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磁力の発見の歴史~古代ギリシャ・ヘレニズム・ローマ帝国編~

今当たり前となっている「近代科学(西洋の科学)」は、キリスト教が唯一の勝者となった後のもの。したがって、「キリスト教」≒「物理学」、「教会」≒「学会」、「聖職者」≒「科学者」と置き換えると、ほぼそのまま中世の科学史にも通用してしまいます。

しかし、キリスト教が唯一の勝者となる以前(自然に対して宗教的自然観や魔術的自然観といった多様な見方が共存・競合していた時代)から、力の概念はどのように変遷してきたのかを山本義隆著:「磁力と重力の発見」で展開してくれているので紹介します。

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ここで注目すべきは、重力という概念が近代(1600年代)に誕生したものであるのに対して、磁力は紀元前600年代から意識されていたということ。そこで、磁力の発見の歴史を今後シリーズで展開していくこととします。

 

〇磁気学のはじまり~古代ギリシャ~

<タレス>

磁石について最初に言及したのは、古代ギリシャで商業と海運で栄えたイオニアの港町ミレトスのタレス(紀元前624-546)と云われている。タレスは霊魂の働きを説明するために磁力を持ちだしており、磁力そのものを説明している訳でも、磁力の発見を語っているものでもない。つまり、当時すでに磁石の存在や作用自体はかなり知られていたことを示唆している。

 

<ミレトスのアナクシメネス(紀元前6世紀)>

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「始原物質」として宇宙をみたす「空気」を措き、物質の変化は希薄化と濃密化によるものと考えた。どの物質も生命の維持に欠かせないことが経験的に知られていたため、霊魂を有する生命的存在として認識されており、この時代は宇宙全体が生きていた。そして、磁力は、無生物を含む自然の事物の有す生命の端的なしるしであった。

→ミレトスの哲学者たちは感覚的に捉えられる世界をあるがままに受け入れた。

 

<イタリア半島南部エレアのパルメニデス(紀元前5世紀)>

理性だけが信じることのできるもので、感覚は人を欺くと考えた。これにより純粋思惟が感覚的認識の上位に置けれ、認識における合意論が経験値に対置された。パルメニデスは、変化や運動は「有らぬもの」の存在を前提とするため不可能であり、生成や消滅、質的変化は見せかけに過ぎないと論じた。

→その後の哲学にとって、パルメニデスの「変化の否定」にどう答えるかが課題となる。

<シチリアのエンペドクレス(紀元前495-435)>

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「四元素説(土・水・空気・火の4元素を万物の根として考える)」を提唱。「比率」という見方を導入し、現代風でいうならば、相互の「引力と斥力」により「定比例の法則」に則って結合と分離を繰り返す諸元素。

→この四元素理論は、西欧の物質思想に長期にわたり影響を及ぼし続けることとなる。

磁力理論として「磁石は鉄の両方から生じる流出物と、鉄からの流出物に対応する磁石の通孔とによって、鉄が磁石の方向へ運ばれる。」と説明し、磁力に対するミクロ機械論に基づく説明の最初のもの。尚、エンペドクレスは磁石に限らず全ての感覚について「個別の感覚の通孔に対して(何かが)適合することによって感覚が成立する。」と説明している。

→この時代には、物理的なものと生理的なものの間に区別がなかった。

<ミレトスのレウキッポス(紀元前480年頃-?)>

<トラキアのデモクリトス(紀元前460年頃-370年頃)>

「原子論(原子は数多くの種類を持つが、全ての原資は同一物質から成るとの考え)」を唱える。

→磁石も鉄も類似した原子から構成されているが、磁石を構成する原子の方がより微細であり、磁石は内部がより希薄で空虚を多く含んでいる。したがって、磁石の原子は運動が容易であることから鉄の方向へと動かされ、鉄の通孔へと入り込み、その諸物体を通り抜けてゆきながらその諸物体を動かす。と説明した。

 

→パルメニデスの「変化の否定」に答えるために、「磁力は、霊的ないし生命的な力あるいは神意や魔力としてそれ以上踏み込んだ説明を拒否するものでは決してなく、無機的な自然についての一般的な原理に基づいて理解されるべきものである。」という立場を明確にした。それらは、「始原物質」というイオニアの哲学者たちが生み出した自然思想の最高の到達地点と云える。

 

しかし、その後、ソクラテスの登場と共にギリシャ哲学の関心は自然から人倫に移り行き、自然哲学の衰退をむかえることとなる。

 

<プラトン(紀元前427-347年)>

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アテナイに創設した学園アカデミアが900年に亘って存続し、数多くの著作が残されているが、磁石について触れているのは2箇所のみ。遠隔的に作用するように見える磁力を目に見えない物質の近接作用に還元した。

