法律とゴミの中身の変遷を見ていくと、始まりは伝染病を予防するための事業の一環で、発生するゴミの種類・中身に対応する形で法整備が進んでいったことがわかります。
で、よくよく見てみると、実は「リサイクル」なんて、高度成長期までは、普通にある程度実現されていたということもわかります。
大量生産大量消費による増加で回収しきれなくなったゴミ、回収がコスト的に合理的でなくなったゴミについて、その処理を制度化し、正当化する法律が、現在の「廃棄物処理法」であるとも言えるのかもしれません。
次回は、現状のゴミの実態について、具体的に掘り下げて考えていくことにします。リサイクルの本質を考える(7)~廃棄物問題の歴史(明治・大正・昭和)~ [1]より
ということで、今回は現状のゴミの実態について基本的なところからレポートします。
ゴミは一般廃棄物と産業廃棄物に分類されます。
正確な定義はこちら [2]を参照していただくとして、一般廃棄物は家庭や事業所からでる日常的なゴミで、産業廃棄物は、建設工事や工場など、事業活動の中で生じるゴミです。
一般廃棄物のゴミ総排出量は平成18年で約4900万トンで、産業廃棄物が約4億1800万トン。産業廃棄物の方が一桁多いんですね。

<一般廃棄物と産業廃棄物の推移>画像はこちら [3]からお借りしました。
■■■一般廃棄物
一般廃棄物は生活系
と事業系
に分けられ、その比率は生活系 が約7割弱、事業系 が約3割強となります。意外や意外
。事業系の方が多いと思いきや、家庭から出るゴミの方が多いんですね。

過去からの推移をみてみます。

画像は理科年表オフィシャルサイト [4]からお借りしました。

過去からの排出量の推移をみると、80年代のバブルを境に増大していきます。70年に貧困がなくなり、高度成長を終えた市場は放っておけば縮小or横ばいとなるはずですが、市場を無理矢理拡大させる為に国家は借金をしてまでして金を市場に投入してきました。しかし必要なモノは既に出揃っている為そのままでは売れません。だから買い替えを促進したり、目先の流行を創りだす事で消費を生み出す購買意欲を煽ってきました。
つまり、市場縮小に歯止めをかけるためには大量生産・大量消費を人工的に加速させる必要があり、その為にはまだ使えるものでもゴミにする必要があった。その結果がゴミの増大につなっがっているように思われます。そして、その流れに遅れてリサイクル運動が生まれてきますが、それは無理矢理ゴミをだす事に対する正当化だったように思われます。
また、この時代は人口推移以上に世帯数は増えており、核家族から個的生活への変化も後押ししています。集団の解体によるゴミの増大という視点ですね。
70年以前の推移はデーターが見つかり次第また分析してみたいと思います。
では、その一般廃棄物の最終処分量とリサイクルは現状どうなっているかというと・・

<一般廃棄物の最終処分量の推移>


<一般廃棄物のリサイクルの推移>


<地域別のリサイクル率>

環境省 [5]より

一般廃棄物の最終処分量は近年減少傾向で、それはリサイクル率の増加が一因となっているのも事実のようです。リサイクル率を地域別でみると、人口10万人以下の田舎ほど高く(トップは鹿児島県大崎町で80%)、人口50万人以上の都心部にいくほどリサイクル率は下がります。(都心部トップの八王子市でも32%)。また1人1日あたりのゴミ排出量も同様で、田舎ほど少なく都会ほど多くなります。実感とも合いますね。

以上のデータから伺えるのは、ゴミの量やリサイクルというのは集団様式や生産・消費のあり方により規定されるということ。集団基盤が整っている田舎ほど地域共認が図りやすく、その結果、生産⇔消費→廃棄物を地域の課題として共認し、互いに期待圧力を掛け合える関係が結果的にゴミの減少に繋がる。市場での取引関係とは違った関係世界が実現基盤となっているように思われます。

対して市場化、都市化するほどにその基盤は失うこととなり、圧力のかからない消費者という存在を生み出してしまう。また貧困消滅以降は、廃棄する事で無理矢理需要を生み出し市場を維持している為、市場化した都心部ほどゴミは必然的に加速します。都心部でのリサイクルはその正当化となっており、日本古来から存在するリサイクルとは根本的に構造が異なっているのでしょう。リサイクルの是非を問うときに、この共認原理、集団原理によるリサイクルか、それとも市場原理によるリサイクルかという構造的違いを押さえておく必要があると思います。都心部でいかに集団原理を再生させる事ができるか。これが1つの鍵ではないでしょうか。

次回は産業廃棄物の現状と、産業廃棄物の中でも多くの割合を占める汚泥についてレポートします。 