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環境問題の改革を進めるには、新しい社会統合機構が不可欠!8『官僚制の突破口は、「半専任・半事業⇒参勤交代制」』

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あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して特別な倫理的要求をつきつけずにはいない。

では政治に身を投ずる者のそなうべき資格と覚悟とは何か。ヴェーバー(1864‐1920)のこの痛烈な問題提起は、時代をこえて今なおあまりに生々しく深刻である。(「BOOK」データベースより)


・・・100年の時を越えて、今同様の問題が蘇る。新しい政治形態はどのようにあればいいのだろうか・・・


『環境問題の改革を進めるには、新しい社会統合機構が不可欠』最終回です。

7回に渡り、官僚制の問題を扱ってきました。そして前回、近代市場社会成立の背後には欧州の都市全体に広がった無制限な自我・私権の追求を是とする人々の意識潮流があり、その成立背景には、自我・私権追求を正当化する近代思想があり、さらにその奥には彼ら近代思想家・芸術家たちを支えた金貸しの力があったことを解明しました。その結果

 環境問題の改革を進めるには、新しい社会統合機構が不可欠!7 『官僚は骨の髄まで金貸しの手先』 [2]

☆市場拡大=過剰消費を絶対化し拡大し続ければ、当然、不必要な生産と消費そしてゴミが果てしなく増大します。自然へ負荷が増大し、やがて環境破壊が始まる事になるのは自明の理です。しかし、金貸しの作り出した近代思想は、近代市場を正当化し、市場拡大・消費拡大を最優先する思想です。したがって、その近代思想に立脚した官僚や学者の思考は、決して本質的解決には向かいません。

このような状況になりました。また、シリーズ第一回では、

環境問題の改革を進めるには、新しい社会統合機構が不可欠!1~『自集団の権益に固執する官僚制が、環境問題の障壁』 [3]

単一集団として自集団の利益を第一に考える官僚に、巨大な許認可権や補助金の分配権が与えられ、かつそれが特権的な職業として固定化されていること自体に問題の本質がある。官僚をはじめとする特権的利権を手に入れた組織の自己防衛志向、かつ既に獲得した権限をフル活用しての抵抗、これらが重なればエネルギー・資源や環境の問題への改革が遅々として進まないのも当然と言える。であれば、エネルギー・資源や環境問題の改革を進めるには、『既存の組織には可能性はない。自分たちで次代を担う「新しい社会統合機構」をつくる』ことこそが根本的解決への課題である。

という提起をしました。しかし『自分たちで次代を担う「新しい社会統合機構」をつくる』ことは人類史始まって以来のことであり、具体的なイメージがわき難いのも確かです。そこで今回は、エネルギー問題を中心に据えて、新しい社会統合機構はどのように考えていけばいいのか?をテーマにしてみたいと思います。



☆☆☆近代思想に導かれた、消費する自由は絶対という価値観

官僚機構の特権維持に向かう自閉構造の問題は、本シリーズでも大きく取り上げられてきました。しかし、大衆側の自由なエネルギー消費についてはあまり問題にされることはありません。たとえば、自動車を買うとき、その機種が多少の省エネ対策(これもまやかしに過ぎないのですが)をしているかどうかの関心はあっても、国家規模のエネルギー供給や環境問題にどう影響しているのか?は考えていないのが普通です。

だから、その製品を購入すること自体がどれほどエネルギー消費を増やし、エネルギー供給に対する負荷を高めるのか?あるいは環境負荷を高めるのか?という問題にはなかなか行き着きません。しかし、これらの負荷は非常に大きなもので、数パーセントの省エネ技術以前に、例えば車の生産量を減らした結果得られる燃料使用量の減少や、その生産に必要なエネルギー使用量の減少のほうがはるかに大きいのです。

これらは、消費する自由は絶対という近代思想に導かれた価値観を無意識に受け入れているために起こる現象です。そして、大量生産・大量消費を絶対善とする近代市場はこの思想によって拡大してきました。この価値観の基では、その結果引き起こされたエネルギー供給の逼迫という社会的問題に対して、消費者は『どうする?』という発想すら沸いてきません。

☆☆☆エネルギーの安定供給は、国家⇒新しい社会統合機構の役割

また、安定したエネルギー供給は、もともと市場原理には乗りにくいのですが、人々が生きていくためには必須なものです。だから、そのような需要は、(旧い)社会統合機構たる国家が担うしかありませんでした。その結果、大衆側からの要求(期待)である、消費量に見合ったエネルギーの安定供給の実現という政策は、国家を実質的に動かす官僚に大きな存在意義を与えることになりました。

☆大衆側の、社会的問題に対する無関心も、官僚の暴走を促した

同時に、大衆側の、大量消費の結果引き起こされたエネルギー供給の逼迫という社会的問題に対しての無関心は、官僚機構への監視圧力足りえず、彼らの暴走を許容してしまったという側面も見えてきます。

つまり、

官僚制と試験制の構造的欠陥 [4]

