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『科学はどこで道を誤ったのか?』(5)ルネサンス(14~16c)~自然魔術による自然支配観念の萌芽と、「科学」「技術」統合への流れ

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1434年にフィレンツェの実権を握った「コジモ・デ・メディチ」(1389~1464年、左写真)は、メディチ家の始祖で、ルネサンス初期の重要なパトロン。フィチーノやピコに古代魔術の書「ヘルメス文書」の翻訳を命じた。

福島原発事故によって、“原子力”を生み出した科学技術が万能ではないことや、人間が自然の力をコントロールすることなど到底不可能であることが誰の目にも明らかになりました。
こうした「科学技術万能観」がどのようにして形成されてきたのか?を追求するシリーズ第5回目は、山本義隆氏の著作である「磁力と重力の発見」 [1]及び「一六世紀文化革命」 [2]を元に、ルネサンス期に焦点を当て、その萌芽を探ってみたいと思います。
ルネサンス(仏: Renaissance 直訳すると「再生」)とは、一義的には、14世紀 – 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命あるいは運動を指す。また、これらが興った時代(14世紀 – 16世紀)を指すこともある。(Wikipedia [3] より)
と一般的に定義されるルネサンスですが、その背景には、十字軍遠征(イスラムからの掠奪)による富の蓄積、その結果として商人(金貸し)によるベネチアやフィレンツェなどの都市国家の形成、そして、恋愛観念の蔓延があります。

ポイントは2点です。
1.自然魔術による自然支配観念の萌芽
2.「科学(学問)」と「技術」の統合への流れ



◆ ◆ ◆1.自然魔術による自然支配観念の萌芽
古典古代の文化を復興しようとする流れの中で、中世キリスト教社会においては異端として抑圧され地上からは放逐されていた“魔術”が、15世紀になって公然と地表に出現しました。「磁力と重力の発見 第10章 古代の発見と前期ルネサンスの魔術」より引用します。

中世後期からルネサンスにかけてヨーロッパでは、ギリシャ・ローマの古典古代は近代より優れており、さらに遡って大洪水以前の預言者たちは神により近いいっそう優れた人間であり、神から授かった真理をわがものとしていたと本気で信じられていたという事情があった。

こうした意識の中で、一方では古代ギリシャ・ローマ時代の古典研究、古代文書の発掘を中心とした人文主義活動がはじまり、また一方では、神学・哲学・占星術・錬金術・魔術におよぶ古代文書である「ヘルメス文書」の翻訳がなされました。このヘルメス主義の中心的な思想とは・・・

全宇宙は神の加護のもとにあり、生命を有し、力に満ちた単一の有機体(生き物)で、人間もまた神に準ずる有機体として天界の力を受けていきているのであり、知識と技術をもって事物に働きかけるのである。そしてこのような有機体的世界像を背景にもつ基本思想は、選ばれし探求者にはその宇宙の神秘が解き明かされ、その力を自在に操ることが可能になるという所論にあった。それゆえルネサンスの時代には、選ばれし者にのみ古代からひそかに伝えられてきたその知識を探りあて、その技術を習得すれば、古代の賢者に近づき、卓越した能力を身につけることでできると信じられていたのである。『ヘルメス文書』にいわく
人間は神的な生き物であって、他の地上の生き物などに比べられるべきではなく、上なる方、天に住み、神々と呼ばれる者にこそ比べられるべきである。あるいは敢えて真理を語らざるをえないとすれば、真の意味での人間は神々より上ですらありうる。いや、力の点では両者はすくなくとも対等である。
叡智は神と人間にだけ与えられているがゆえに人間は偉大であり、人は神のレベルにまで高められるというその思想は、宇宙における人間の役割にたいするそれまでの見方を決定的に変えるものであり、人間解放というルネサンス人のエートスに強烈に訴えかけるものであった。

また、こうしたヘルメス思想や魔術思想を復権させた主要人物として、マルシリオ・フィチーノ [4]ジョヴァンニ・ピコ・デラ・ミランドラ [5]がいますが、ピコが弱冠23歳にして15世紀末に著した「人間の尊厳について」には、次のように書かれています。

『人間の尊厳について』の冒頭には、「人間は偉大な奇蹟であり」そして「神は人間を中心に置いた」と宣言されている。ピコは人間を宿命を甘受する受動的な存在としてではなく、自律的に決意し選択し主体的に世界に働きかける可能性を有する能動存在と見なす。

