現在までの進化論は、ダーウィン自身の「自然淘汰」と、後世に導入された「突然変異」を二本柱であるが、その進化論が大きく塗替えられようとしている。
『新・進化論が変わる――ゲノム時代にダーウィン進化論は生き残るか』(中原英臣・佐川峻著、ブルーバックス・講談社)という本に驚くべきことが書かれている。進化の主役はウイルスで、ウイルスが種の壁を越えて遺伝子を運び、生物を進化させてきたというのだ。ゲノム時代を迎え、この大胆な「ウイルス進化説」は、進化論の正統派・ダーウィン進化論を真正面から批判した今西錦司の今西進化論を科学的に証明・補強するものとして注目されている。
『ウイルスが遺伝子を運び、生物を進化させたという仮説』 [1]より
真核生物とは、生物にとって最も重要な遺伝子の本体であるDNAを格納する細胞核をもつ生物で、この真核生物が誕生したことで、現在のような生物の発展が可能となった。その真核生物の誕生と進化に、ウイルスが関与してきたのです。
『巨大ウイルスが生物進化に深く関わっていた!? 研究最前線レポート』 [2]より引用します。
存在そのものが謎
2017年4月、『生物はウイルスが進化させた [3]』(講談社ブルーバックス)を上梓した。副題に「巨大ウイルスが語る新たな生命像」とあるように、この本はウイルス一般ではなく、ウイルスの中でも特に最近研究が盛んに行われるようになった「巨大ウイルス」に焦点を絞った本だ。
巨大ウイルスは2003年に初めて発見されて以降、続々と新たなタイプが見出されており、かくいう私も、2015年に東アジアでは初となる巨大ウイルス「トーキョーウイルス」の分離に成功している。
巨大ウイルスは確かに「巨大」なのだが、それはあくまでも「それまでのウイルスにとって巨大」なだけであって、われわれ生物からしたら相変わらず「微小」である。
では、ウイルスにとってはどれだけ巨大なのか。私たち人間の立場にたとえれば、『進撃の巨人』に登場する3〜4メートル級の巨人に相当するサイズ感であって、超大型巨人のごとくではとうていない。
とはいえ、たとえ4メートル級であるとはいえ、そんな巨人がもし、ほんとうに私たちの日常生活に登場したらとてつもないインパクトだ。巨大ウイルスの場合も、その発見には相当なインパクトがあった(とはいえ、それはウイルスたちにとってではなく、私たち研究者にとってだが)。
粒子のサイズも大きければ、ゲノムサイズもでかい。そして保有している遺伝子の種類も多く、場合によっては以前のウイルスには存在すら許されなかった、いくつかの翻訳用遺伝子も備わっていた。
翻訳用遺伝子とは、タンパク質を合成するために必要な遺伝子で、通常のウイルスはこのタンパク質合成を、感染先の生物に依存している。
そのような事情から、ウイルスは生物とは見なされず、われわれ生物とは一線を画す存在でありつづけてきたのだが、翻訳用遺伝子をもつウイルスがいるとなると、話が変わってくる可能性がある。
なぜそんなウイルスがいるのか──。
私たちはまだ、その理由を理解するところまで到達していない。
巨大ウイルスは、その存在そのものが謎なのだ。
史上最も生物に近いウイルス!?
さて本書では、巨大ウイルスの進化の過程におけるきわめて興味深い事例として、「アミノアシルtRNA合成酵素」遺伝子に関する話を展開した。この遺伝子もまた、タンパク質の合成に必須であり、それまでのウイルスはもっていなかったものだ。
ところが、2003年に発見されたミミウイルスで4種類、2011年に発見されたメガウイルスで7種類のアミノアシルtRNA合成酵素が見つかった。
本書ではそれがどれだけ巨大ウイルスの概念形成に重要であったかを縷々解説したのが、驚くべきことに、本書の原稿が完成し、すでに刊行を待つばかりとなっていた4月の上旬、アメリカの研究グループによる刺激的な論文が科学誌『サイエンス』に掲載されたことで、本書の内容は刊行早々、ちょっとばかり古びることになってしまった。
驚くべきことに、そのゲノムサイズは、現時点で最大を誇るパンドラウイルスのそれ(248万塩基対)には届かぬものの、ミミウイルス(118万塩基対)を大きく上回る157万塩基対もあることが推定された。
生物がタンパク質をつくるために使用するアミノ酸は20種類しかない。これはすなわち、あと1種類あれば、生物のタンパク質を構成する全20種類のアミノ酸に対応できる体制が整うということだ。
この論文では、クロスニューウイルスとともに、よく似た3種類のウイルス、「カトウイルス(Catovirus)」、「ホコウイルス(Hokovirus)」、「インディウイルス(Indivirus)」の存在も明らかにされ、それらもまた、多くのアミノアシルtRNA合成酵素遺伝子を持っていた。
さらには、クロスニューウイルスが唯一もっていなかった最後の1種類のアミノアシルtRNA合成酵素遺伝子を、カトウイルスがきちんともっていることもわかったのだ。
すなわち、この新しい巨大ウイルスの一群全体で見ると、生物のタンパク質を構成する20種類のアミノ酸に対応できる体制が、きっちりと整っていたのである!
