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磁力の発見の歴史(近代)⑤~イギリスの最初期の機械論~

磁力の発見の歴史(近代)④~フランシス・ベーコンの経験主義~ [1]では

デカルト主義がイギリスに輸入される過程でベーコン主義の影響を受けて特徴的な変化を顕著に体現しているのが、イギリスの最初期の機械論者ヘンリー・モア・パワーとその師であるトマス・ブラウンとなる。

と書きました。

 

今回はこの2人に入っていきます。

 

〇トマス・ブラウン(1605-1682)

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ブラウンはオックスフォードと大陸で教育を受けた医者で、物理学者史では「電気electric-ity」という言葉をはじめて使用した人物としてのみ記憶されている。ブラウンが1642年に書いた『医者の信仰』では、魔術も自然科学もただのその知識の由来(入手の経路)が異なるだけで、自然の秘密に迫ろうとするものであることは変わりはないという考え方であり、中世的な怪異や驚異を鼻から否定することはない。他方で、ベーコン主義者として実験の重要性を声高く形語り、権威への盲従を厳しく戒めている。古くはロジャー・ベーコンにはじまり、デッラ・ポルタとギルバードによって進められた磁石にまつわる俗伝検証と迷信の掃討作業が、ブラウンによってほぼ完成され、『謬見』の第二巻大三章に記されている。『謬見』でブラウンの語り口からは、魔術であろうが民間伝承であろうがデカルト理論であろうが、すべて実験のふるいにかければおのずと真意が判別されるはずであるという強い確信が見える。このように、観念的なデカルト自然学が、イギリスではベーコンの実験科学の土壌に移植された。

 

 

〇ヘンリー・モア・パワー(1623-1668)

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ヘンリー・モア・パワーは、イギリスでデカルト機械論をいちはやく受容し、その立場からはじめて磁力について語った。ヘンリー・モア・パワーもブラウンと同様、医学を開業した科学愛好家であり、「ボイルの法則」の発見者の一人に数える歴史家もいる。彼は、イギリスにおける顕微鏡を用いた自然観察の先駆者であり、1644年に『自然哲学』を発表している。この『自然哲学』では、一方で物質を構成している「微小粒子」という意味での原子を認め、他方ではデカルトにならって「真空」を認めていない。パワーによれば、空気は充満した「エーテル」とその中にただよう「原子」からなり、「真空」を「非哲学的であるだけでなく、極めて滑稽である。」と斥けている。

 

パワーはデカルト機械論にいくつかの変更点を加えており、デカルトは物質は不活性で受動的で、その呈する運動はすべて初めの神の一撃に由来すると考えられていたが、パワーは物質の活動性の原質が特殊な存在物として自然それ自体のなかにあまねく行き渡っていると主張することで、デカルト主義とは本来的に異質な要素を導入した。この発想はボイルにも継承され、ひいては機械論哲学におさまらない「能動的原理」のニュートンによる導入がイギリスでは比較的抵抗なく受け入れられる下地を形成した。

 

パワーをデカルトと決定的に区別しているのは、原子の存在であれなんであれ自然学の一切の理論は観測技術の進歩によってやがては実験的に検証し得るようになるであろうし、また検証されなければならないという確信であり信念である。したがって、パワーにあっては、方法上の原理としての「実験哲学」が仮設としての「機械論哲学」の上位に置かれている。

 

【参考】山本義隆著 「磁力と重力の発見」~3.近代の始まり~

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