そして、

人間は欲することにより一切を認識し万物に君臨しうる、あるいは自然の主人にして支配者になりうるというこの想念は、中世における神と人間の関係を根本的に改めるものである。つまり、とするならば、神には許されていた奇蹟を人間が行使することも許されるであろうが、それはまさしく魔術である。すなわち人間中心説は、それと裏腹に魔術の復権をともなっていたのである。実際、自然との関係において人間のこの能動性・主体性を保障する理論を提供してくれるものこそ、他でもない魔術であり、古代人の知恵のうちに隠されていたものであると考えられたのだ。

こうして15世紀後半に復活した魔術思想がかなり短期間にヨーロッパ全域の知識人の間に影響力を持つに至りました。

魔術がそれまでの土俗的で呪術的なものとは区別される自然魔術として改善をほどこされ、知的な装いをこらされていたこととともに、他方では、もちろんそのための社会的土壌が形成されていたことにある。すなわち、これまでの貴族・僧侶・農民という三身分におさまらない都市市民が増大し力をつけてきたことに負っている。封建主義とキリスト教主義のイデオロギーによる支配が新興ブルジョアジーの台頭によって揺らぎはじめていたのであり、人間中心的で人間の能力の拡大につながる魔術思想は、不断に生活条件の向上を求める活動的な都市市民層に訴えたのである。コモジ・デ・メディチが魔術に関心をもったのも、学問的な興味というよりは、魔術を究めることで人並みはずれた力を身につけ、自然と人間社会を支配したいという世俗的欲求つまりは権力的野心につき動かされていたからであろう。

このコモジ・デ・メディチとは、フィレンツェの商人(金貸し)メディチ家の始祖であり、フィチーノやピコに魔術の復活を命じた人物ですが、大局的には、既存の国王や法皇を中心とする身分序列体制による私権拡大の抑制を嫌った商人階級や、私権追求の虜として登場した新興都市市民達の欲望(性欲・物欲)の追求を全面的に肯定したのがまさにルネサンス=人間解放であり、神と人を対等あるいは人を上位とみる自然魔術は、こうした彼らの思念と見事に合致していました。

ルネサンス人にとって、自然は象徴と隠喩の集合体であり、宇宙は巨大な力のネットワークであり、魔術とは宇宙と一体となることによって自然的事物に関された意味を感知し読み解き、森羅万象にゆきわたるこの力のネットワークを操作する深遠な科学であり、神聖な技術にほかならなかった。なによりも重要なことは、フィチーノやアグリッパの魔術思想において、自然を学ぶことで人間が宇宙の力・自然のエネルギーを使役しうるという信念が公然と語られたことにある。その後の科学の推進力は、ひとつにはこのルネサンスの魔術思考に発している。

原発事故という惨事を引き起こした近代科学技術の本質を見るようです。己の私権拡大や、世界支配のために宇宙や自然の有する未知の力を自由の使役する・・・しかし、フィチーノを受け継ぐアグリッパ [6]は「技術は、自然にたいして下僕のように仕えることで、これらの事物に働きかける」と語っており、この時点ではまだ自然への畏怖の念は中世から受け継がれていたようです。(畏怖の念喪失の経緯については、第7回記事にご期待ください。)
◆ ◆ ◆2.「科学(学問)」と「技術」の統合への流れ
1.において、中世からルネサンス期においては、古代人の方が優れていると思われており、それゆえ古代文書の翻訳が盛んであったことを述べました。
その結果、13世紀にアリストテレス哲学とキリスト教神学を統合したスコラ哲学も、その後登場したルネサンス人文主義も、「学問」の対象はあくまでも古代の“書物”に書かれたことであり、現実の人間でも現実の世界でもありませんでした。
一方、職人や技術者達は、彼らの工房において、着実に“経験”に基づく「技術」の伝承を行なっていました。
「一六世紀文化革命」より引用します。

しかし、中世ヨーロッパにおける学問と技術の決定的な問題点は、大学で学ばれ教授されていた学問と工房で営まれ伝承されていた技術が、たがいにまったく没交渉であったことにある。
大学の学問-スコラ学の「自由学芸」-は古代の文献に依拠した思弁的学問であり、他方、職人たちの技術-「機械的技芸」-は科学的な裏づけのともなわない経験にもとづいていた。そして、技術が先行していたにもかかわらず、学問は手仕事を蔑んでいた。