なんということだろう。
巨大ウイルスは、生物が使う20種類のアミノ酸に対応できるアミノアシルtRNA合成酵素遺伝子を、すでに手に入れていたのだ。
しかもそれだけでなく、クロスニューウイルスは25種類ものtRNA遺伝子と、20種類以上もの翻訳関連遺伝子(翻訳開始因子、翻訳伸長因子、翻訳終結因子など)も備えていた。
これだけ多くの翻訳関連遺伝子は、ミミウイルスにもパンドラウイルスにも見られておらず、クロスニューウイルスは、現時点で史上最も生物に近いウイルスであるといえるかもしれない。
生物の進化にウイルスは欠かせなかった?
巨大ウイルスの可能性がさらに広がったことに、私はかつてないほどの興奮を味わった。それは、まさに常識外れの巨大さを誇るパンドラウイルス発見の報に触れたとき以上のものだった。
正直にいえば、この大発見が、アメーバなどの宿主を使って環境からウイルスを分離し、培養したうえでその構造やゲノムを解明するという培養系の手法ではなく、メタゲノミクスの手法により成し遂げられたという事実は、メタゲノミクスの有用性に否応なく納得させられたというだけでなく、培養系の研究者である私にとって少なからずショックなものだった。
それと同時に、もうひと月『生物はウイルスが進化させた [4]』の刊行が遅ければ、もしくはあと1ヵ月この論文が出るのが早ければ、本書の中にこの驚くべき大発見の顛末が紹介できたろうにと、いささか悔しくもあった。
(ちなみに、もう1ヵ月本書の刊行が遅ければ、2017年にブルーバックス通巻2017号を達成するという淡い目標も成就できたはずだったのだが、そんなささやかな目標は、この大発見の影に隠れ、すっかり雲散霧消してしまったのであった。)
本書のタイトルには、ある含みがもたされている。
もちろん、ウイルス「だけ」が生物を進化させてきたわけでは決してない。生物が生物として存在し、これほど多様な発展を遂げてきたしくみのごく一部に、ウイルスによる作用があったというだけなので、大袈裟といえば大袈裟なタイトルだ。
しかしながら、その「ごく一部」の中にとてつもなく大きな意味が隠れていると、私は考えている。
それこそが「真核生物の誕生・進化」という一大イベントである。
真核生物とは、生物にとって最も重要な遺伝子の本体であるDNAを格納する細胞核をもつ生物で、この真核生物が誕生したことで、現在のような生物の発展が可能となった。その真核生物の誕生と進化に、ウイルスが関与してきたのである。
深まる謎
本書でいわんとしていることの中で、最も重要な主張は二つある。
前者は、あくまでも「目線」の問題であって、ウイルス(ヴァイロセル)の目線に立てばそのように見えるが、細胞の目線に立てばまた違った現実が見える。
しかし後者は、続々と積み上げられつつある巨大ウイルスに関するいくつかの研究が、そうであったことを示唆するデータを出し続けている。
はたして『サイエンス』誌に発表された新たな巨大ウイルス「クロスニューウイルス」の存在は、これらの主張にどのような影響を与えるのだろう。
論文の著者たちがいうように、クロスニューウイルスがもつ19種類ものアミノアシルtRNA合成酵素遺伝子は、その祖先がかつては独立した細胞であって、現存する三つのドメイン(バクテリア、アーキア、真核生物)に加え、「第4のドメイン」を形成していた可能性を示唆しているのかもしれない。
(ドメインとは「超界」を意味し、生物の世界を最も大きく三つに分類する分類群である。第4のドメインについては、前著『巨大ウイルスと第4のドメイン [5]』〈講談社ブルーバックス〉を参照されたい。)
してみると、クロスニューウイルスが、タンパク質を合成する「翻訳システム」に関する多くの翻訳関連遺伝子をもっているということは、彼らは比較的最近、生物から巨大ウイルスへと進化したということなのだろうか。
論文の著者により構築されたアミノアシルtRNA合成酵素遺伝子の分子系統樹は、クロスニューウイルスの“根”が、真核生物の中の深いところにあることを示唆している。
ということは、比較的最近とはいっても、それは約19億年前に真核生物が誕生した直後か、または真核生物の長い進化の中でも比較的初期の段階だったのか。
そして、そもそもクロスニューウイルスの祖先は「真核生物だった」のか、それともやはり第4のドメインに分類すべき、すでにこの世に存在しない生物だったのか—。
~・後略・~