 

<アリストテレス(紀元前384-332年)

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プラトンの主催する学園アカデミアで20年間学び、学園リュケイオンを開き、一つの学派を形成し、独自の壮大な哲学体系を構築する。しかし、磁力についてはプラトンよりも更に無関心で、意図的に触れなかったともとれる。

 

古代ギリシャは、遠隔的に作用するように見える磁力を原子論やプラトンのように目に見えない物質の近接作用に還元するか、タレスのように霊的で生命的な働きと見るかという、2通りの路線で磁力を説明するという思想を生み出し、その意味で「力の発見」の第一歩を踏み出したともいえる。

 

【ヘレニズムの時代】

ヘレニズム諸国家のうちで、強固な中央集権を実現したプトレマイオス王朝は、組織的な科学研究を推進した最初の国家として知られる。プトレマイオス1世(在位:紀元前285-246年)はアレクサンドリアに学術研究機関ムセイオンを創設し、約100人の研究者を集め、国家に庇護された研究が始まった。その中から、地理学者エラトステネス、天文学者アリスタルコス、数学者エウクレイデス、アプロニウス、ヒッパルコス、アルキメデスを輩出する。しかし、磁石と磁力に関しては特に新しい知見や視点は得られていない。

<アルキメデス>

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古代ギリシャの磁力に対する2通りの見方

1.機械論ないし原子論にもとづく要素還元主義

2.物活論と称される有機体的全体論

のそれぞれの内容をより明確にするとともに、対立も浮き彫りにされていった。一方で、「磁力を説明する」という試みはもとより、「磁石に対する科学的な観察」でさえも、ヨーロッパではほぼ千年間見失われていくこととなる。しかし、それは磁石についての関心が薄れたわけでなく、磁力とその不思議は変わらず人の関心を惹き続け語り継がれており、磁石は近代物理学のもつ関心とは異なる観点から注目され続けた。

 

【ローマ帝国の時代】

「科学史」という観点からは、ギリシャの哲学と科学を特徴づけた論理性や合理性が失われたことは否めないが、磁石と磁力については、ギリシャの文献に書き残されたものとは明らかに異なる言説が残されている。

<ディオスコリデスの「薬物誌」>

大部分が薬物についてだが、鉱物についても百種が記されている。ギリシャでは磁力をいかに「説明」するかが問われたが、ここでは磁力がどのように作用するか、磁石が何の役に立つかだけが問われている。(磁石に薬用効果があることは、古くはアッシリアや古代エジプトで語られていたと云われる。)

<プリニウスの「博物誌」>

最も注目すべきことは、磁石を数種類に分類しただけでなく、磁石同士の間に引力が働くことをはじめて語ったことにある。(それまでの議論は、磁石と鉄の間の引力としか捉えられていなかった。)

「共感=自然との調和」と「反感=自然の嫌悪」という二分法が「博物誌」の全篇を通して、自然現象の分節化と体系的把握への軸となっている。(磁石と鉄の間には「共感」がある。)但し、「共感と反感」が近代物理学における「引力と斥力」という限定された力学的な意味に対応している訳ではない。

 

<クラウディアヌスの詩:「磁石」、アイリアノスの「動物誌」>

キリスト教化される以前のローマにおいて、磁石をめぐる言説がそれぞれに書かれており、ローマにおける磁石と磁力の受け止め方を知れる。第一は、磁石について古代エジプト以来の民間伝承がストレートに伝えられていること。第二に、磁力は超自然的な力=「魔力」と見られていたということ。ひとたび磁力を「魔力」と云ってしまえば、それ以上の説明不可能・還元不可能な作用ということであり、ここ磁力を「説明」するというギリシャ哲学において顕著に見られた姿勢が完全に見失われることとなる。

 

紀元前2世紀、ギリシャがローマに征服される前の半世紀の間に、占星術として「ある種の動物、植物、宝石の中に秘密の性質ないし力が内在しているという教説」が広まったことが知られている。この傾向はローマ社会では更に強められ、社会のより上層(知識人・教養人含めて)に浸透していった。

 

ローマ社会では、哲学や科学の衰退とともに、オリエント世界と融合(とりわけエジプト文明と接する)して、磁石をめぐる魔術的な伝承が知識階級にまで共有されるに至った。

 

こうして、以下の通り、ローマ社会において、その後のキリスト教中世における磁石と磁力に対する姿勢、ひいては自然力一般の理解の原型がほぼ全て完成されることとなる。

 

このローマの自然観=「共感と反感」のネットワークという自然把握は、その後のルネサンスに至るまでヨーロッパ中世に大きな影響を及ぼすこととなる。

 

【参考】山本義隆著 「磁力と重力の発見」~1.古代・中世~

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