2008-01-06

豊かな田園風景って

あけましておめでとうございます。
新年早々、友人の結婚式でタイに行き、かの地の食材の豊かさと美味しさにびっくりしてきた北川です。
タイの郊外で暮らす人たちは、家に必ずといっていいほど、バナナとココナツを植えるそうです。余裕があればマンゴーも。そうして、何があってもとりあえずの食べ物については安心していられるのだそうです。郊外は、ココナツとバナナの木々が、林のように広がって、木陰を作っていました。
食べ物を、商品として以外に、豊かに確保しながら、暮らしやすい環境を作っているのだなぁとちょっと感動しました。
最近の日本の田舎では、いくら田園風景が広がっていても、なんだか豊かな感じがしないのは何でだろうと、考えてしまいまいました。
思いつくのは、商品としての米だけを作っていて、しかも、それが食生活上にも、経済的にも豊かさにつながっていないからかなということです。
日本でも、昔は「豊かな」田園があったのだと思います。
かつて、田んぼは水路で川とつながり、田んぼの中には、稲だけでなく、フナや鯉、ウナギといった川魚がいて、貴重な蛋白源になっていたし、畦には豆や野菜が植えられていたし、今では害虫としか思われていないイナゴなども、食料として利用されていました。
それら生物の生息環境として、日本の田んぼはかなり合理的に作られてきたと言っていいのだと思います。
カエルを例にとると、ヤマアカガエル、ニホンアカガエル、アズキヒキガエルの3種は田植え前の水田の水溜りで産卵し、おたまじゃくしはかつての田植え時期ころまでに変態します。アマガエル、シュレーゲルアオガエル、トウキョウダルマガエルは田植え後に田んぼで産卵し、中干し時期までに変態を済ませます。彼らは、農事暦にあわせて生活史を進化させてきましたが、今では多くが絶滅を危惧されています。彼らが保全していた田んぼの生態系は、投入型・単一型の「目的作物」の収穫効率化の前に省みられなくなっています。しかし、単純に考えても、田んぼから多様な生物がいなくなり、得られる食糧供給が単純化していくことは、効率的な食料供給の方法といえないのではないかと思います。
田園風景が、豊かな印象を与えないというのは、実は、生物相が、貧しくなって、本当に豊かでなくなったことを示しているのだと感じています。
また、田んぼは、窒素循環など、よい面でも悪い面でも環境に対して大きな影響を与えます。
これから、田んぼのあり方を中心に、農と環境について考えて行こうと思っています。
最後までお付き合いありがとうございました。
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  投稿者 parmalat | 2008-01-06 | Posted in N01.「食への期待」その背後には?14 Comments »