2019-03-29

「普通の人々」には素朴な疑問に蓋をせず、事実の追求を守り抜いていく役割がある

私達が科学と考えているものは実は学会という檻の中でのドグマにすぎなくなっており、事実の追求という良心を持つまともな学者は排除されている。他方で学会は国際金融資本(金貸し)の思惑に追従する権威主義者によって束ねられ、現在の市場経済の目先の利益に貢献する研究にばかり研究費が投資されていく。更には、地球温暖化にしろ、プラスチックによる汚染問題にしろ、問題のすり替えとスケープゴードづくりに余念がなく、学会が提唱する科学はますます事実の追求とは遠く離れていっている。

振り返ると、プレートテクトニクスの導入も、ビッグバン宇宙論の普及も、金貸し支配の歴史に血塗られている。より問題の根が深いのは比較的まともだった日本の地質学会のドンすら、アメリカの金貸したちは葬り去って首をすげ替えてきたということだ。そしてそこではマスコミを使ったプロパガンダによって大衆世論の巻き込みも行われている。

私達は権威主義に流されてはいけない。直接的な研究費etcの利害関係を持たない「普通の人々」だからこそ素朴な疑問に蓋をせず、事実の追求を守り抜いていく役割があるし、それが結果的に、自分たちの生命と地球を守ることにつながる。

そしてデカルトにはじまる近代科学の体系そのものが自然の摂理から離れた架空の理論体系になっていることに気付く必要がある。そして教科書を盲従するのではなく、教科書に疑問を持ち、探求心を伸ばしていく「まともな科学教育」が必要なのである。

 

破壊学事始さんの以下の記事 http://zao.jp/index.php?blog=12&p=512&more=1&c=1&tb=1&pb=1 の指摘は非常に重要である。

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