材(木そのもの)から集成材に主役が移り、建築工法も、これまでの柱を見せての真壁工法から柱を隠してしまう大壁工法が主流となりました。密植造林や枝打ち等、手間暇かけた吉野の杉檜(スギヒノキ)が不要になり、原木価格が急激に下落、林家や製材業者の生産意欲を失わせました。

景気低迷が木材離れの原因であるなら、また景気が戻ればと期待感があるのですが、価値観の変化での木材離れは致命的です。これまでは無節の柱材、無節の板材を作るためコストを掛けて造林育林してきた吉野林業にとっては、根本的に考え方を変えなければ衰退の道を歩んでしまいます。

林業社長2 人々は住宅に対して何を一番欲しているのか、木の良さは皆認めているはずです。吉野材というネームバリュー。古来より優良材を輩出してきた誇りと驕(おご)り。「買っていただいている」という気持ちより「売ってやっている」という驕りの方が強かったのではないかと我々(われわれ)林材業に関る者、全て素直に反省しなければならないと思います。

以前旧松下電器の故松下幸之助氏が伊勢神宮に寄贈された茶室の床柱の値段を聞かれて「こういう産業がまだ日本にあるのだね。これを続けて行くなら決して国内外で勝ち抜ける業種では無い」と明言されたという逸話が残っています。

この言葉の意味が何を言わんとしているのか、我々は真剣になって林業再生をスタートさせなければなりません。
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経済のサイクルを回し続けるために必要なものはなにか?

かつて内田樹氏はHPでこんなことをいっている。

目の前に生きた労働主体が存在するなら、彼の労働をわざわざ商品化して、それを市場で買うことはない。
「ねえ、これやってくれる。僕が君の代わりにこれやるから」で話が済むなら、その方がはるかに合理的である。
経済学的にはこれは「欲望の二重の一致」といって「ありえないこと」とされている。  リンク

はじめに紹介した堆肥化プラントの経営者は、「健全でおいしい農作物をつくってくれる?・・、ぼくはそのための堆肥をつくるから・・」といっているし、林業家は「気持ちよく住める木造の家に末永く住んでくれる?・・、ぼくはそのために材木をつくるから・・」といっている。要約すれば「欲望の二重の一致」そのものである。

内田樹氏はHPはなお続く

経済学的にはこれは「欲望の二重の一致」といって「ありえないこと」とされている。
だからこそ貨幣が生まれたとのだ、と説明される。
だが、ある程度のサイズの「顔の見える共同体」に帰属していると、実際にはかなりの頻度で「欲望の二重の一致」が生じることがある。これはやればわかる。

(中略)

共同体に「いろいろな財貨やサービスや情報や技能」をたっぷり持っていて、「誰か『これ』要らないかなあ」と思っている人が出入りして いると、「あ、オレが欲しかったのは、『これ』なんだ」というかたちで欲望が発動すると「欲望の二重の一致」はたちまち成就してしまう 。

(中略)

ここでは、情報や技術や品物が必要なひとはその旨を告知しておけば、そのうち誰かがそれを贈与してくれるからである。
この贈与に対する反対給付は「いつか」「どこかで」「誰かに」パスすることで相殺される。
いま贈与してくれた人も、かつて、どこかで誰かに「贈与されたもの」をここで次の受け取り手に「パス」することによって反対給付を果た しているのである。
貨幣が介在しないことで、ここでは貨幣で買えるものも、貨幣では買えないものも、ともに行き交っている。
これはもうある種の「物々交換」と言ってもよいだろう。
そして、すでに日本の各地では、さまざまなサイズ、さまざまなタイプのネットワークを通じて、このような「直接交換」が始まっている。
貨幣を媒介させるのは、「その方が話が速い」からであった。だが、今は貨幣を媒介させた方が「話が遅い」という事態が出来している。

自分の創出した労働価値を貨幣に変えて、それで他の労働者の労働価値から形成された商品を買うというプロセスでは、労働価値が賃金に変 換される過程で収奪があり、商品を売り買いする過程で中間マージンが抜かれ、商品価格にも資本家の収益分や税金分が乗せられている。
それなら、はじめから労働者同士で「はい、これ」「あ、ありがとう」で済ませた方がずっと話が速いし、無駄がない。

これからさき、ポスト・グローバリズムの社会では、「貨幣を集めて、商品を買う」という単一のしかたでしか経済活動ができない人々と、 「贈与と反対給付のネットワークの中で生きてゆく」という経済活動の「本道」を歩む人々にゆっくりと二極化が進むものと私は見通してい る。
むろん、貨幣はこのネットワークが円滑に形成され、ひろがってゆくためにはきわめて効果的なアイテムであり、「本道」の人々も要るだけ の貨幣をやりとりする。
だが、貨幣はもう経済活動の目標ではなく、ネットワークに奉仕する道具にすぎない。

 

「はい、これ」「あ、ありがとう」、「それやって、ぼくはこれやるから」というシンプルなやりとりが経済のサイクルを回し続けるための 原動力であり、このように絶え間なくモノ・ヒトが動きながら贈与と反対給付(期待することとそれに応えることと置き換えてもいい)がバランスしている状態が循環型社会のひとつのモデルと考えられる。

 

 

 

  投稿者 kankyo-east | 2014-05-29 | Posted in G.市場に絡めとられる環境問題No Comments »