企業集団のような民間集団であれば、競合集団が存在しているため、社会が必要としていないのに、自らの集団の膨張のみを目的とするような馬鹿げた集団は淘汰されるしかない。  しかし集団を超えた国家の次元に位置する「官僚機構」には企業間競争のような同類闘争の競争圧力は働きにくい。そうした集団間競争という圧力を超えたところに位置するという特権性は、官僚機構が自閉化し、腐敗する構造的原因をなしているのだ。つまり超集団=社会を統合する組織が単一の集団である、という点が、「官僚機構」の最大の問題なのである。

 

のように、エネルギーの安定供給という役割は、単一集団を超えた位相にあるため、企業間競争(≒市場原理)のような同類闘争圧力はほとんど働きません。それゆえに、本当に社会で求められるものを供給していくという圧力は、何か他に必要になる、ということになります。

☆近代思想に立脚している限り、官僚も大衆もエネルギー・資源や環境問題を解決する当事者にはなれない

しかし、近代思想に立脚したままでは、大量生産・大量消費を絶対善としてしまうので、エネルギー・資源や環境問題を解決する当事者にはなり得ないということになります。これは、自分たちの権益を拡大するばかりの官僚も、消費の自由だけを要求しエネルギー供給に対する責任を官僚に押し付けるだけの大衆も、その双方とも問題を孕んでいるため、エネルギー・資源や環境問題を解決する当事者足りえないのです。

☆☆☆エネルギーの消費者がエネルギー供給政策の当事者になる

この改革を進めるには、旧い社会統合機構の実態である官僚機構の解体と、それに変わり、自らのエネルギー消費と供給の双方に責任をもつ人々で構成された新しい社会統合機構を作ることが必要になるのではないかと思います。この組織は消費にも責任を持たせることで、環境問題解決のためにどのようなエネルギー消費を考えていくかという課題も担うことになります。

☆エネルギーの消費と供給の一体的計画の中で初めて環境問題は解決する

現在、環境問題は環境省、エネルギー問題は経済産業省(資源エネルギー庁)という2つの組織によって担われています。ここでは、2集団の対立構造の作り出す圧力しか、環境問題の抑止力はありません。かつ、経済産業省のエネルギー供給政策の方は、常に環境破壊のベクトルしか持ちえません。しかし、エネルギーの消費と供給の一体的計画の中で初めて環境問題は解決するというのが事実です。つまり、エネルギーの消費者がエネルギー供給政策の当事者になり、消費にも供給にも責任を持つことが必要なのです。

☆☆☆半専任の人々で組織されたネットワーク集合がエネルギー供給を行う

それでは、エネルギーの消費者がエネルギー供給政策の当事者になる新しい社会統合機構とは、どのような形態が好ましいのでしょうか?

実現論 ト.万人が半専任(副業)として参画する [5]

集団を超えた次元に存在する社会を統合(もちろん変革も)する為には、単独の集団原理とは全く異なる原理の統合組織が必要なんだという事に、未だ誰も気付いていない。しかし、万人が参画できる、社会統合組織の条件は簡単で、二つだけである。社会統合は、全員が担うべき当然の役割=仕事だとすれば、その仕事に対してそれなりの収入が保障されなければならない。しかも誰もが何らかの専業に就いているとしたら、この組織は誰もが副業として担うことができる半事業組織でなければならない。

誰もが何らかの専業に就いているとは、誰もが生産集団に所属していて、そこから宙に浮いた官僚に代表される階層は存在しないということです。そこでは、生産や集団維持のためのエネルギー消費(集団の成員の、生活のための消費も含む)を行っています。これらのエネルギー消費者は、今まで単にエネルギーの安定供給に対して国家に要求するだけでした。その結果、それを官僚に逆手に取られ、

国益よりは省益、省益よりは私益(特別会計による省益の拡大)

無駄事業の量産(公共事業と天下り構造・官僚個人の私益の追求)

特定の専門家集団の暴走(官僚機構の際限のない肥大化)

 
という惨憺たる結果を招いてきました。そこを、逆転するためには、エネルギーの消費者がエネルギー供給政策の当事者になればいいのです。そうすれば、消費者も要求するだけではなく、『自らどのようにエネルギー供給を担っていくのか?』や『社会全体のエネルギー供給はどうあるべきか?』という視点をもって、社会統合のレベルで政策を考える必要に迫られます。そのことは、とりもなおさず自集団のエネルギー消費は社会全体の中でどうあるべきかという視点を持った消費者の誕生にもなります。

これを実現するためのシステムが、副業として担うことができる半事業組織です。そこでは、エネルギー供給政策を担う新しい社会統合機構を設立し、期間限定で専業の生産集団から政策担当者を出向させ、自集団も含めたあらゆる集団へのエネルギー供給政策を担わせることになります。そして、その給料は、仮に所属集団かその一つ上位の階層のグループが負担するということにします。

そうすると、期間限定であること、専業の生産集団(出向中はその給与も負担している)は別に存在することから、国益よりは省益、省益よりは私益に代表される、自閉性は無くなります。そうなると、そこで得られるものは、いかに社会のためになる政策を打ち出し実行してきたかという評価のみになります。当然、その評価を獲得するように、自集団からの期待もかかります。それも、在任期間に成果を出す必要から、公務員のようなサボリの発生しないでしょう。

これは、まだまだ荒削りのイメージですが、基本骨格はこれでいけるのではないかと思っています。これを例えるならば、現代の参勤交代制ということになるかもしれません。

おわり

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