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GHQが生み出した「サラダ記念日」

リサイクルの本質を考える(9)~汚泥のゆくえ~ [1]
>江戸時代などは糞尿の再利用がなされていた
>では、その汚泥がなぜ再利用しにくくなったのか?

なぜ再利用しにくくなったのでしょうか?

その答えは「ウンコに学ぼう♪~衛生・清潔とは何か?~」 [2]にあります。

>そもそも日本では、戦後、生野菜をサラダでGHQの寄生虫撲滅作戦により、下肥を使わない農法がとられ、徐々に下肥文化は衰退していきました。

改めて、それをここで整理してみましょう。
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汚泥の元は下水処理場に流れ込む人糞。下水処理場が出来る前は、肥溜めに集められ、肥料として使用されていた。
その肥溜めによる下肥(人糞を腐熟させたもの)再利用を禁止したのは、第二次世界大戦時の 連合国総司令部GHQなのです。
これにより、人糞は 肥料の元という価値あるものから、 有害なゴミとして処分されるようになってしまったのです。

なぜGHQは人糞再利用を禁止したのでしょうか?

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なぜGHQは人糞再利用を禁止したのでしょうか?

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実は、アメリカでは野菜を食するといえば サラダ=生野菜でした。アメリカでは肉食中心で、野菜は付け合せ、口直し的な位置づけで、手軽さもあって生野菜を食していました。

第二次世界大戦時、進駐軍として日本に乗り込んだアメリカ人は食料を本国から持ってきていましたが、野菜だけは現地である日本から調達しようとしていました。
ところが日本では、その 野菜は下肥をぶちまけた畑から調達することになり、アメリカ人は必然的に腹を下し、病気になったらしい。
このためGHQが日本に 下肥の再利用を禁止し、 農薬と化学肥料、堆肥使用を徹底させたのです。
そうして栽培された野菜は「清浄野菜」と名付けられ、高級食材として売り出されるまでになったのです。

確かにそれまで日本では生野菜を食べるという習慣はほとんどありませんでした。瓜やスイカを果物として、ネギを薬味として食べる程度だったらしい。(ウィキペディア参照 [3]
そしてアメリカ食文化の浸透のおかげで、今では生野菜をふんだんに食べるのは世界でアメリカと日本と言われるようになったのです。

元々日本人は農耕民族であり、野菜や穀物が主食です。
なぜ、生野菜を食べなかったのでしょうか?

野菜は

①元々野菜にはあくがあり、苦味や辛さもきつく食べにくい。
②野菜の細胞壁は硬く人の消化酵素では消化できない=ビタミン等の栄養素を吸収できない。
③野菜には、虫や菌がついている。Ex回虫、ギョウチュウ。

したがって日本人はほとんど生野菜を食べなかったのです。
そのままでは食べられないものを食べられるように、煮たり焼いたりアク抜きしたり漬物にしたり、工夫して食べていました。 ←ここ重要
その調理法や味付けが日本の食文化を形成していったのです。
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熱処理するので、田畑の肥料として下肥を使っても抵抗がなかったのです。(もっとも実際には日本人の体内にはギョウチュウや回虫が高い比率でいたのですが・・・)

温野菜では、過熱する調理方法によっては栄養となる成分が壊れてしまったり、または流れ出てしまったりします。このような調理で失われる栄養素で顕著なのがビタミンCやビタミンB1といったビタミン類であるとされています。
その一方で無機塩や微量元素などのミネラル類は熱によっては損なわれ難い。茹でると若干流出するとされるものの、それにも増して温野菜は食べ易く、大量に食べる事ができる事から、問題視する必要はないとも言えるのです。

一方でサラダとして生野菜を食していたアメリカの食文化はどうなのでしょうか?
ブロッコリーも生で食べるらしい?アメリカ人ですが、一般にはサラダは、食べられる種類の野菜の、食べられる部分だけを食するのです。
つまり生で食べられないもの、食べられなくなったものは、全てゴミになるのです。
さらにサラダといえばキャベツやレタスやトマト、きゅうりなどですが、これら特定の種類の野菜を一年中食べられることを志向していきます。これにより農薬や化学肥料、水耕栽培など農業が自然から逸脱していくのです。

そう考えると、日本は、季節の野菜(=自然の中で創られるもの)をできるだけ食するようにすることを追求することで、様々な野菜を食材として生かしていったとも言えます。(ex.大根の葉も食材になる)

使えないもの、使わないものを増やすことがゴミの増大につながるのです。
リサイクル以前に、使い切るスタンスが重要で、これこそ自然に対する畏敬の念なのです。


アメリカが導入してきた食文化は、「サラダ記念日」という作品と同時に「ゴミの増大」をもたらしたのです。

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