「学問(科学)」と「技術」の分離。この状況を一転させ、それらを統合した「科学技術」への道を拓いたのは、15世紀にはじまる大航海時代です。

古代人の文献より現代人の経験の蓄積の方が優れているかもしれないとヨーロッパ人が気付き始めたのが14世紀のペストの流行。ペストへの対処法は現代人の方が優れていると書き残している。16世紀になると地理的発見が、古代から語り継がれた地球像が決定的に間違っていたことを明らかにする。アリストテレスの気象論もプリニウスの博物誌も熱帯は熱くて人が住めないとしていた。
大航海の渡航者たちの経験が印刷書籍として多く出回り、世界地図が数多くつくられることで、古代人の知識が誤っていたことが広くヨーロッパに広がっていく。大航海の経験は、古代人の神授の知恵という思い込みを打ち砕き、近代人は古代人を乗り越えうるという自信を与えた。

更に・・・

大航海の経験は地理学、磁石の指北性、新大陸の動植物、など、人間の実践に伴って知識の内容は訂正されその量も増大するという事実を16世紀ヨーロッパ人に実感させる。そのことは物事を知るには実地の見聞によるべき事を強く印象づける。

こうして、 (古代)文書偏重から経験重視への知の転換、理論的学問から実践的知識の優越が進みました。
その主人公は、大学で高等教育を受けた知識人ではなく、古典やラテン語と無縁だった職人や技術者達でした。

>17世紀の新科学は、そのような学問を大きく転換させることで形成された。その変化は、職人・技術者のサイドからの働きかけによって促されたものであった。16世紀の段階では、むしろ職人としての芸術家や技術者にそのヘゲモニーがあった。この変化をもたらしたものとして「16世紀文化革命」があった。
彼らは自分たちの技術の秘密を文書化して公開し、それまで蔑まれてきた手仕事・機械的技芸の価値を明らかにしただけではない。そこで逢着した諸問題にたいして合理的な考察を加え、そのことによって、実験的観察と定量的測定こそが自然研究の基本的方法であるべきことを主張し、それまでの文書偏重の思弁的な学問にかわる経験重視の科学の重要性と有効性を明らかにしていったのである。
かくして、論証にもとづく定性的な自然学から測定にもとづく定量的な物理学へ といたる道が拓かれ、この16世紀文化革命が学問世界にもたらした地殻変動のうえに17世紀科学革命はなしとげられた。
17世紀科学革命は、大学で高等教育を受け、中世スコラ学によって培われてきた厳密な論証の技術を身につけた知識人が、この職人・技術者の提起を受け止め、新科学形成のヘゲモニーを自分たちの手に取り戻すことによって達成された。
かくして高等教育を受け論証技術にも長けていたガリレオやフックやホイヘンスをはじめとする新科学の推進者たちは、自分の手を使って観測装置を作成し、みずから測定や実験に取り組んだ。

そして、ついに、自然魔術においてはかろうじて維持されていた自然への畏怖の感情が、科学者達が主役に躍り出ることによって失われていってしまいます。

しかしそれは同時に、自然にたいする畏れを抱き人間の技術は自然に及ばないと考えていた16世紀までの職人たちの自然観から、科学と技術で自然を支配しうると考えた17世紀の科学者の自然観への転換をともなっていたのである。その背後には、新しい自然科学は自然を観想的に理解するだけのものではなく、人間が自然を支配し自然力を使役するためのものでなければならないという、フランシス・ベーコンがアジったイデオロギーがあった。
こうして科学に裏付けられた技術という意味での「科学技術」という思想がやがて生み出されてゆく。16・17世紀には科学は先行していた技術から学んだのであるが、18世紀以降は、逆に、科学が技術を基礎づけるだけでなく、科学は技術を先導するようになる。しかもその技術は、まずもって自然を人間に従わせ、自然を人間に役立てる、つまりは自然を収奪することを目的としたものであった。

いかがでしょうか?
こうしてかつては分断されていた学問と技術が統合され、科学理論に裏づけられ先導された技術=科学技術が登場しました。
しかし、これは誕生当初から金貸し(商人)や都市市民の欲望(性欲・物欲)拡大期待に応えるものであり、神を頂点とする序列秩序を否定し、人間中心主義に貫かれているがゆえ、傲慢で自然の摂理から謙虚に学ぶという姿勢を完全に喪失した狂った思想であると言えます。
科学技術誕生期の、ガリレオの実験思想、デカルトの機械論、ニュートンの力概念による機械論の拡張、ベーコンの自然支配の思想、あるいは一部のエリート科学者や国家に独占されていく様は、次回以降の記事にて更に詳細に見ていきたいと思います。

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