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豊かさ期待とは何か?1 プロローグ~環境破壊の元凶たる過剰消費はなぜ生まれたのか?

 現代、我々は非常に便利な世界に住んでいます。ある程度のお金があれば、効率的で、衛生的で、快適な生活が約束されています。常に空調が効いていて、24h買い物が出来て、下水道が完備されています。当たり前のように暮らしていますが、莫大なエネルギーを消費し、海外から多くのものを輸入し(途上国を搾取し)、必要以上の資源を食いつぶし、地球環境を悪い方向へ向けているのは確かでしょう。
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NAVER [1] さんよりお借りしました
 なぜ、このような世界になったのでしょうか?なぜそのような選択を我々は選んだのでしょうか?今回のシリーズは現代社会を導いた社会の意志について考えてみようと思います。
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 現代の過剰消費とも言える社会は、上から押し付けられたものではありません。我々が、我々の親達が求めて作り出したと言えます。それを、るいネットでは「豊かさ期待」と呼んでいます。
るいネット [2]  より

9/23なんでや劇場 (1)~大衆と特権階級を繋いでいた、豊かさ期待という社会意志
本日のテーマは「豊かさ期待は、どのような段階を経て消えていったのか?その段階ごとに、どのような新しい潮流が生起してきたのか?」。
(中略)
戦後の大衆運動や学生運動を担った者たちの動機は、潜在意識では私権追求であるが、顕在意識では「大衆のため」というのがその動機であった。つまり、潜在意識では豊かさ期待の実現という社会的な期待に応えるという大義名分を以って闘っていたのである。豊かさ期待は社会の意志(ベクトル)であり、この中に大衆も特権階級も包摂されていた。その点では大衆も特権階級も一体であり、だからこそ両者は繋がっていたのである。この見方は、’70年豊かさが実現され、豊かさ期待が衰弱すると同時に大衆運動が衰弱したという流れとも合致している。
また、豊かさ期待は時代を貫く社会意志なので特権階級にも真正面からこれに応えるという姿勢が要求された。その代表が田中角栄であり、それを引き継いだのが小沢一郎である。逆に言うと、豊かさ期待がなくなると、それを良いことに好き放題やる連中が登場する。例えば、小泉~仙石といった連中だが、豊かさ期待があった時代はあのような輩が登場する可能性は全くなかったのである。

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当ブログ [3]  から
 日本においては70年頃(大阪万博の頃)までは、特権階級も大衆も豊かさを追求するというベクトルは完全に一致していました。反権力の大衆運動も盛んでしたが、潜在意識では同じ「豊かさ追求」という目的で社会は統合されていました。みんな、豊かになることに邁進(収束)していたのです。ある意味、幸せな時代だったと思います。実際、万博の頃の日本は未来に向けて輝いていました。当時の大人たちに政治の無関心などありえませんでした。
日本の最終エネルギー消費とGDPの推移
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資源エネルギー庁パンフレット [4]
 そうして、今の便利で快適な生活を手に入れました。
上のグラフは日本の最終エネルギー消費を表すグラフです。豊かになったはずの70年代からさらに民生部門エネルギー消費は2倍以上になっています。
 しかし、そのことに対する反省も意識の中で芽生えていると思われます。現在の環境に対する意識の高まりはその一部とも言えるでしょう。しかし、その観念の部分はほとんど歪んでおり、有効な運動とはなっていません。今後、大衆と特権階級はどのように動いてゆくのでしょうか?
同じくるいネットより

ここで、次のような仮説が生まれる。
現在は特権階級が暴走して社会をグチャグチャにしている。それに対する大衆的活動は、豊かさ期待に代わる新たな社会的期待(意志)が生起してはじめて登場するのではないか?

 それを考える上で、「豊かさ期待」とは、そもそもどうやって生まれたのか、歴史を遡って見て見ましょう。
 今後の予定
豊かさ期待とは何か?1  プロローグ~環境破壊の元凶たる過剰消費はなぜ生まれたのか?
豊かさ期待とは何か?2  私権意識はどうやって成立したか?
豊かさ期待とは何か?3  特権階級はどうやって生まれたか?
豊かさ期待とは何か?4  私権意識はなぜ消えたのか?
豊かさ期待とは何か?5  新たな期待とは何か?
豊かさ期待とは何か?6  そして特権階級は消滅する

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